第243話、夢のあとさき、アイデンティティを問う
「あれ……?」
さつきははっとなって目を覚ます。
てっきり自分の役目を終えて弥生の元に戻るとばかり思っていたのに。
何故かさつきは、上下左右が青一色の世界に浮かんでいる。
まるで、さっきのクリスタルの中に取り込まれてしまったみたいに。
「さつきさん……」
……と。
どこからともなく、さつきを呼ぶ聞き覚えのある声がした。
それは、初めてのことだった。
さつきが、弥生ではなく、さつきと名を呼ばれたのは。
今までそんなことにも気づけなかった自分自身が泣けてくるさつきである。
そのたった一言だけで、さつきは様々なことを理解してしまった。
例えば……決して名を呼ぶことがなかった仁子のこと。
たぶん、仁子は初めからさつきが弥生でないことを分かっていたのだろう。
さつき自身がそのことに気づくよりもっと前から。
役に立てればと思ってたつもりが、結局は迷惑をかけていたのかもしれない。
そう考えるといたたまれなかったけれど。
「……晶ちゃん、どうしてここに? 身体のほうは大丈夫なの?」
それはもう、考えても後の祭りだったから。
さつきはその考えを振り払うようにしてそう問いかけた。
「どうしてって、さつきさんが封印のクリスタルを壊してくれたからでしょう?」
すると晶はおかしそうに笑みをもらしてそう言った。
「そ、それじゃあ、ほかのみんなも?」
「うん、カナリちゃんもうたまるさんもタクヤさんも、みんな無事だよ。さつきさんのおかげで、寒さから解放されたんだよ」
晶のその言葉は、さつきにとって最高の賛辞にも等しかった。
弥生ではなく、さつきがこの世界で成し遂げたこと。
それだけで未練なく弥生の元に戻ることができる。
普通なら、そう思ってただ喜んでいたのかもしれない。
だけどその時のさつきには、その喜びの気持ちよりもうまく言い表せない漠然とした不安のほうが大きかった。
弥生の元に戻るはずが戻れずにいる自分。
一体どこなのかも分からないような一面の青の世界に不意に現れた晶。
自分がさつきであることなど一度も口にしたことなどなかったはずなのに、
何故か自分がさつきであることを知っている晶。
今の今まで克葉の氷の力に苦しんでいたはずの晶が、どうして『封印のクリスタル』なんて言葉を知っていて……それを口にするのか。
さつきの中にくすぶる不安を増大させる様々なことがさつきに疑問を投げかけてくる。
ひどく頭が冴えているのを、さつきは感じずにはいられなかった。
まるでこれから起こること知ることをもらさず得ようと脳が訴えているようで。
「……ねえ、晶ちゃん。ここって誰かの異世なのかなぁ」
身体か動くようになって助けにきてくれたのだとしても、どうにも早すぎるような気がして。
目の前の本当に晶かどうかも分からない晶が何か知っているような気がして。
気づけばさつきはそう問いかけていた。
「ううん、異世とはちょっと違うかも。だってここはマスター……お姉ちゃんの作った夢の世界だから。お姉ちゃん言ってたよ。現実の世界も異世の世界もわたしたちを監視してる人がいるんだって。それだと内緒の話をするのに困るでしょ? そのために、この場所はあるんだって」
口数の少ない大人しい晶にしてはずいぶんと饒舌な気がした。
それは、目の前にいる晶が晶じゃないと言うよりは、何故かいまわの際の切羽詰まった様子を連想させる。
そんなさつきの考えは全く根拠のないもの、だったけれど……。
さつきの身体に染み込むようにして晶の言葉が浸透していって。
その言葉の意味を理解するうちに。
さつきの全身をかけ巡るのは雷のような緊張感だった。
マスターがつくった夢の世界。
その一言には、実に様々な意味がはらんでいる。
晶にはマスターと呼べる人物がいる。
そう、さつきにとって弥生がそうであるように。
つまりそれは……晶はさつきと同じ人ならざるものである事を意味している。
だが、このことに関して言えばそれほどの驚きはさつきにはなかった。
それは、さつきではなく弥生が事実として知っていたからなのかもしれないし、ファミリア同士どこか通じるものがあったからなのかもしれないけれど……。
驚いたのは、気づかされたもう一つの事実のほうだった。
―――『この【LUMU】は夢の世界でできている』。
それは、あの赤いダルルロボの言葉で。
晶はこの場を夢の世界だとそう言った。
マスターの作った夢の世界だと。
導かれる答えを求めるのはあまりにも容易すぎた。
だが、それをなかなか解くことができなかったのは……
到底信じられるような事じゃなかったからなのかもしれない。
「晶ちゃん……もう一度聞くわ。あなた、どうしてここに来たの?」
あなたは敵だったの?
私たちを騙していたの?
はじめはそんな悪辣な台詞が出るものだと、さつき自身も思っていたけれど。
さつきの心は妙に落ち着いていて。
そんな短絡的で思慮のない言葉の代わりに、出てきたのはそんな問いかけだった。
たぶんそれは、騙したとか敵だとか、そんな感情論より今さつきが知るべきなのはそのことだって本能で察していたからなんだろう。
そんなさつきに対して。
そんなことが馬鹿らしくなるほどの柔らかな笑みを浮かべて……晶は答える。
「うん、あのね。わたし、さつきさんに伝えなきゃいけないことがあるの」
「伝えなきゃいけないこと……」
それでようやくさつきは理解した。
成すべき事を終えて舞台から降りなければならないなずのさつきが、いまだここにこうして立っている……その意味を。
なぞるようにさつきがその言葉を反芻すると、晶は頷き、さらに言葉を続ける。
「うん、あのね。それって、ファミリアのことについてなんだ。どうしてファミリアはこの世界に生まれたのか。それにちゃんとした意味があるとしたら……知りたくない? どうしてわたしたちは、この世界にこうして立っているのかってことを」
伺い聞いてはいるが、それはほとんど強制だった。
何故ならファミリアは、人間がどうして生きているのだろうと疑問に思うのを遙かに凌駕する頻度で、自分が世界に生まれた意味を考え続けている生き物だからだ。
「晶ちゃん、そんなこと分かるの?」
「うん。もちろんだよ。わたしはそのためにここにいるんだから」
問うさつきに、うれしそうにうなずく晶。
なのにその笑顔は、さつきを不安にさせる儚さを持っている。
ほんの一瞬だけ、聞かない方がいいのかもしれないとさつきは思ったけれど。
晶と同じファミリアであるさつきには分かるのだ。
それが、結局は晶という存在を否定してしまうことになることを。
「それって、何なの? どうして私たちは生まれてきたの?」
だからさつきはもう一度、そう問いかけた。
そこには、理由があるなら知らないわけにはいかないって、さつき自身の強い意志も確かにあって……。
(第244話につづく)
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