第三十一章、『まほろば~唱い前夜~』

第242話、幽きまごうもの、情熱燃やして夢に溶けゆく



―――ちくま(ウィンド)や仁子が、それぞれの夢と相対している頃。


真ん中の道を選んださつきは順調に歩みを進めていた。

円形にくり貫かれた分厚いとびらを抜けた先は、今までと追ってきた道と同じで。

それ自体が道照らす灯りとなる壁に囲まれた螺旋階段だった。


それをある程度……ちょうど一階層ぶん下ると、横道が現れる形で道が分岐する。

慎重にその先を見据えると、そこはがらんとして薄暗いフロアで。


こんな風に道が分岐している場合、どちらかと言えば行き止まりの可能性が高い方を選ぶほうがいい結果を生む。

かつて聞いたその言葉通りに、さつきはそのフロアへと足を踏み入れた。


地下にあることを考えれば、なかなか広いだろうそのフロア。

かろうじて視界がきくのは、フロアの奥まったところで五つの淡く白い光が大理石のような地面を照らしていたからだろう。


さつきは警戒を解かずにその明かりある場所まで近づいてみたが、これといって何があるわけでもなく、何が起こるわけでもない。


それにはきっと何かしらの意味があるんだろうが。

さつきには、じっくりその謎を解明してる余裕はなかった。


そのフロアが行き止まりだと分かると、さつきはさっさと見切りをつけて本線とも言うべき螺旋階段の続くルートへと戻る。


さつきは、横道を見つけるたびに同じことを繰り返しながら。

自分自身の夢とは何なのかを考えていた。


何も知らない昔だったのなら。

自分が弥生であると疑わなかった頃なら。

それは考えるまでもない分かりきったことだったけれど。


果たして今はどうだろう?

考えても、考えても浮かんではこなかった。

それがなんだかもどかしくて哀しくて。

フロアに浮かぶ白光がだんだんとその数を減らしていくうちに、さつきは逆にこう思うようになったのだ。


こんな自分にも夢があるというのならば。

是非見せてほしいと。



たとえそれが。

さつきのイメージする、あたたかくてきれいで幸せなものじゃなくても。

想像を絶するほどの醜いものでも。


それが、自分がここにいたことへの証明になるような気がしていて……。





「あれは……」


さつきが、そう願ったからかどうかは分からない。

一体何に使うのだろうと思いつつ一つ一つ確認していたがらんどうのフロア。

そこを照らす白い光が数を減らし一つになった時。


行き止まりだと思っていた明かりの向こうに現れたのはエレベーターだった。

近づくと、そのエレベーターが生きていることを示すかのように、息づかいが聞こえてくる。


それは、ゴゥンと空気を押し上げ、鉄の箱が上昇してきていることを意味している。

箱の目的地は当然さつきのいるこのフロア、なのだろう。

半ば確信めいたさつきのそんな考えに応えるかのように、金鳴る音がして銀色の鉄扉がスライドして開かれた。

覗くのは、何か得体の知れない大きなものが餌を食らおうと口開けて待っているかのような、一畳にも満たない赤い部屋だ。



「……」


普通に考えれば、それはどう考えたって罠だろう。

たが、螺旋階段のその先に望むものがあるとも限らないし、そっちに罠がない保証なんてないのも確かで。

結局、僅かな逡巡の後、さつきはそれに乗り込んだ。


理由は二つある。

一つは、そのエレベーターが下りを指し示していたこと。

そしてもう一つはそれが三手に別れてからさつきに起きた初めての変化だったからだ。


その先が罠だろうとなんだろうとかまわない。

今のさつきにとってもっとも恐ろしいのは、毒にも薬にもならない停滞、だったのだ。




さつきを飲み込んだエレベーターは。

最新式のものなのか、腹が浮くような重力がほとんどといっていいほど感じられなかった。

だが、そのスピードはかなりのものだったのだろう。

頭上に見えるBF30を照らしていた肌色の光が、あっという間にBF50へと移り変わるのが分かる。


BF50より先はなかった。

終点……最下層。

イコールにできるほど単純ではないだろうが、どうやら敵方はさつきをその場所へと招待したいらしい。



そこにあるのは蛇か鬼か。

何にせよ、いつでも能力が発動できるように油断なく扉の先を見つめていて。



「……っ」


フラッシュバックするのは、さつきを心配げに見つめる弥生の姿。

それにより膨れ上がるのは、弥生への罪悪感だった。


別れたきり、行方の分からない弥生。

自分が存在しているから無事。

そんな言い訳にかまけて、さつきは彼女のことを考えないようにしていた。


弥生が行方不明であることを、みんなに話さなかった。

ただ、自分という存在をこの世に留めたくて。


それは、さつきの我が儘。

遅すぎる後悔が、さつきを責め立てる。

だがその一方で、それのなにが悪いと自己を主張する自分がいるのも確かで。


……そんな自分が心底嫌になる。

さつきが、そう思い立った時。


開かれる銀の扉。

さつきは、わけの分からない衝動に押されるようにしてエレベーターを飛び出して。

目の前に広がる、信じられない……だけど望んでいただろう光景に目を見張った。





「そうか、これが君の夢なんだな……」


しみじみと納得したような声は、塩崎克葉そのひとのものだった。

寄りかかるその背には、深海の青をそのまま固めてしまったかのような、結晶体がある。


それが、くだんの封印のクリスタルなのだろう。

金箱病院を囲む氷ドームと材質は同じなのかも知れないが……やはりファミリアを凍らせるその力はそこに凝縮されているのだろう。

辿り着いた最下層は、寒さの桁が違った。



「夢? これが私の……?」


手袋と帽子の力があるとはいえ、限界が近かった。

そう長くは持たないだろう。

それでもさつきは、そんなこと話おくびにも出さずそう聞き返した。



「ああ、そうさ。その命つきる前に俺を倒しクリスタルを破壊する。それが君の望んだ夢だった。だから俺はここにいるし、誰よりも早く君はここにいるというわけだ」

「……」


自分の夢が何であるのか。

それが分からず、知りたかったさつきにとって、そんな克葉の言葉を否定する材料は見つからなかった。

そう言われれば、納得できるのは確かだったけれど。



「だけどその夢は叶わない。……そう言いたいの?」


克葉が敢えてそれを口にし、ひとりでここにいるのは、叶わぬことに自信があるからなのだろうとさつきは思った。


だからといってさつきも簡単に負けるつもりはない。

それこそ差し違えても、克葉を倒すつもりでいた。

弥生としてではなくさつきとして誰かの役に立ちたい。

さつきがいたことを心に留めおいてほしいと。



(ああ、そうだったんだ……)


さつきはそこでようやく理解する。

自分の夢が何であったのかを。

克葉の言葉もあながち間違ってはいなかったことを。


それに気づけたことがうれしくて。

さつきは微かに笑みを浮かべる。


その右手のひらには沸き立つアジール。


後はその命つきるまで戦うだけ。

夢叶えるためにがむしゃらになるだけ。



「……そう簡単に、あなたの思い通りにはさせないから」


だからさつきはそう宣言する。

たとえ叶わないとしても、気持ちだけは負けたくなかったからだ。



……それなのに。

戦う気構えをもったさつきとは対照的に、克葉は首を振った。

無防備にだらりと両手を下ろし、苦笑を浮かべている。



「簡単もなにもないさ。心配しなくてもコトは俺の思い通りにはならないようになってる」

「……」


それは、諦めの混じった自嘲に聞こえて。

さつきには、その言葉の真意が掴めなかったけれど。


ただ、そんな克葉が許せなかった。

こっちは命懸けてまでここにいるというのに、それをないがしろにされているように思えたからだ。



「そう自覚してるならさっさと能力を解除して。でなきゃ……あなたを討つ」


とはいえ、今更やることは変わらない。

右手に燃え盛る炎のように猛る白色のアジール。

その言葉がただの脅しでないことを示すかのように、さつきはぐっと一歩踏み出した。


それだけで、寒さが一段階上がるのが分かる。

踏み出したその足先は、もうほとんど感覚がなかった。



「是非に、といいたいところだけどね。残念ながらその前に一つだけ君に教えなければならないことがあるんだ」


意図の掴めない、もったいぶった言い方をする克葉。

さつきはイライラを止められない。

相手の余裕すぎる態度と、焦りが増すばかりの自分に。

さらに言葉を続けようとする克葉に、ついには走り出すさつき。


触れたものの熱を奪うさつきの能力。

それを極限まで高めたさつきの右手のひらが振り上げられる。


それなのに……克葉は避けようともしない。

あの赤いダルルロボと同じように無防備にそれを受け入れようとする。


かちんときた。

ぎりと、歯を食いしばるさつき。

無抵抗に立っていれば攻撃をされないで済むだろうって、馬鹿にされている気がして。


さらに深く、一歩踏み込む。

白光煌めくナイフのごときさつきの手刀が、止まることなく克葉の脳天にふりおろされて。




「……だから言ったろう?俺の思い通りにはならないって」


わけの分からない克葉の呟き。

響き届くのは目の前ではなく、背後だった。

それが何を意味しているのか一瞬理解できない。


……いや、さつきは理解したくなかったのだろう。

焦って、ただ怒りにまかせて、本物か偽物かの区別も付けられなかった自分自身の浅はかさを。



「……っ、あぁっ!?」


あまりの冷たさに。

まるで腕を落とされたかのような感覚になるさつき。

見れば、白光のアジールに包まれたさつきの右腕は、克葉が封印のクリスタルと呼んだ深青の鉱石の中に潜り込んでいて。


すうっと、意識まで吸い込まれていきそうな悪寒がさつきを襲った。

それによりはっきりと自覚する自分の終わり。


なんとあっけない。

でもらしい最後なんだろうとさつきは自虐的に思う。


所詮は紛い物。

自分がそうだと気づいてから……さつきはこうなることが分かっていたのかも知れない。


だからといって。

まだ諦めるわけにはいかない。


止まるわけにはいかない。

さつきがさつきとしてここにいた証を残さないままでは。

死んでも死にきれなかった。



「あぁぁっ!!」


雄叫びとともに、右手に渾身の力を込め、振り下ろす。

びしりと響いた音は、さつきの右半身に亀裂が入ったものだった。


だけど諦めない。

その意識が大気に溶け消えるまで、さつきは諦めなかった。




「な……にっ!?」


今度こそ、確かな感触。

驚愕に揺れる声とともにクリスタルから炎吹き出す音が聞こえる。


さつきのしたことは単純なことだった。

【深真往生】で奪うはずの熱量を奪わず、さつきの身体に残された命の元とも言うべきそれをクリスタルに送り込んだだけ。


気づけば、まるで本物の氷だったかのように深青のクリスタルは溶けて崩れ、辺りに水たまりを作っていた。




「だから……言ったで……」


そう簡単にはいかないと。

さつきは、不敵に言い放ったつもりだった。


だけど、その先は言葉にならない。

たぶんそれは、言葉扱う力まで絞り出してしまったからなんだろう。


かくんと、全身の力が抜けて倒れ伏すさつき。

ただの水にしては深い色合いを持つ、その水たまりに身を埋めていく。


それと同時に、さつきの意識は深い深い蒼の中へと、のまれていって……。



             (第243話につづく)


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