第147話、あしたのために、あるいてゆこう
(コロシテヤル、コロシテヤルッ! ワタシのことを知ろうとするもの! みんな、コロシテヤルッ!!)
梨顔トランだったものから生まれ出た、『パーフェクト・クライム』の一部……分身であるそれは、再び逃げていた。
知己には知られたくない。
ただそれだけで、ただその感情だけで。
自分を知ろうとするもの……麻理の元へ向かう。
麻理は、同じ場所に立っていた。
抜き身の剣を抱きしめたまま、ただ、ずっと。
「殺して、早くっ、ニゲナキャ! 早くッ!!」
中空から麻理を見下ろし、叫ぶ。
だが麻理は振り向かない。
まるで気づいていないかのように、聞こえていないかのように。
「死ねェエエエエエ!!」
だから、黒い太陽が思い切り体当たりするかのように麻理へとぶち当たり、そのまま麻理を包むように、麻理の身体の中へと入り込んでも。
麻理は、抵抗をしなかった。
ゆっくりと、剣とともに倒れこんでいった。
まるで、それを受け入れるかのように。
まるで、そうなることを初めから理解していたかのように。
だから、それは気づかなかった。
侵食して支配するつもりだった心に、逆に包まれ、受け入れられていることに。
そして。
そんな麻理のところへ、賢と正咲がやってきたのは、まさにその瞬間だった。
その光景を見た時、襲い来るのは絶望感だった。
賢も、正咲も悲鳴をあげたように叫び、倒れこむ麻理のもとへ駆け寄っていく。
「麻理ちゃんしっかり! いったい何なの、今の!?」
正咲は麻理を何とか抱えながら、呼びかけるように叫ぶ。
麻理はそれにまったく反応しなかった。
息はしているようだが、それほど深い昏睡状態に入ってしまったのだろう。
賢にはあの闇色の影と、麻理の症状に、見覚えがあった。
「『パーフェクト・クライム』の欠片だ。それに麻理は乗っ取られたとね」
だが、六花の銃で撃たれたときのような、劇的な変化は起きていなかった。
麻理が、まゆのように資格があった、というわけではないだろう。
これはおそらく……。
「いや、乗っ取られたんじゃなか。受け入れたとね、きっと」
「受け入れた? それって」
「……戦うために、ばい」
麻理の身体の中に、強い闇の力があるのがわかる。
でも、麻理だって負けてはいなかった。
必死に、必死に戦っている。
と。
「ねえ、けんちゃん。麻理ちゃんのもってるのって……」
「っ!」
正咲が、麻理の持っているものに気づき、その声から色が失われるのがわかる。
一つは、瀬華が『法久』と呼んでいた青いぬいぐるみ。
そしてもう一つは、柄の所のバラの細工が美しい、剣だった。
「黒姫……瀬華の、剣」
それは……瀬華が黒いサックに入れて肌身離さず持っていたものだった。
賢はその中身が、その剣であることは知らなかったが。
まゆは、まゆの記憶は知っている。
その剣が、瀬華のものだと。
そしてそれが、ここにあるということが何を意味するのかを。
「瀬華ちゃん……瀬華ちゃんのだよね、これ! どうして麻理ちゃんがもってるの!? 瀬華ちゃんは? 瀬華ちゃんはどこ! どこよぉ!!」
絶叫に近い正咲の叫び。
多分、正咲だってわかっているのだろう。
この剣がここにあること、抜き身の刃も気にせず麻理が抱いているのが、どういう意味なのかを。
まゆの記憶を受け継いだときに衝撃だったこと。
まゆが、死ぬよりつらい目にあうと言っていたこと。
それは、まゆともう会えないこと。
マチカを犠牲にしてしまったこと。
そして……瀬華の死という現実だった。
それを知らなかった賢自身が殺したいほどに憎かった。
いきなりそんな事実を押し付けたまゆが、許せなかった。
一方の正咲も、それが連中を呼び寄せることになりかねないとわかっていても、叫ばずにはいられなかった。
でも、正咲は瀬華の死を知らないわけじゃなかった。
だって、賢のように完全に心を失ったり、麻理のように山から出られなかったわけじゃなかったから。
その現場にいたカーヴ能力者でなくても、『コーデリア』の黒姫瀬華が、『パーフェクト・クライム』の力によって命を落としたこと、知らないものは少なかったから。
だけど、正咲がそれを思い出したのはついさっきだった。
それまではずっと知らなかった……知らないふりをしていだのだ。
それを知った衝撃と、そんな悲しみが、自分を壊してしまうとわかっていたから。
涙と歌とともに、あの子におしつけてしまっていた。
あの子……カナリは、そんな正咲が逃げたかったことすべてを背負っている。
だから正咲は、こうして生きてこれたのだ。
でも、これ以上は、逃げるわけにはいかなかった。
自分で背負わなくてはならないものはすべて、自分で背負わなくてはならない。
目の前で起こる、悲しいこと、すべて。
なのに言葉は止まらないのだ。
悲しい、いやだ。信じたくない。さびしい、苦しい。
たくさんのマイナスの感情が、正咲の決意を容易に突破する。
(やっぱり、むりだよぉ……)
正咲がついに、そう音を上げかけた時。
そんな正咲を叱咤するように、瀬華の剣が光った。
まるで鳴動するかのように、呼吸するかのように。
確かに、そこに瀬華が存在しているかのように。
「ぁ……瀬華ちゃん、そこにいるの?」
剣は答えない。
だけど……そうつぶやくことで、今やはっきりと、そこに瀬華がいるのがわかるような気がした。
と。
「いたぞ、こっちだ!」
鋭く響く、昏いもののこもった声。
パームの息のかかった、町の者か、あるいは……。
「正咲! 逃げるとねっ、早くっ! ぬいぐるみと瀬華は任せるからっ」
すると、いつの間にか麻理を背負っていた賢が、はっきりとそう言う。
「け、けんちゃん?」
賢もやっぱり、知っていたのだろうか。
正咲がそう問いかけると。
「大丈夫。確かに瀬華はそこにいる。だから今は……逃げるとね。僕たちの明日のために!」
「う、うんっ!」
当たり前にある明日。
みんなの明日を疑わない、賢の言葉と瞳。
それは根拠なんてなくても、信じられる気がして。
二人は、頷きあって、駆け出していった……。
(第148話に続く)
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