第245話、典型的紋切り型ヒロイン、悪役に向いてない事に気づく
形勢逆転。
それは、断然有利になったはずの幸永が後悔するほどにあっさりと訪れた。
三対一という人数差は確かにカーヴ能力者同士の戦いにおいて圧倒的不利になろうことは必至であったが。
相手……小柴見美里は先刻の羅刹紅との多対一の人数をものともしなかった剛のものなのだ。
だから、セオリー通りになどいくはずはないと幸永は思っていたのに。
「……ぐっ」
みしりとしなる弓。
美里は、弓を水平に構えるようにして……緑光溢れる手刀と残光の影疾る仕込み刀を受け止めたが。
もはや満身創痍といった感じであった。
それも無理はないのだろう。
何せ美里はこの三対一の戦いが始まってからというもの、攻勢に転じることができず防戦一方だったのだから。
【喜望】に所属するものとして纏う、伸縮防御性に富んでいるはずの制服はあちこちが避け、痛々しい。
それでも、五体満足で大地を踏みしめ、隙を伺おうとする幸永を警戒し続けていられたのは、ひとえに美里の能力のおかげだったのだろう。
受けた刀傷をよくよく見てみると、そこから白緑のアジールが立ち昇っているのが分かる。
それこそが、【美繰引狭】サード、健魂の三擲。
そう呼ばれる遅効性カーヴの力が働き、美里の傷を癒しているからなのだが……
今までの美里ならばそれを使役しているそぶりすら幸永に見せようとはしなかった。
なのに、今はそれが手に取るように分かってしまう。
つまりは、それだけ美里に余裕がないからなのだろう。
だが、そんな美里の狼狽ぶりは幸永の予想を遙かに凌駕するものだった。
目の前にいるのは、幸永と同じパーム(六聖人)の一員である東寺尾柳一の能力、【逆命掌芥】ファースト、サブティクションによって生み出された偽物だった。
ひとりは、美里のファミリアであるタクヤ。
もう一人は、美里の姉だという小柴見あずさと言う人物。
誰だって敵が知り合い……しかも仲のいい人物の姿をしていたら、刃を向けることに多少なりとも躊躇するだろうことは幸永にも分かる。
だがそれでも、美里の狼狽えぶりは幸永に異質なものとして映った。
何故ならば、幸永は美里に対して目の前にいる二人が偽物であることを宣言していたからだ。
それなのに、美里はまるで信じられない、幽鬼を目の当たりにしたかのような驚愕の表情を浮かべている。
目に見えて幸永にも伝わってしまうような、激しい混乱に陥っている。
(聞いてないぞこんな話はっ)
美里をここまで動揺させるものは何なのか。
このとっておきを使えば幸永の目的は達成できる。
そう言われるがままにしてきたが。
幸永の預かり知らぬところで、巧みに相手の弱みにつけこむその手腕に幸永は潜在的な恐怖を覚えずにはいられなかった。
もしかしたら、偽物だと手の内をさらす幸永の甘さすら計算に入れてのとっておきだったのかもしれない。
手のひらの上で転がされるというのはこういうことなのだろうかと幸永は思う。
もしかしたら本当に戦うべき相手を間違えているんじゃないかと。
だがそれも、戦いの最中においては言い訳のきかない幸永の油断だったのだろう。
幸永が美里の隙を伺っていたように、美里も幸永の隙を伺っていたらしい。
偽物ふたりの苛烈な攻撃をバックステップで一瞬だけやり過ごした美里は。
その僅かな隙をついて幸永に矢を放った。
はっと我に返る幸永。
能力の発動は間に合わない。
咄嗟に、身を守る盾としてはあまりにも心ともない鉄笛を構えた幸永だったが。
それを躊躇いもせず止めたのは、とても偽物とは思えない少女の手のひらだった。
「あっ……!」
飛散する赤い血潮。
びくりと震えた声を発する美里。
その視線の先には、美里の姉だというあずさの偽物がその長い長い小麦色の髪をはためかせている。
「情けをかければ死ぬのはあなたよ。この子は天才なんだから。凡人の私と違って優秀なの。天使だろうが何だろうが躊躇いもなく殺せるんだから」
初めて聞く、どこか誇らしげな少女の呟き。
それが、幸永自身に向けられた言葉なのだと理解するのにしばらく時間がかかった。
何故ならば、言葉面はそうだとしても、その意味は目の前の美里の心を抉る言葉に他ならなかったからだろう。
「ほんとうにお姉ちゃんなの? なんで、なんでみさとはお姉ちゃんのこと忘れてたのかな……」
だが、あずさの偽物の言葉を、美里は否定しなかった。
代わりに美里の口から出たのは、幸永が端から聞いていて理解しがたいものだった。
相変わらず何かを恐れ、戸惑っている。
幸永が二人のやりとりでかろうじて理解できたことは。
美里がこれほどまでに狼狽えているその理由が、姉妹だろうと誰が見ても分かる、
あずさという少女の偽物のせいである、ということくらいだった。
「ははは。美里さんも人の子だったってことですよ。自分のせいで大切なお姉さんが死んでしまったなんて記憶、誰も覚えていたくなんかありませんからねぇ」
「……」
聞き覚えのあるトーン。
幸永がここに来て初めて会った、あの優しげな青年の声。
だけど何かが根本的に間違っている。
偽物だと分かっているのに、幸永ですら激しい不快感を覚えずにはいられなかった。
この紅の力は、対象の性格や心理を反転させたものだと幸永は聞いていた。
その時は、その言葉面でしか判断材料がなくて、その力のことを心底嫌がっていた友人……怜亜の話を聞いても、幸永自身はあまり実感がなかった。
だけど、実際それを目の当たりにして嫌悪感を隠そうともしない友人の気持ちがよく分かるような気がした。
優しさとはほど遠い卑下た声のはずなのに、どこか真に迫っている。
何かが決定的にかけている冷めた笑顔のはずなのに、顔を背けることができない。
おまえは偽物だと声を上げて断罪することができないのだ。
なぜそう思うのか。
このもう一人の自分を作り出す柳一の能力の本当の怖さを知らない幸永には分からないだろう。
確かに何も知らない他人が見れば、偽物は偽物だ。
性格が違えばそれは顔に出る。
こいつは偽物だと、決めつけることができる。
だが、その偽物が目の当たりにした人にとって、近い場所にいる知親であればあるほど、その上辺の感覚が曖昧になってしまうのだ。
紅によって創られた偽物は、実のところ何もかも正反対というわけではない。
複写したオリジナルの持つそれまでの人生の記憶に感して言えば、ほぼ同じものを持つと言ってもいいだろう。
その点が、偽物を目の当たりにしたものたちの心を惑わすのだ。
たとえ偽物だと分かっていても。
目の前の偽物と同じように、本物も同じ事を思っているんじゃないかと錯覚させるのだ。
何故ならば。
ほとんどの場合において、どれだけ通じあった間柄であろうともその心内までは分からないからだ。
「ほんとなの?」
うつろに見上げる弱々しい美里の呟き。
二人の会話は幸永の及び知るものではなかったけれど。
言われた美里には心当たりがあったのだろう。
肯定の問いかけは、最早タクヤの偽物の言葉を信じ始めているようにも見えて。
思わず一歩踏みだし、何かを言いかけていた幸永は、はっと我に返って唇をかんだ。
(何だよ、何をしたいんだよオレは……)
目的を達成するためにはここは口を挟んでいい場面じゃないのに、無意識のままに幸永の体は動いていた。
やめろって叫びそうになっていた。
「……それは、美里さん自身が一番分かってるでしょう?」
幼い子供に言い聞かせるみたいなタクヤの偽物の声。
美里じゃないけれど、まがりなりにもタクヤと拳を合わせたことのある幸永には、
その声が戦慄を覚えるほどに嫌な音域として届いた。
打ちのめされたかのように俯く美里。
それは絶好のチャンスだった。
だけど幸永も動けない。
こんなものは自分の望んでいたものなんかじゃない。
そんな怒りにも似た感情に支配されていたからだ。
「まぁ、でも。そんなことはどうでもいいんです。ひとは忘れなければ生きていけない生き物なんですからねぇ」
そこにさらに追い打ちをかけるような、タクヤの言葉。
美里はのろのろと顔を上げる。
懺悔を待つかのように。
「どうでもいいのはあんただけでしょ。でもまぁ、本題はここからなのよ。私のこと思い出してくれたんだから、そろそろ私たちを解放してくれないかしらって、お願いに来たの」
「解放?」
割り込んできたあずさの偽物のその言葉。
美里はあまり理解していないらしく、虚ろに反芻している。
「美里さんとのファミリア契約のことですよ。死んでしまったものを無理矢理ファミリアにしてしまう、趣味の悪いあれのことです」
「私たち死を奪っておいて、当の本人はそのこと忘れてるんだものねえ? ほんと都合のいい能力だわ」
ニヤニヤと笑顔を浮かべながら。
悪辣な言葉のナイフで美里を傷つける二人。
「……っ、みさとは、むりやりにっなんかっ!」
そのやりとりの中に、美里の感情……そのうちの何かを燃やす火種があったのだろう。
翠緑の瞳に理性の炎を宿し、美里が叫ぶ。
「本当に? 本当にそうでしょうか?」
「……っ、あっ!?」
だがそれは、偽物であるはずのタクヤも同じだったらしい。
それは、怒りのような憎悪のような感情だった。
ひゅっと音を切り裂いてタクヤの手刀が美里を襲う。
それを、弓を立てて防ごうとした美里だったが、一太刀だったはずの緑光が撃ち合いの瞬間に五つに別れ、弓を縫うようにして美里を襲ったのだ。
舞う金糸と、バラバラとはじけて吹き飛ぶ美里が腰につけていた魔精球。
「美里さんは僕に言いましたよね? タクヤは一生、みさとのファミリアだって。
そこに僕の意志は介入していません。違いますか?」
「……っ!」
それが決定的な一言だったのだと、幸永にははっきりと分かった。
だらんと美里の両手が落ちる。
「死んで、僕たちを解放してください」
「あ~あ、しんどかった。これで自由になれるのね」
それは致命的な隙だ。
タクヤの手刀が、あずさの仕込み刀がギラリと光る。
「ちっ!」
このままではまずいと幸永は駆け出す。
その左手に、すべてを終わらせるだろうとっておきの力を沸き立たせて。
それは、まさしく真闇のプロミネンス。
偽物の太陽など比較にならない本物の闇だった。
燃え盛る炎のようなその闇は、やがてあるべき姿へと変容を開始する。
辺りの闇に、浸透し始める。
それを世に具現化せんと、魂(こころ)に流れ出すフレーズを口にしようとして……。
(第246話につづく)
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