第213話、その嘘が優しさであったと、自分に言い訳する
「……そっか。なるほど、理解したわ。短い間かもしれないけど、よろしく、ウインドさん」
「あ、どうも……っ」
まるで見透かされているかのようなさつきの言葉。
内心ばくばくしながらその手を取ったちくま……ウインドは、手袋越しのさつき体温を感じ、言葉を失った。
短い間かもしれないけれど。
その言葉の中に潜む、どうしようもないほどの皮肉を感じ取ったからだ。
(まさか……)
思わず、ちくまはさつきを凝視する。
ちくまとその力……12の人格の共通認識として、真光寺弥生という人物は人間の少女のはずだった。
その認識は、間違っていないはずだ。
彼女がもしファミリアであるのなら、こうして話すことなど不可能だろうからだ。
しかし、現実として手袋越しに感じる体温は人のそれではなかった。
混乱するちくま……ウィンド。
今までのちくまの記憶から、それを解消するための答えを必死に求めようとする。
たぐった記憶のその先にあったのは、ちくまが弥生や美里とともに地下へ行ったときの一つの光景だった。
赤い異形の波から逃れるようにして逃げ込んだエレベーター。
ドアが閉まるその瞬間、弥生がそのドアに手を置いて……
気付いたら、背中を向けていたはずの弥生と向き合っていたのだ。
いや、違う。
あの瞬間、確かに弥生は二人いた。
そして、こちらに向き合って赤い異形たちの溢れるフロアに取り残された方が、本当の弥生なのだ。
そして、一緒にエレベーターに残ったのが今ここにいる弥生によく似た少女なのだろう。
ウィンドは、その考えに確信を持っていた。
何故ならば、その後に現れた弥生の偽物についての会話で、目の前の弥生は確かにこう言ったからだ。
赤い異形に触れたときにコピーされた、と。
弥生は、その時を除けば赤い異形に触れた機会はなかったはずで。
それを知っている目の前の弥生自身も、その場にいた美里も。
そして今のこの状況を不安げに見つめている仁子でさえも、今ここにいるのは弥生ではないと分かっているはずだった。
なのに何故、その事を誰も口にしないのか。
ひどい無理をしてここにいるかもしれない彼女を、どうして誰も助けないのか。
ウィンドには、とても疑問だったけれど。
「……後は私たちに起こったことを話す番ね」
結局、ウィンドはそれを口にすることはなかった。
何故ならば。
ウィンドは、そう言って凄絶な笑みを浮かべる彼女を見て、悟ったからだ。
それを口に出し、決定事項として証明してしまったら最後、彼女がこの世界から消えてしまうだろうという……純然たる事実に。
そして、そんなさつきの言葉を受けて……口を開いたのは仁子だった。
「わたしのせいなの、今のこの状況を引き起こしたのは」
氷ドームを守護する紅……『羅刹・極』の存在。
しかし、ラセツは氷ドームを守ることが本当の目的ではなく、倒されることで能力発動の条件を満たす為の存在だった。
新たな能力の発動……その能力こそが金箱病院内に存在するファミリアを行動不能にさせるもので。
「それじゃあ、パームの方のファミリアもうごけないのかな」
「どうかしらね。わざわざ諸刃の剣になるような力を発動するとは思えないわ。もしかしたら、もっと細かい制約があるかもしれない」
特に苦しむ様子もなく、眠り続けているタクヤたちを見守りながらの美里の呟きに、仁子は曖昧な言葉で答えるしかなかった。
パーム側の戦力は、幸永や克葉の存在を覗けば後はあの赤い異形……つまりほとんどファミリアで構成されていると言ってもいい。
まだ彼らを操る能力者が現れていないからこそ、あの克葉がみすみす戦力を削ぐような真似をするとは思えなかった。
「敵側は変わらずに私たちに襲いかかってくるだろうって、考えていた方がいいかもしれないわね」
ファミリアが行動不能になる、その制約。
そう言う仁子は、実の所予測がついていた。
それは、時間の経過によるものなのではないのだろうかと。
時間の経過……それは、この氷ドームの……金箱病院の中にどれだけいたか、と言うことだ。
さつきや人格の変わっているちくま、そしてトゥエル。
その三人は、他のものに比べてここにいた時間が少ない。
だから単純にこうしてまだ動けるし、トゥエルが素早く能力を解除したのかも頷ける。
少なくともいるだけでは、行動不能に陥らないのは彼らを見る限りでは確かだろう。
もしそうなら、敵側はこちらを襲う時にだけファミリアを喚べばいいわけで。
その考えは、それほど外れていないと仁子は汲んでいた。
それ以外に可能性と言うか、この場でファミリアが動ける条件。
あるとするなら、それはさつきの身につけている防寒具だろう。
カナリと行動していた際に、克葉からもらったそれ。
それがファミリアの行動制限を解除するものならば、話は簡単だ。
ファミリアに、それをもたせるだけで事足りる。
しかし、だとすると問題……というか、理解不能な点が一つあった。
何故、克葉はこんなものを自分たちに渡したのか。
おそらく、さつきが身につけているものと、カナリと行動しているときに克葉からもらったものは同じものだろう。
何故、克葉に敵に塩を送るような真似をしたのか。
仁子には分からなかった。
その答えを得たいが、さつきのことを思うと、それはおいそれと口にできるものでもなく。
そんな感情もあって何気なく仁子がさつきのことを見つめていると。
後話していないのは自分のことだけだと、そう思ったのかもしれない。
さつきはおもむろに口を開く。
「私は……氷ドームの破壊ができなかった。そして、その能力者のあの人をもみすみす逃がしてしまった。言い訳のしようもないわね」
沈んだ様子のさつき。
その場を一瞬だけ静寂が包んで。
「だから、その責任は私がとるわ。三日以内に地下のゴールへ辿り着く。あの人らしいじゃない。きっとこれは、あの人にとってゲームなのね。……だけどそんな事は関係ないの。こんな気持ちにさせたことを、きっと後悔させてあげるわ」
最後の方はもう、独白に近かった。
それは、激しい憎悪にかき立てられているように見え、愛するものを命を賭して慕うようにも見えて。
仁子には何故か、さつきがそれを克葉を通して別の人に言っているように思えてならなかった。
―――あの人に、会えるかな!
仁子が思い出すのは、ほとんど変わらないように見えるさつきと弥生の違いだ。
夢を見ている彼女と、現実に生きる彼女。
夢見がちなさつきは……もう抜け出せない何かに捕らわれてしまっていると、思えてならない。
取り返しのつかないことが起こってしまう前に、どうにかしたかった。
手っとり早いのは、さつきを弥生の元へと返すことなんだろうが……。
「……」
そんなさつきと変わらないくらいに心配なのが、弥生のことだった。
こうして目の前にさつきがいる以上、無事でいることは確かなはずなのに。
一向に連絡のないこの状況が、何より探しにいけないことが、仁子を不安にさせる。
たとえ自身が弥生だと思っているとはいえ、それでももう一人の自分がいることを認知しているはずのさつきが気にも止めていないようなのが、より不安をかき立てる要因になっていて。
もしかしたらさつきはもう、弥生のことがどうでもいいんじゃないのかって考えてしまう自分が嫌だった。
『もう一人の自分』……いや、ドッペルゲンガーが、ひとたびお互いを認識したら最後、殺し合いを始めてしまうその理由は、自分への激しいコンプレックスによるものだという。
まさかさつきがそこまで考えているとは思わないが。
弥生の所在を確かめなければならないことは確かで。
「……その意気やよし、だね。一刻も早くみんなを助けに地下にいこう」
心中汲むようにと見据える仁子に、心得たとばかりにそう言う美里。
「で、ですが、倒れているみなさんを運びながらは危険だと思います。地下の方はここよりうんと寒さがきつくて……それでこゆーざさんに上に戻った方がいいって」
「こゆーざさん?」
申し訳なさそうにしてもっともなことを口にするちくま……ウィンド。
だが、美里はそんなちくまに不思議そうに首を傾げる。
「あ、いや、そのっ。ぼくはその動物の言葉がわかるんですっ!」
対するウィンドのたいそう狼狽えているそんな言葉。
どうやらウインドは、壊滅的に嘘がつけないタイプらしい。
この状況で、さらに話をややこしくするのかと、仁子は内心頭を抱えた。
仁子は知っている。
こゆーざさんが自身の正体を隠すために、美里にだけは決して喋ることはないことを。
美里の能力、【美操引狭】。
その第一の能力である『夢想の一矢』。
それによってファミリアとして生きるこゆーざさんの、その正体を。
隠すその理由が、何より美里の為なのだと。
仁子は知っていた。
結局のところは、同じなのだ。
弥生も、美里も。
だからこそカナリの境遇を憂い、その主に怒りを覚える。
それはきっと……自分たちにはその主を責めようとする資格がないと、心のどこかで思いこんでいるからこそで。
「ふぅん、すごいねちくまくんて。あ、今はウインドちゃんだっけ」
「いえ、ははは。それほどでもないですよ」
しかし、美里はちくまの言葉を信じたみたいだった。
それはそれで、一安心ではあったが。
そんな事は一時しのぎでしかないと、仁子はカナリの時に身にしみて分かっていたというのに。
「とにかく、急ぎましょう。あまり悠長にしている時間はないわ」
さつきに急かすようにそう言われて。
「そうね、ここは二手に分かれましょ。地下に探索にいく面子と、カナリっちたちを守る面子でね」
そう答えた仁子は気づかなかった。
先に悔やむべきその時が。
今、このタイミングでしかなかったことを……。
(第214話につづく)
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