第三十章、『AKASHA~世界の始まりのように~』
第233話、物語が始まる前に、さわりの部分を
―――それはうつつか幻か。
信更安庭学園に佇むはつくりものの巨人。
その名を《プレサイド》と言った。
子供の夢にも等しい玩具めいたそれの使命は、正しくもかの創造主が切なるものを守ることにあった。
そのために巨人がすることはただ一つだけ。
やがて地上に落つる黄昏の届かない、深く蒼い果ての場所へ向かう。
巨人はそのためだけに、自らの足で歩みを進める。
だが、しかし。
ようやく目覚め、意気揚々と歩き始めたその時突然に……巨人はその動きを止めた。
「生ける贄にはなりえない……ね。柳一君は嘘を言ってなかったわけだ」
《プレサイド》の創造主であり、そのものでもある男が呟く。
どこの部屋ともつながっていない創造主の間。
『脳』の胎動する暗闇の中、煌々たる外界の様相を映し出した光に照らされながら。
男……鳥海剛司(とりうみ・こうじ)の呟く様は、微々たる感心の色を覗けば狂気しか存在していないように見えた。
その瞳には、絶望の底までたたき落とされながらも、心壊れながらも、進むことをやめないギラギラとした強い光がある。
自身を正義と疑わない、そんな強い意志が。
「代わりの贄をたてなくちゃいけないじゃないか……」
剛司は、言葉ほどには焦りをにじませることなく、品定めするかのように外界の景色映す光を見つめた。
「あぁ、でも別にひとりじゃなくてもいいんだ」
《プレサイド》が歩みを進めるためには、膨大な力が必要になってくる。
自然界にあるだけでは足りない。
だが、
それを利用しない手はないだろう。
剛司は、獲物を求める肉食獣の目で光を見据えた。
その力で司の体組織をガン細胞のように変質させようとしたものを。
目の前にいるのが自らを滅しようとする白血球であると知らずについてきたものを。
脳に近い脊髄で好き勝手暴れるものたちを。
剛司はまさしくこの世界の神のごとく。
無慈悲に弄び捕らえた。
剛司はただそれを楽しそうに見ていたのだが……。
「……あれは」
息をのむ剛司。
それまでただ狂気に染まっていたその瞳に、一抹の理性が宿る。
それは、父親の目だった。
その視線は、煌々と照らされる光……モニターのような外界の景色を映し出すものの一つに注がれていた。
母譲りの純白の翼と、青とも紫ともつかない瞳。
父譲りの、緻細で芸術めいたウェーブを靡かせる栗色の髪。
「まゆ……どうしてっ、どうして君がここにっ!?」
叫びとともに解き放たれるのは、すさまじいまでの動揺と狼狽だった。
何故ならこの世界は。
彼女の死によって創りあげられたものに他ならなかったからだ。
「そんなわけがないっ、まゆが生きてるなんてっ!」
それは何より求めていたことだったのに。
剛司の口から出たのは否定の言葉だった。
「そんなはずはないんだっ! 僕は君を死なせてしまったと思って! はるさんにひどいことを……っ!!」
叫びはやがて慟哭となって言葉にならない。
それは最悪な連鎖だった。
もし目の前に広がる光景が事実であるならば。
剛司は自分の勘違いで自分の一番愛する人を殺してしまったことになるのだから。
「認めない……あれは偽物に決まってる! あぁ、そうか。柳一くん君の仕業だね。
分かった、よ~く分かったよ。その化けの皮、はいであげよう」
ねじれた螺旋、狂気を越えた何かをその目に宿して。
「……ああ、これはいい。ちょうどいいじゃないか。さすがだね僕は。うまい具合に邪魔ものがいなくなってる。僕は可愛いものが好きなんだ。きっと楽しい楽しい舞台になるよ。今からわくわくしてきたよ」
剛司は笑う。
本当に楽しそうに。
目の前に広がる光を眺め、恍惚と。
もはや、何が目的だったのかも忘れて。
ただ、その物語の幕が上がるのを待っていた。
残酷なほどに無邪気な、子供のように……。
※ ※ ※
「ふぅっ。なんちぃっ、僕ってこんなに体力なかったのかっ」
そんな愚痴が言えるだけまだ意外と余裕あるのかも、なんて思いつつ鳥海白眉(とりうみ・まゆ)は走る。
一向に諦めの気配などない追っ手の勢いはまるで台風のような悪意の塊だった。
それは、ただの追いかけっこじゃない。
鬼は捕食しか考えてないような話の通じない奴らだっだ。
緊張のあまり息も切れるというものだろう。
捕まれば惨めですまないかもしれない。
最悪の結末を思い浮かべ、まゆは震えた。
冗談じゃない。
こんな儚くも可愛い天使があんな生きてるのかもよくわからないヤツらの慰みものになるなんて夢見が悪すぎると。
「自分でっ……言うなって!」
背中の翼のせいかもとより羽のように軽いせいなのか。
気を抜けば風に流されて吹き飛ばされそうな身体を根性で抑えつけ、まゆはとにかく走った。
それに気づけたことが結果的によかったのかどうかは分からないが。
『奴ら』は、どうやらまゆに用があるらしい。
かなりの数でまゆを追いかけ回している。
「しんどいっ。でも、これはこれでっ」
嘘つきなこと、言えなかったこと。
罪悪感と後悔。
怖くて悲しくて耐えられなくなって。
これ以上のめり込めば、傷が取り返しもないくらい深く残ることが分かっていたから。
まゆは逃げ出した。
ただただ、自分のためだけに。
だからきっと、きっとみんな怒ってるだろう。
悪いのは全部自分自身な訳で、許してもらおうとも思わない。
でも、まゆがこうして奴らを引きつけておくことでみんなの苦労が少しでも減るのなら……ほんの少しだけ気は楽だった。
しかも、追いかけっこの終着点はもうすぐだ。
後一息。
元々出すぎた真似だった今を終わらせることができる。
自分本来の傍観者たる使命に戻ることができる。
―――本当にそれで君は平気とね?
天使の君が少しでも好ましいと思ったひとたちを見殺しにするんだよ?
「……つっ」
自分の中のそれらしい正義ぶった言葉が、ぎりと心に釘を差す。
だけどまゆはそれを無視してスロープのように細い螺旋階段を駆け下りた。
そんなこと分かっている。
それが天使にとって死ぬことより辛いってことくらいは。
でも、逃げ出さなくたって結果は同じ。
ただひとつ違うことがあるとすれば……
まゆに一生消えない傷が残る、と言うことだろう。
ようは自分が可愛いだけ。
つい最近まで知らなかったとはいえ、ずいぶんと利己的な天使もいたものだとしみじみ思う。
思わず出る苦笑。
それはきっと、不似合いにも程があることは、鏡なくても容易に知り得たわけだが。
やがてまゆはこの世界……《プレサイド》と呼ばれるらしい異世の最下層までたどり着く。
そこには学園長室が洞窟に作られたグスクのように座していて。
お節介と好奇心は自重しなくては痛い目を見るものなのだと、ほとほと思い知らされた時。
「……っ、さすがはお父様。娘のする事なんてお見通しですか」
思わずついて出たのは、心底うんざりしたそんなぼやきだった。
翼の隙間に流れ落ちるは嫌な汗。
自然と進みかけていた足が後退の命令に従ってじりりと下がる。
まさしく学園長室をふさぐ壁のように。
まゆの前にたちはだかったのは、恥ずかしげもなくシースルーな感じで体の中の赤い臓物を晒してる氷でできたゴーレムたちと。
カラフルな色合いでありながらプレデターさながらの鼻息をたててる、たくましすぎてむしろ暑苦しい体躯をもつ犬たちだった。
こんな歓迎はRPGの中だけでいいというか。
カーヴ能力者デビューから一週間足らずのひよっこにはいくら何でも厳しすぎだと、ぼやくまゆ。
「な、なんばしょぉっ! 本気、本気なのっ!?」
と、まゆに気づいたモンスターたちが、問答無用で戦闘態勢に入る。
氷ゴーレムの手には野菜超人も真っ青な光の塊とか、斬首のためにありそう物騒な赤い刀とか、鉄笛とかギターとかが握られていて。
大きすぎるコーギーとかシェルティーとかボルゾイが一斉に低い体勢でうなり出す始末。
「あぁ、もうっ! 後少しなのにっ!!」
止めなさいと起こられた舌打ちだって出ようと言うもので。
覚えたての白黒のアジールを沸き立たせて、まゆは両手のひらにひとつずつ白い輪を出現させる。
「……【秘枢拍来】っ!!」
使い方だけは分かるけど原理はさっぱりなそれをがちっと打ちならしまゆは叫ぶ。
タイトルなどという力ある言葉。
未だに慣れない……と言うかこっぱずかしいのはまゆが素人だからなのかもしれないけれど。
そんな事を考えていたからなのか、白い輪から出てきたのは場違いなほどのコミカルな音楽とクラッカーの弾ける音だった。
「あーっ、やっぱだめじゃん!」
結局それはモンスターどもの注目をより集めただけで。
さらに悪いことに戦闘開始の景気付けになってしまったらしい。
きっと、一つでも食らえばあの世行きかもしれない様々な力がまゆ目掛けて飛んでくる。
「うわうわうわっー!?」
まゆは進むことも戦うことも諦めて来たばかりの階段を駆け上がる。
なのに力の奔流はまゆを追うのを止めなかった。
迫りくる炎に、光に、訳のわかない何かから逃れるように必死に翼をはためかす。
自分自身お飾りだと思っていたそれは、身の危険を悟ったからなのか思いの外働いてくれた。
軽い体は難なく宙を舞い、螺旋をぬって上階に達する。
「ほ、ほんとに容赦なしだよっ」
その手加減のない仕打ちに不安が募る。
その見境のなさに、黙って置いてきた妹……恵の顔が浮かぶ。
皮肉なことに浮かんでくるのは泣き顔ばかりで。
「……一言くらいいっとくべきだったかな」
呟いたのは後悔とそれによる油断。
自分が今まで追われていたことへの失念。
「……っ、あっ!」
咄嗟にできたのは、翼を含めた急所を守るために体勢を変えることだけだった。
右腕が爆発したような痛み。
ずる賢い割にテンパるのも早い。
そう言われるくらいなんだから、その一撃で恐慌に陥るのも当然だったのだろう。
自慢にもなりはしないが、まゆは飛び続ける根性すら失ってそのまま落下した。
元々軽いせいか、その衝撃がたいしたことなかったのは幸だったのか不幸だったのか。
「仕事早いとね。もう囲まれてるし」
前も後ろも見分けのつきにくいモンスターだらけ。
恐る恐る右手を確認すれば、玉のお肌にそれはもう見事な傷がついていた。
矢までちゃっかりそこにあって。
抜いたら血が噴水のように吹き出るのだろうと考えたら目眩がしてきて。
何とも調子がいいのか、認識したとたんにずきずきと痛みが強さを増しながら一定のリズムを刻んでいて。
弱いからこそ、一気に萎える。
自分の根性なしが露呈される。
「……もう、ゴールしてもいいよね?」
思わず全身の力が抜けてへたり込んで。
ある意味天使の最後にふさわしい、そんな一言。
口にしつつ、なんとなく半笑い。
この期に及んで意外に余裕あるじゃないかなって。
思ったせいもあるだろうが。
「馬鹿言わないでよっ!」
その時聞こえてきたのは。
もうずいぶん昔から友達であるかのような。
気の置けないそんな声だった。
この巨人の内なる世界で最初に出会った、怜亜と言う名の少女の声。
たぶん、意外と余裕があったのは。
何となくそんな気がしていたからなんだろう。
「【結清妖化】セカンドっ! ドルフォエールっ!! 」
「【紅月錬房】ファーストっ、ダイヤ・イシュトっ!」
続くのはユニゾンする二つの声。
顔を上げれば、そこには真澄と塁の凛々しい姿があって。
突如として生まれいでた透き通る水のくじらがモンスターどもの真っ直中で華麗なアクロバティックを決めて。
その隙にまゆ達の周りにダイヤモンドのサークレットが守り現れる。
「……お願い、叶えてもらってないんだけどー?」
「まゆちゃんの行動なんてお見通しだもんっ!」
ジト目の美冬と、本気で怒ってる感じの正咲。
「お姉ちゃんっ!」
「みぎゃっ」
大泣きのままでとどめ、抱きついてくる恵(リア)。
……なんでみんなしてこんなところに来るのさ。
自分を棚に上げて、みんなの好き勝手さに呆れる。
でも、それがなんだかちょっとうれしくて。
それ以上に悲しくて。
(何でこんなことなっちゃったんだろうなぁ)
まゆは、その意識をあっさり手放すその瞬間に。
しみじみとそう後悔するのだった……。
(第234話につづく)
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