第244話、言えないから、完なるものと呼ばれるのか




晶は語りだした。

まるで歌うように、何かに思いを馳せて。



「わたしたちはね、影なんだよ。マスター……ほんとうの自分の身代わりなの。黒い太陽に向かって、マスターの代わりにわたしはここにいるよって叫ぶために生まれてきたの」


その小さな手を広げて、夢幻の青空を仰ぎ見る。

つまり、自分たちファミリアは、誰かの犠牲になるために生まれてきたと、そう言うことなのだろう。


はいそうですかと享受するには、あまりにも無慈悲な言葉だった。

それなのに、長年身体の中に巣くっていた痼りがすっと消えてゆく感覚を覚えたのも確かで。

ふと思い出したのは、その身を犠牲にする事がすべてに見えた赤い異形の存在だった。


もしかしたら……あの姿こそがファミリア本来の姿、だったのかもしれない。

ひどく納得している反面、さつきの心中には暗澹たる思いが立ちこめていたけれど。



「もう、『パーフェクト・クライム』は止められない。人の世界は滅びる。それは、ねじ曲げられない決まったことだから」


さつきと晶の視線が再び交錯したとき。

追い打ちをかけるように発せられたのはそんな絶望を体現したかのような言葉だった。


それは、誰もが心のどこかで恐怖として感じながらも。

決して口にしようとしなかったこと。


自然とさつきの身体が震える。

恐怖と、怒りの混じった感情をブレンドさせて。


「そんなっ、どうして決めつけるのよ! 分からないじゃないやって見なきゃ! どうしてそんな簡単に諦められるのっ!?」


さつきは半ば衝動的にそう叫んで、晶に詰め寄った。

彼女の潤沢を失わない黒の瞳が近い。

さつきはその瞳に、一抹の寂しさのようなものを感じ取って。


「決めつけてなんかない。さつきさんは、これを見てもまだ同じ事が言えるの?」


それは、怒りを押し殺したような晶の呟きだった。



「……っ!」


その瞬間、押し殺したものを代弁するみたいに晶の身体から蒼いアジールが吹き出す。


―――触れたものを眠りに誘う力。


それを体験したのはさつきだったのか弥生だったのか。

だけど確かに同じ感触を受けた記憶がさつきにはあって……。

抗うことのできない強烈な睡魔とともにさつきの心の内に入り込んできたのは。

絶望呼び覚ます誰かの記憶だった。



―――かの氷が封印するのは、忘れたい記憶。


それが誰の言葉だったのかさつきには分からなかったけれど。

さつきは確かに目の当たりにしたのだ。



この世界の結末、完なるもの。


その答えを。





          ※      ※      ※




「……これが、わたしの伝えたかったこと、そのものだよ」

「……」


夢の中のさらに夢の世界から帰ってきて。

さつきは、哀しげに呟く晶に返す言葉を持ち合わせてはいなかった。

真実を知ったさつきの表情は、まさに臨終間際のコード・ブルーといってもよかったのかもしれない。



「こんな……こんなのって。どうしようもないじゃないっ」


ややあってさつきの口から紡がれたのは。

悔恨に似て非なる、そんな呟きだった。

『パーフェクト・クライム』の正体を知るものはその命を失う。


何も知らない頃だったのならば眉唾物だと笑い飛ばせていたかもしれない。

真実を知ることでそれは確かに正しくはないことだと理解はできたけれど。

抗いきれない絶望を知るという意味でなら、それは正しかったのだろう。


実を言えば、さつきは『パーフェクト・クライム』その人のことを多く知るわけではなかった。

単純に『パーフェクト・クライム』を止めるというだけならば。

非情にさえ徹することができれば可能だろうとさつきは思う。


第一の救世主だったかの天使も、それは分かっていたのだろう。

だけど彼女すらも、それを成すことはできなかった。


さつき自身だって、それは無理だと今は確信してしまっている。

『パーフェクト・クライム』が何故その名で呼ばれるのか。

すべての答えはそこにあるのだ。



それは完封なきまでの絶望。

完なるものが君臨する世界は放っておけばいずれ滅びてしまうだろう。


たが、世界のためにと『パーフェクト・クライム』を滅ぼしたとしても結果は変わらないのだ。

いや、変わらないどころか世界はもっと惨たらしく滅びを迎えることになりかねなかった。


『パーフェクト・クライム』の事は知らなくてもそのことだけははっきりとさつきにも分かる。


完なるものを殺すことは、青空の腑を引き裂いて終末の赤い空に変える行為にほかならないのだと。



晶がさつきに伝えたかったこと。

それがこの絶望感だったのだろうか?

だとしたらなんの意味があったのだろうとさつきは思わずにはいられない。


それはさつきが知ることでどうにかできる範疇を超えていた。

ただのまがい物のさつきには何もできることなんかないんじゃないかって、そう思っていたけど。



「『喜望』のみんなも、『パーム』のみんなも真実を知った人はみんな絶望にうなだれるしかなかった」


唐突に、まだ話には続きがあるとばかりに晶は言葉を続ける。

絶望にうなだれるもの。

晶の言う言葉の真意にまでは理解が及ばぬままに、さつきは顔を上げた。

それはただ、自分のことを言われたような気がしたから、という意味合いでしかなかったけれど。


「……でもね、たった一人だけ、その諦めるしかない絶望の中にいて、諦めなかった人がいたの。その人は、誰もが首(こうべ)折れる状況の中ただ一人顔を上げて笑ったんだって。これでどうしようもない心うちの空虚を埋める事ができるって、本当にうれしそうに」

「……っ!」



それは……絶望の淵から目を覚まして息を吹き返すかのような衝撃。

さつきは知っている。

その人が世界はつまらないものだと、いつも嘆いていたことを。



知らず知らずのうちに、さつきは涙をこぼしていた。

それは、救われたことの証だ。


晶の言ったたったひとりの諦めなかった人。

その人が諦めないと笑うのならば。


世界はきっと救われる。

さつきはそう確信していたからだ。


晶がさつきに伝えたかったのは、このことだったのだろう。

そこでフラッシュバックするのは……晶がはじめに言った言葉だった。



「救う方法があるんだね、この世界を。そのために、私たちは生まれてきたんでしょう? この世界に」


涙混じりのさつきに、はかなくも美しい笑みを浮かべた晶は、ただ頷いて。



その瞬間。


二人は悠久なる青の世界にのまれるように消えていった。



それぞれのその使命を果たすために。


誰にも気づかれることなく……ひっそりと。



            (第245話につづく)






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