第二十章、『落日~君は歌ってくれた~』

第146話、制御できない力が運命を変えてゆく


沢田真琴のやりたかったこと。

ある少女……稲葉歌恋の見る悪夢を消し去ること。


それだけだったはずなのに。

かつて『うず』先生のもと、仲間として、友達として、深くかかわりのあったまゆたちがこの町に来ていることを知り、その手伝いをすることになる。

 


そして、手伝いをしていくうちに。

失った友達の夢を、残滓を見つけたのは果たして偶然だったのか。


真琴の行動理念は、一貫した方向性のない、子供じみたものといえばそうだったのかもしれない。

友達のためにここに来て、友達のために手助けをして、友達のために怒った。


無邪気な正義、と言えばそれまでなのかもしれない。

真琴がやらなければ、ほかの誰かが傷ついていたのも確かだっただろう。

この戦いにまみれた世界において、それは罪を感じるものではないはずだった。

 

だけど真琴はその行動によって、つついてはいけない薮をつついてしまったことに、気づかなかった。

『パーフェクト・クライム』と言う、絶対に触れてはいけない、闇の領域に入り込んでしまったことに。

 




「ひどいワ~。あなたがイジメルから彼、消えちゃった! じゃな~い」

「…………こふっ」

 

だが……気づいた時にはすでに遅く。

音も、気配も、仕草すら気づかずに。

真琴は梨顔……いや、もうそれは梨顔ではない別のなにかが、差し伸べるように無造作に突き出された腕によって、身体を貫かれていた。


カーヴの力を感じさせず、アジールを感じさせず。

夏の気配の感じられる、この現実の世界で。

 


「へえ、人間みたいなリアクションするのねェ?」

「……っ!」


その腕は、内臓まで達していたのだろう。

激しく吐血する真琴に、それは子供をほめるような仕草で笑って見せた。



どうやら、自分が『ファミリア』であることにも、気づいているらしい。

真琴は、相手の言っている意味に気づいて青くなったが。

身体を貫かれたままでは身動きもとれなかった。



「このままあなたには死んでもらうんだけど~、あなたの主はどこに隠れているノ? ワタシを知った以上、殺さなくちゃならないんだケド」


真琴は薄れ始めた意識の中で、戦慄する。

それを知られるわけにはいかないと。


「病院……金箱病院の中にいるんでショウ?」

「ぐっ……ぅぐっ!?」


だが、目の前のそれは、そんなわずかな抵抗すらさせてはくれなかった。

初めから知っていて、そんなことを言ったのだろう。



「ダイジョーブ。深花の子のあとに、ちゃあんと殺してあげるカラ」


ゾッとした。

それは、現実の世界だろうがなんだろうが、ためらいもなく人を殺す。

まさに『パーフェクト・クライム』そのものだと。

わかりすぎるほどに分かってしまったから。



(……どうしよう、どうすればいいの!?)


真琴は考える。

自分が消えれば、それは主にも伝わるだろう。

だが、それ以上に今、やらなくてはいけないことがあるような気がした。

真琴は必死に考え、それを実行する。




「あ、アナタ! 何してるノっ!!」


それまで気持ち悪いくらいだった裏声が、狼狽の色に変わる。

真琴が、自分の力を……アジールを全力で展開しはじめたからだ。


思いついたのは単純なこと。

どうして目の前のそれは、アジールを展開していないのか、ということで。




「知己お兄ちゃん……!」

「や、やめなさいッ!!」


真琴がかすれた小さな声でそう叫んだだけで、それは悲鳴をあげた。


真琴のアジールを察して知己がやってくる。

真琴自身、その確信があったわけじゃない。


だけど真琴は、そう信じて……その名を叫んだ。

そして、その言葉を真琴以上に鵜呑みにしたのは、梨顔の姿をしたそれ、だった。

 


「このごに及んでェ~! ゆるさないゆるさないゆるさなィ~!!」

「……っ」

 

まるで呪詛のような、それの絶叫。

その名前を聞いただけで、この世の終わりでも見たみたいに。

 

朦朧としたままそれを見ていた真琴だったが、許さない、と同じ言葉を繰り返したそれが、急にがくんと、糸の切れた人形のようになったのを見てはっとなる。


一瞬、事切れたのかと思うくらいの静寂があたりを支配する。

 


だが……。


ブシュウゥゥゥゥッ!!

その瞬間、梨顔の体のありとあらゆるところから、黒い、もやのような煙のようなものが噴出してきた。

 


「か……はっ!?」


元からそういうものだったのか、あふれるその闇の侵されたのか。

すべての闇が外に出てくると、梨顔の身体は、何倍にも膨らんでいた。

黒い煙のようなものを身にまとい、たゆたっている。


吹き飛ばされた真琴は、そのまま後ろに倒れこんで。



「コロシテヤル、コロシテヤル、コロシテヤルッ!」

「ぁ……」


それこそが梨顔の中にいた、『パーフェクト・クライム』の本体なのだろう。

それが近づいてくるのを、真琴はただ見上げていて……。

 




「こっちか!?」


まさに、天啓なる声が降ってきたのはその時。

 


「ぎっ、ぎぃやぁああああああっ!!」

「な、なんだっ!?」


黒い太陽は、その声がした瞬間。

またしても、ものすごいスピードで闇に染まる空へと逃げてしまった。


 

「って、晶さん!? ……おい、大丈夫か!」

「……っ」


そして……真琴のことに気づき、慌てて叫び、駆け寄ってくる知己に。

真琴は無意識のままに逃げるような仕草をした。

 


……それは、怖かったから。 

全てのものを恐怖の淵へと誘う存在である『パーフェクト・クライム』が恐れるほどの存在とはなんなのだろうと。



知己は、そんな真琴に少し傷ついた表情を見せた後。

それでも真琴に近づき介抱するかのように、その手を触れた。



「……ぅわっ!?」


すると、その部分が急激に色を失い、消えていく。

驚いて知己は手を離すが、普通の人にはありえないその手の跡がついた空虚は、真琴の身体から消えることはなかった。


いや、むしろ……僅かづつではあるが、その空虚は徐々に真琴を侵食しはじめている。

 



「君はっ……晶ちゃんじゃなくて、彼女のファミリアだったのか!? く、くそっ、すまない!己はなんてことをっ」


自分が……自分の能力が、カーヴの『力』でつくられている真琴を、弱った真琴を消し去ってしまうことに知己も気づいたのだろう。

 


「……」


ひどい悔恨と苦渋の表情を見せる知己に、真琴は申し訳ない気持ちになる。

知己を、そんな気持ちにさせるのなら、さっさと消えてしまえばよかったのかもしれないと思うくらいには。


でも、それでもこうしてとどまっていたのは、知己に伝えなければならないことがあったからだった。

真琴は、少し離れてうろたえている知己に、最後の力を振り絞るようにして口を開いた。

 

 

「大丈夫だよ知己お兄ちゃん。真琴の役割はもうおわったから。もう……帰るところだったから、お兄ちゃんは、悪く、ないの……」

「……役目?」

「うん。わるい夢を退治しに来たの。ちょっと、失敗しちゃったけど」

 


言われ、知己は辺りを見回す。

梨顔を追って、強いアジールと別のなにかを感じ、やってきたこの場所。

そこに梨顔の姿はなく、かわりにあったのは、悲鳴を上げ逃げ出す黒い大きなもやと、傷つき倒れた少女の姿だった。



黒姫の剣の中にいて、この戦いを今まで見届けてきた知己ではあったが。

最初にその姿を見た時は、どうして金箱病院にいるはずの晶がここにいるのかと、そう思っていた。

それほどまでに、少女は晶に似ていたからだ。

 

だが、知己の力の影響を受けた彼女は晶のファミリアなのだろう。

おそらく晶の命を受け、ここに来ていたのだ。


どうしてここに来たのかは分からないが。

そうして……梨顔と戦って、その結果が今の彼女の姿なのだろう。

知己は、そう判断した。

 

 

「くそっ、もっと早く来ていればっ」


そう悔やむが……語る少女の言葉は、最後まで聞いておかなければならないと思った。

それがせめて、もう消えようとしている彼女のためになるのだろうと。

 

 

「あのね……知己お兄ちゃん。わたし、お兄ちゃんの探してるひと、わかったかもしれないの。逃げられちゃったけど、だぶんわたしのところに来ると思うから……会いに来て、お兄ちゃん。待って……る…………」



唐突に、まるで最初からそこには誰もいなかったかのように。

その言葉を最後にして少女は消えた。

知己が、返事をする暇もなかった。


晶とおなじように、何故か知己を『お兄ちゃん』と呼ぶ少女。

なのに知己は、その名前すら聞くことができなかったのだ。

 


「くそぉおおおおおーっ!」


その場にはただ、知己のやりきれない慟哭だけが、響いていて……。



            (第147話に続く)




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