第232話、いいわけして夢に背を向けるもうらしきもの


「トゥエルっ!」


かちりと戟鉄の音でもしたかのように何かがはじけた気がした。

心の奥底から湧き出るその感情に、その時確かに仁子は我を失っていた。

仁子は絶叫に近い声でトゥエルを呼び出し、『パーフェクト・クライム』を追いかける。


『パーフェクト・クライム』の飛翔速度があまり早くなかったのか。

仁子の気持ちが勝ったのかどうかは分からない。


ぐんぐんと迫る背中。

それなのに、『パーフェクト・クライム』は気にする気配すら見せなかった。

ただ、知己だけを見ている。

それは、へたり込みおののく知己も同じで。

その黒光りする爪を降りあげるようにして、今まさに知己へと覆い被さらんとする『パーフェクト・クライム』。



「……さないっ!」


その瞬間、はじけたおどろおどろしい炎が苛烈に勢いを増すのを理解した。


だから、その暴力的な感情をそのままぶつけるかのごとく。

仁子はそんな二人の間に驚異的なスピードで割り込んで。



あまりにもあっけなく、滑稽で白々しい芝居のように。

青光するトゥエルの刃が、根本から『パーフェクト・クライム』の腹へと突き刺さった。



「ギィヤァァァッ!」


鼓膜をつんざく『パーフェクト・クライム』の断末魔の叫び。


「……っ!」


しかし、流石は『パーフェクト・クライム』、と言うべきなのだろう。

その身体をトゥエルに貫かれてなお、『パーフェクト・クライム』は手を伸ばすのをやめなかった。

羽ばたき進む意志を止めなかった。


仁子はそんな『パーフェクト・クライム』に言い知れぬ不快感を覚えた。

それは、致命傷を受けてさえその瞳に仁子を映していなかったからだろう。



「許さないと言った!」


仁子は自分の口から出るその憎悪にまみれた言葉を他人事のように聞いていた。

さらに、仁子の身体は、理性とは別の所で深く一歩踏み込む。

瞬間、いくつにも増えたトゥエルの刃が、根元まで『パーフェクト・クライム』の身体に潜り込み、その背を突き破る。


お互いの距離は触れるほどに近い。

貫いた刃は、黒の翼を散らして。

仁子の身体を赤い血に染めていく。



仁子は、それをただ受け入れていた。

これで邪魔者がいなくなったという安心感と喜びに笑みすら浮かべて。




……と。

『パーフェクト・クライム』は。

そこでようやく仁子にその瞳を向けた。

それはあまりに近く、逸らすことはできない距離。


『パーフェクト・クライム』は泣いていた。

それはまるで七色に光る宝石のよう。

宝石は、涙となって仁子の頬に落ちる。

それがあまりにも冷たくて。



「あ……」


大罪の一つである黒い炎が消える。

その炎に身を焦がし我を失っていた仁子は、そこでようやく我に返る。



「な、なんでこんなっ!」


これが本当に自分が望んでいたことだなんて……仁子は認めたくなかった。

慌てて離れようとする仁子。

しかし、覆い被さる『パーフェクト・クライム』の身体は離れない。

仁子の繰り出した死の刃が枷となって。


仁子はやっきになって身じろぎする。


すると。

それがとどめになってしまったのだろう。

『パーフェクト・クライム』は一度だけびくりと跳ね上がり。

まるでそれが定めであるかのように、霞となって帳が降りはじめた闇に同化していく……。


仁子はそれをただ呆然と見つめていて。

息をのむ気配がしたのはその時だった。

熱に浮かされたまま仁子は振り返る。


そこには知己がいた。

自然と仁子の顔が青ざめていく。


「兄さん、違うの、これはっ」


白々しい弁明は仁子の口から勝手に紡ぎ出される。

ただ、知己に嫌われたくなくて。

自分の醜い部分を知られたくなくて。


「何が違うんだよ? 凄いじゃないか! あんな化け物をやっつけたんだぞ? さすが己の妹だよな!」


それなのに。

返ってきたのは予想に反した知己のそんな声だった。

そしてそのまま、ぎゅうと抱きしめられる。


「あ……う……」


されるがままの仁子。

根本的に何かが間違っていると理解しているのに体は動かない。

だが、それが良かったのか悪かったのか、何かに気づいた知己は顔を上げ仁子から離れた。

遠くから知己と仁子を呼ぶ見知った声は弥生のもの。


「お、みんな無事だったみたいだな。よかった~。待ってくれ今行く!」


駆け出す知己。

見上げればそこには笑顔の仲間たち。

弥生や美里、『喜望』のみんな。

青空の家の子たち。


「何してるんだよ、みんな待ってるぞ、早く来いって!」


あっという間にみんなの輪に合流した知己は、笑顔で仁子を手招きしている。


それはまさしく。

仁子が望んでいたもので。

自然と仁子の足は砂を蹴る。


だけど仁子の足は。

『パーフェクト・クライム』が霞と消えたその場所で止まった。


骨すら残さず消えていった『パーフェクト・クライム』。

だが、すべてが消えたわけではなかったらしい。




―――おぉ、愛しい我が妹君よ、御身の貴重な助言を賜りたいのだが。



ふと仁子の心に響いてきたのは、ご機嫌な兄のそんな言葉。

仁子の過去の記憶。

仁子はそれに馬鹿じゃないのってにべもなく言葉を返して。

でもやっぱりなんだかんだいって話を聞いて……。



砂にまみれちぎれ落ちていたのはピンクと緑のストライプだった。

それが必ずしもいいものとは限らないけれど。

兄との思い出の色。


はっとなる仁子。

笑顔で手を振る兄は、これに気づかなかったのだろうか?

たぶん気づいていないんだろう。

これが仁子の夢ならば。

きっとなかったことにするはずだろうから。



「……今の言葉、あなたなんでしょう? トゥエル」

「……」


仁子は完全に足を止めて。

その手にある相棒に呼びかける。

陽炎めいた天使の姿に戻ったトゥエルは沈黙を保つ。

それは肯定の意でもあり、止まる事への躊躇いの証でもあった。



目の前にあるのは、仁子にとっての幸せな夢だ。

仁子を守る事を第一にするトゥエルにしてみればそれは享受すべき事なのだろう。

本心ではその先に幸福などありえない現実に留まることを望んではいなかったのかもしれない。


でも、それでも。

トゥエルは仁子を止めてくれた。


目の前に広がるその夢が。

仁子の独りよがりなものであると言うこと。

間違っていると教えてくれたのだ。

ただ、仁子のために。


「最低ね私は。こんな夢を望んでいたなんて」

「……」


フラッシュバックするのは、『パーフェクト・クライム』の涙だった。

誰かが笑えば誰かが泣くことになるのは、正しくも現実なのかもしれない。

これが夢であればこそ、幸せが誰かの犠牲でなされるなんて事、認めたくなかった。



「ごめんね。トゥエル。私はいいわけして自分の不幸に酔うのが好きみたい」

「……」


自嘲めいた仁子の言葉に、やはりトゥエルは答えない。

ただ無表情のまま、寂しげに揺らいでいる。

仁子にはそれが、自分のために泣いてくれているようにも思えて。


そんなトゥエルに申し訳なく思いながら。

望んではいけない夢へと背を向ける。

慈悲のない……だけど正しいと思える現実に向かって歩き出すように。


すると仁子を呼ぶ知己の声は、聞き取れない魑魅魍魎の叫びとなって。



気づけば仁子とトゥエルは。

冷たい風の吹きすさぶ無機質な現実へと戻ってきていた。


目の前にあるのは無骨な鉄壁と色気のないビスの打ち込まれた螺旋階段。

背後から立ち昇るは、異形の喧騒と悪来。

牙撃となって仁子の右手に収まるトゥエルの警戒に習って、仁子は振り向く。



「なるほど、そういうこと」


鉄の地面は、清水の踊り場のように先がなくなっていた。

舞台の向こうにはまさしく魑魅魍魎めいた紅たちがひしめいている。

あのまま夢を選んでいたら、どうなっていたかは想像に難くない。

きっと、さつきやちくまたちも似たような目にあっているのだろう。


「急いだ方が良さそうね」


仁子はそう呟き、横手にある鉄階段をかけ降りてゆく。


仁子には一つ算段があった。

氷の力にとらわれたカナリたちの限界が三日であるならば。

それより先に最下層へとたどり着き、逆走してほかの二人を助けると言う算段が。


赤いダルルロボはそれに関しては禁止していなかったし、まだ一日も経っていない。

そんな仁子の目論見は間違ってはいなかったのだろう。


たが、仁子は気づいていなかった。



自分よりもほかの二人が最下層に辿り着いてしまうかもしれないという……その可能性を。



             (第233話につづく)







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