第214話、満天の空から一番遠い場所から、叶わぬ夢を見る
―――LEMU。
そこは、氷ドームの核のある場所よりもさらに奥深い場所。
青空から一番遠い場所。
それは……太古の昔、いき過ぎた文明の反動により深い深い海の底に沈んだと言われる大陸の名と、そこを管理するものの名を取ってつけられた地下の夢幻郷だった。
そこは光源が見あたらないのにも関わらず、仄かな明かりが覆っていた。
その闇と光が混在するその場所にあるもの。
それは、無機質な息づかいを続ける主種雑多な機械だった。
用途のよく分からないその機械の塊は、一定の間隔を置いて、広い敷地に並んでいる。
塊は数えれば数百を越えるだろうか。
その一つ一つがよく似ているようで、それぞれに異なる。
共通している部分があるとすれば、塊の中央にあるラグビーボールの形によく似たショウケースのごとき蓋、だろうか。
ガラスかプラスチックか判断の付かないその蓋だけは、その塊に必ずついていた。
しっかりと寝そべり閉じているものが大半だが、それらのいくつかは開くように天井に向かってそびえ立っている。
まるでこれから訪れる主を待つかのように。
そして……それは正しくも比喩ではない。
寝そべるように閉じられたその透明な蓋の向こうには、人間が眠っていた。
それは、敵味方関係なくガーヴ能力者同士の戦いで敗れたものたち、あるいはカーヴに触れたものたちのなれの果てだった。
しかし、一様に夢を見ているのか、誰もが幸せそうな笑みを浮かべている。
その中には辰野稔や稲葉宣永、その娘の歌恋、魔球班(チーム)の面々を初めとするつい先ほどまで金箱病院に収容されていたはずの人々の姿や、ほんものの真光寺弥生の姿があって。
「……本当にいい夢見られてるのかね」
実際に何か異常があっても分かりはしないのだが、退屈を紛らわすようにそれらを見回っていた塩崎克葉は。
羨望とも諦めともつかない呟きを発する。
「夢がどうしたって?」
と、そんな克葉に声をかけてくるものがある。
克葉が顔を上げると、先の戦闘で血塗れのぼろぼろだった服を着替えた幸永の姿があった。
実の所、退屈しのぎの理由は着替えるから出ていけと言われたからで。
「けがの治療はともかく、着替える意味なんてあったのかい? どうせ死ぬ運命にあるのに」
「……最低だな、かっちゃんて。そんな事言わなくたっていいだろが。こちとらデリケートにできてるんだからよ」
実際、お互いもう一度死んでいるわけだから。
深い意味はなく、ただ純粋にそう思って聞いただけなのだが、少しばかりストレートすぎたらしい。
こんな気遣いさえ忘れてしまったのかと内心へこみつつ、克葉はフォローを入れる。
「ああ、最近入った同族の彼のせいかな? ずいぶんとカッコいいもんな、コウのストライクゾーンど真ん中だった?」
「ば、ばかっ、そんなんじゃねえよっ。一応女としての身だしなみってだけだよ」
図星なのか、茹で蛸のようになって否定する幸永。
しかしそれは、確かに今までの幸永にはなかったもので。
「それとも……死ぬのが、怖くなった?」
気付いたら克葉はそう聞いていた。
「怖くないわけないだろう。何せ一度目はそんな暇もなかったからな」
てっきりそんなわけないだろうと虚勢を張るものかと思いきや、拍子抜けするほど素直な返事が返ってくる。
(……それほどの相手だったってことか)
思わず、克葉は笑みが零して。
「な、なんだよ」
「いや、すまない。意味のない質問をしてしまったなと思っただけさ」
そう思うのは当たり前の感情、なのだろう。
事実、克葉自身だってそういう気持ちはある。
幸せな夢の中で生きている彼らが、羨ましくて仕方がなかった。
何とも言えない沈黙が、辺りを支配する。
数百の機械の駆動音だけが耳朶に染みついていて。
「さっき、夢がどうこうって言ってたけど?」
素直に答えるだけあって、やはり不安はあるのだろう。
その沈黙に耐えられなくなったのか、再び幸永がそう聞いてくる。
克葉は少し考え込んで。
「ああ、うん。みんなが見てる幸せな夢って、どういうものなんだろうなって思ったんだ」
そう答えた。
それは……もはや命の火が一度消えてしまった自分が考えるのも過ぎたことだと、そう思っていたけれど。
「幸せな夢ねえ? そう言うかっちゃんはどういうのが幸せな夢だと思うんだ?」
まさかそう聞かれるとは思わなかった。
一瞬、言葉に詰まった克葉だったが。
考えてみれば出てくるものなのだと、そんな自分に思わず苦笑してしまう。
「……一刻も早く今から解放されること、かな。あのお方は人が嫌がるとをするのが好きな方だからな。十中八九間違いなく、こんな屍をさらしている俺の前に彼女を連れてくるはずだろうから。できればその前に消えてしまいたいよ」
「……どこが幸せな夢なんだか」
呆れたように呟く幸永。
言われてみればもっともだけれども。
「そう言うこうみんは?」
「こうみん言うなって。ええと、オレか? う~ん、そうだな。やっぱりライブかな。かっちゃんは当然ベースだろ、んでもってギターがレアで、ピアノがオレ。……あぁ、うん、悪くないな」
指折り数えて夢を語る幸永は、なんだか楽しそうだった。
たとえこの先の運命が儚いものだと分かっていても、人は夢を見ることができるのだと言わんばかりに。
「こうみんってピアノだったんだ。俺はてっきりデスでメタルなパーカッションかなんかだと思いこんでたよ」
なんてことはないやりとりのはずなのに、思わず涙が出そうになって。
誤魔化すように口をついて出る、そんな言葉。
「どんなイメージだよ。天使なオレに向かってそりゃないだろが」
「自分で言って恥ずかしくないかい?」
「うっせーな、言った側から後悔してるっての」
それは、他愛もないやりとり。
こんなことができるのがこれで最後だとお互いに分かっているからこそ、意味はなくとも必要なこと、だったのだろう。
「ボーカルなんて最初から決まってるだろ。あいつ以外、考えられないじゃんか」
「そう、だね……」
自身の胸に手を添え、祈るように幸永は呟く。
それは……死してもなお自分たちを形作る、完なるもの。
それはなんて幸せな夢なのだろうと、克葉は思う。
決して叶うべくもないからこそ、悲しいほどに。
「ドラムはわたし。それを忘れないでもらいたいね」
……と。
そこで初めて、二人の会話に割り込む者がある。
克葉が顔を上げると、そこにいたのは、『レミ』だった。
いつの間にそこに立っていたのか、全く気配が読めなかったが。
おそらく部屋に一人残されて心細くなったんだろうな、なんて克葉は考える。
「そんなわけないだろう。一人は慣れているからね。そろそろ頃合いだろうと呼びに来ただけだよ」
「そういうことにしといて……って、人の心を勝手に読まないでくれよ」
「ふふふ。なに、顔にそう書いてあったからつい、ね」
表面上だけ嫌な顔をしてみせる克葉を、やはり見透かすようにレミが笑う。
「なんだ、もうか。まぁ、気持ちは分かるけどな……」
まるで夢から醒めて現実に戻ったみたいに、幸永が呟く。
そこにはもう、今までそこにいたはずの幸永の姿はなく。
ただ、戦うためだけの修羅がそこにいて。
「……それじゃ、行くとしますかね」
そんな幸永と同じように。
まるでこれから舞台へと上がる演者のごとく心が冷えきっていくのを、克葉は自覚していて。
「……」
最期の戦いへと歩みを進める二人。
レミはただ、それを見送ることしか、できなかった。
それが役目なのだと分かっていても、軋む心を抑えることが出来ないままに。
長い長い夜が、始まろうとしていた……。
(第215話につづく)
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