第二十八章、『AKASHA~闇夜に生まれて~』

第215話、中間管理職おっさん、生贄になっても無問題



それは、紅を操りし主、東寺尾柳一が。

ほんのちょっと目を逸らした隙に起こっていた。


僅かな間、金箱病院の方へ目を向けていた瞬間。

正直に言えば金箱病院の方も目が離せなくなってついついのめり込んでしまっていたのは確かで。


ふと我に返り、本来担当するべき信更安庭学園の方に目をやれば。

視覚的に見ればお互い我を失っているようにも見える、この舞台の主要人物の二人、須坂勇と石渡怜亜が、その比類なき剛の力でぶつかり合っていて。


柳一は、『紅』の瞳を通してそれを見て、一瞬言葉を失う。



そこは『赤い月』の入り口付近。

だが、ついさっきまで認識していたはずの光景は、もうそこにはなく。


あるのは、荒廃した戦場だった。

それまで、ならされ舗装されていた地面の混凝土は力の余波で抉られ、うねり、爆心地が目の前であるかのように波紋を作っている。


そんな中……徐々に闇色の侵食の始まる橙の灼光を受けて。

勇はその身に怒れる将を宿し。

怜亜は夜の暗色を凌駕する闇の翼を宿し、相対していた。


それは多分、お互いか望まざるものだったのだろう。

やむにやまれぬ流れ、というものかもしれない。

それは、俺としてもこのまま傍観していていいものじゃないのは確かで。


見れば、『喜望』のものたちが、その苛烈なぶつかり合いの余波を受け、倒れ伏しているのが目に入った。


どうやら相対する二人は周りが見えていないらしい。

あるいは、それすら必要不可欠なポーズだったのかもしれないが。

柳一は、そんなことは当然のごとく知らないふりをして、今のうちにと彼らに近づいた。



初撃を放ち睨み合う二人の元へ。

死を奏でる弦楽器と、金剛扱いし円月刀……その真っ直中に。


それは、二人が二撃目を繰り出そうとするまさにその瞬間だった。

勇も怜亜も、まさかそんな死地に飛び込む馬鹿がいるとは思わなかったのだろう。


「……っ!」

「っ!?」


我に返ったかのように息をのむ気配と。

理性の灯った驚愕の声が聞こえる。


だが、二人は攻撃をもう止められない。

触れたものをもれなく圧壊させる音波が。

無双の切れ味を持つ刃が柳一の視点になっていた紅を襲う。


その時の衝撃は計り知れないものだったのだろう。

何故ならば、直前で視点移動した柳一には何の衝撃もなかったからだ。

紅は、視点が上空に切り替わった柳一の目の前で、針差し込まれし風船のように破裂した。


その、あっけない最後に……しかし柳一の心は痛まない。

少し前に長池慎之介に語ったような犠牲を憂う気持ちは実のところ微塵もなかった。


何故ならば、その犠牲こそが柳一の能力、【逆命掌芥】だからだ。

様々な力をその身に受けることでよって学習し、身を賭して情報を掴み、犠牲を持って大きな力の発動のための引き鉄となる。


それは彼らにとって誇りであり。

それを憂うことは、そんな彼らに対しての侮辱になりかねなかったからだ。

だが、傍から見れば……柳一は血も涙もない冷酷な者に見えるのかもしれない。


柳一もそれを否定はしない。

そうでなければ、使命を全うすることなどできないって、分かっていたから。


激しい衝撃を受け、破裂した紅は、しかしそこで大気の塵となって消えることはなかった。

そのまま薄い膜となって風呂敷のように広がり、怜亜を包み込む。

膜の内側にあるのは、今までそこにいた紅が内包していた黒い輪。

それは、少し前に学習し覚えた移動の能力だった。


怜亜はそれに吸い込まれるようにして、その場から消える。

柳一はそれを確認すると。

怜亜が移動したその先、柳一自身がいる場所へと視点を切り替えた。


そこは、屋敷の地下。

横に横に広いフロアだ。

だが、四方八方が赤煉瓦に囲まれている様は、その広さと相まってどうにも狭苦しいものを感じさせる。


それは、この場所が本当はどういう場所であるのか、柳一自身が感覚的に理解してしまっているせいもあるだろうが。


柳一は、自身の矮小さを噛み締めながら、白い輪から出てきた怜亜を介抱する。

相変わらず燃えるような闇の翼を生やしたままの怜亜は、気を失っているようだった。


『パーフェクト・クライム』の力と受けた勇の力。

加えて目の前で起こった大切なものの死。

届いていなかったその想い。

取り敢えず命に別状はないようだが、その心が痛ましいほどに傷ついているのは間違いないだろう。

心休まるときが今しかないと思うと、ただ見ていることしかしていない事がいたたまれなくなってくる。


「……代わってやれるのなら、代わってやりたいんだがな」


と、思わず柳一がそう一人ごちると。

その声に反応したのは怜亜ではなく。

突如として背後に生まれる、何者かの気配。



「待ちくたびれたよ、柳一くん。その子が四人目の生け贄かい?」


朗らかに語るは狂気。

その、瞳に写るはずの自我はとっくに壊れていて。

柳一はそのことに内心同情の念を禁じ得ないままに、否定するように首を振った。


「いや、彼女は俺と同じ完なるものの眷属のひとりさ。残念ながら生け贄にはなりえない」


するとその男、この屋敷の主である鳥海剛司(とりうみ・こうじ)は、隠すことなく不快感……あるいは恐怖感を露わにした。



「それじゃあどうするんだよ。約束を反古にするつもりか」

「心配しなくてももう手は打ってある。約束通り明日には出発できるさ」


ありありと分かる苛立ちに、努めて冷静に柳一は言葉を返す。


「本当だろうな?」

「ああ。……言ったはずだ。俺たちは敵じゃない。何せ目的が同じなんだからな」


剛司は、たった一人残った娘を守るために。

柳一たちは主の脅威となる芽を摘むために。

リアという少女が『時の舟』を使い、時を渡ることを防がねばならなかった。


目的が同じであるからこその協力。

しかし、剛司が柳一たちを未だ信用していないのは火を見るより明らかだった。

柳一とすれば彼が信用していようがいまいが、本当はあまり関係ないわけだが。


ここで不義をかっても仕方ないだろう。

柳一はその証拠とばかりに言葉を続ける。


「もう一人の仲間が策の仕上げに入っている所だ。だから……」


少し待っていてほしい。

そう言い終えるよりも早く。

壁に貼り付けてあった白い輪が七色に光ったと思うと、現れたのは赤髪の少年だった。


「ただいま、っと」

「ああ、ちょうど帰ってきたか哲。首尾はどうだ?」


柳一がそう問いかけると、帰ってきたのは子供らしいVサイン。


「仕掛けは上々ってね? まぁ、後一押しはするつもりだけど、ほっといても獲物の方からやってくるって寸法さ」


煽るような邪気のこもった笑み。

今更ながら、柳一の能力をたいそう嫌っていた怜亜のことを思い出したりしたが。



「……そこまで言うなら生け贄の件は任せるよ」


今の今まで疑心暗鬼の塊だったはずの剛司は、あっさりとそう頷いた。

その態度からは、約束を守ろうが守るまいが構わない、といった柳一と同じ考えが垣間見えたが。



「それより、屋敷の守護についてだけど……」


柳一がその真意を探るよりも早く、剛司はもう一つの、むしろメインと言っていい約束を口にした。


第三の救世主……リアの時渡りを防ぐため、彼女をこの屋敷に匿う。

柳一たちは、この屋敷に侵入してくるだろう敵を撃退する任を負っていたのだ。

やれやれ、と両手をあげる哲と目配せした後、柳一はそれに頷き、答える。


「屋敷の入り口にほど近い『脊髄の間』は哲が担当する。

リアの部屋にほど近い『横隔膜の間』には怜亜についてもらうつもりだ。そして……」

「『心臓の間』は柳一くん。君が守ってくれるわけだ?」


柳一の言葉に繋げるように、剛司はそう言って笑う。

それは、場違いなほどに嬉しそうで。

何かあることを隠そうともしない、そんな笑顔だった。


「ああ、そう言うことになるな。……確か屋敷の中枢、だったか?」


しかし、何かあるだろうことはこちらとしても百も承知で。

それに惑うことなく頷いてみせる。


「そうだよ。とっても大事な場所なんだ。今から案内しよう。明日のためにいろいろと説明しなきゃならないからね」


満足そうに頷く剛司。

その表情に消えることなく狂気は鎮座していて。

見ているだけでもそれは柳一に恐れを与えてくる。



「……分かった。哲、怜亜のことをよろしく頼む」

「はいはい、任されましたよ」


必要な言葉だけを残し、さっさと歩いていってしまう剛司を追いかけるべく、柳一は哲にそれだけ言ってその場を後にした。


見送る哲の言葉にやる気がないのは。

そんなやりとりもそれこそ茶番だと、そう言いたいのだろうが……。





「着いたよ、柳一くん」


それから無言の行軍で、フロア三階分上へと移動して。

たどり着いたのは、屋敷の正面入り口が左前方目と鼻の先にある、まるでエレベーターのような屋敷の中に独立して建っているように見える、小部屋の前だった。


「ここが?」

「うん、『心臓の間』だよ」


中枢部分にしては随分と狭いなと思いつつも、そう言ってまたしてもさっさと中に入ってしまう剛司の後に続く。



「……」


足を踏み入れたその場所は驚くほどに何もなく、思っていた以上に狭い場所だった。

四方八方を囲む赤煉瓦の壁が蠢き迫ってくる、そんな錯覚すら覚えるほどに。


だが、思わず言葉を失ったのはそんな事ではなく。

先に入ったはずの剛司の姿がない。

それの意味に気付いた時。

あらゆる方向から、姿なき剛司の声が響いてきた。



「わざわざ来てくれてありがとう柳一くん……いや、五番目の生け贄っていったほうがいいのかな?」

「っ!」


柳一は、そう言われたのとほぼ同時に来た道を振り返る。

すると案の定、さっきまであったはずの入り口が塞がっていて。


「生ける贄にはなりえないと、そう言ったはずだが?」


それは、最後の強がり、だったのだろう。


「どうかな? 試してみようか」


聞く耳などそもそも持ち合わせていない屋敷の主は、子供のような笑みをこぼしそう言った。

そしてそれを合図にするかのように現れるは足下に広がる大きな口。

為す術もなく、柳一はそれに飲まれて。



「よかったね。これで柳一くんは僕の……」


最後通告にも等しい剛司のその言葉が届き終わるまでもなく。


柳一の視界は、強制的にシャットダウンされたのだった……。



             (第216話につづく)






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