第124話、【黒朝白夜】、誕生の瞬間
「たぶんさ……この異世に入ったときから感じてたんだと思うとね」
唐突に、さっきまでの混乱しきった様子とは真逆の、静かな様子で語りだす賢。
それに、思わず立ち止まる。
「最初はさ。すぐにわかんなかったけど。これって『なつかしい』って気持ちだったとね」
そう、違和感の正体は。
この世界や、力に感じる懐かしさだった。
一旦それが分かってしまえば、その理由を考えるのは簡単だった。
またしても、やってしまったと。
忘れていたと、賢は心の中で自嘲する。
「あんまんさ、ちょっと前におごってもらったとね。差し入れの中には入ってたばい。今更思い出したって言うのも……なんなんだけどさ。確かに小さい頃、知己にぃにあんまんおごってもらったこと、あるけど。……僕、聞いたことあるとね。本当は知己にぃ自身は、あんまん好きじゃないんだって」
「……!」
驚愕に染まる瞳。
賢はその瞳に押されるように、言葉を続けた。
「知己にぃにあんまんおごってもらったあの記憶。あれは、知己にぃとオレだけのものじゃなかった。あんまんが大好きだったのは、僕とお前だったとね。……そうだろ、まゆ?」
そう言われて知己は。
……いや、今の今まで知己だったはずの姿はどこにもなくなっていた。
まるで双子かと見まごうばかりによく似た。
それでいて、決定的な違い。
その長い髪と、ブルーベリィのように澄んだ紫紺の瞳を持つ人物。
鳥海白眉(とりうみ・まゆ)と呼ばれる少女が。
強大な光の天蓋を浮かべたまま、泣き笑いの表情でそこにいたのだ。
「あはは。ばれちゃった。いつかはばれるかとは思ってたけど」
「いつから知己にぃに?」
「知己さんになりすましてたのは、この町に来てからかな」
「なんでそんなこと……」
それは当然思う疑問だった。
賢とは、いとこ同士の間柄になるまゆ。
だが、まゆは遠くに住んでいたせいかあまり話す機会もなく、こうして会話するのも7年ぶりだった。
「僕はもうこの世にはいない人、だからね。こうして自分のままでいたらおかしいでしょ?」
「……っ」
まゆはあっけらかんと、目を背けていた、嘘だと思いたかった言葉を口にする。
言葉を失っている賢に、まゆは笑って。
「おかしいけど、この世界に留まる理由があったんだ。最初はさ、賢が……あの子達に深く関われば、こっちの世界にいつか気付いてしまうって思って。本当は気付いて欲しくなかったんだ。僕のように、失敗してほしくなかったんだよ」
命を失うような目にあってほしくないと、そう言いたいのだろう。
だから知己になりすまして、こんな行動に出たのだと。
けれど、まゆの言うあの子たちというのは。
麻理や瀬華、正咲たちに違いなかった。
そうならば、賢の言えることはひとつしかない。
「でも、僕は……僕の答えは変わらんとね。たとえ何言われても、あいつらと同じ世界にいる。まゆと、同じ世界にいる。何度も言ったはずばい」
「でも、嘘じゃないんだよ! 確かに僕は賢を騙していたけど、今話したことは嘘じゃないんだ。知ればきっと賢は後悔する。こうして、死ぬより辛いことが待ってるんだから!」
思えば、まゆはいつだって同じことを言っていた気がする。
ほかの誰ではなく賢だけに対して、『この世界にかかわるな』と言っていたのだ。
「同じ後悔でも、何も知らないままの後悔すらできないよりはましたい。教えてくれ、まゆ。僕はまだ、お前たちと同じ世界にいないとね。どうすれば、そっちに行けると?」
「来なくていいよ。賢はそのままでいいんだ。だから……」
「なっ!?」
真剣に問いかける賢に、もうこれ以上の会話は意味を成さない、とばかりにまゆは首を振る。
そしてそのまま、天を仰いだ。
再び声を失う、賢。
いつのまにそうしていたのか。
今更回避しようのないところまで、光の天井がせまっていた。
それは賢だけではなく、目の前にいるまゆも同じことで。
「バカ野郎っ! 死ぬ気とねっ!?」
「ふふ。何言ってるのさ。僕はもともと死んでるんだよ?」
まゆは本気だった。
その瞳には、どこか狂気すらも感じられる。
(くそっ! どうすればいい!?)
確かにあれを受けても、ここは異世なのだ。
肉体的には死にはしないのかもしれない。
だがきっと、心は死んでしまうだろう。
そんなのは嫌だった。
もう二度と失わせない、そう思った。
それはたぶん。
自分だけではなく、まゆのためにも。
賢はもう一度、両手をかざす。
片方は添えるように。
片方は人差し指と中指だけ残し、できる限り大きな円を描く。
「―――【隠家範中】っ!」
それは、ほとんど無意識の行動だった。
初めて口にした、カーヴの御名。
賢自身の持つ、その力。
賢にはカーヴ名(タイトル)を口にすることで、能力が最大限に引き出されることを知らない。
だけどうろ覚えの御名を口にすることが今ここで正しいと、生きたいという本能で理解していた。
まゆが目を見張る中。
賢の描いた円に、周りの闇とは違う別の闇が落ちる。
それは、迫り来る朝駆けの光のような力とは対照的な。
夜の闇のような、全てを引き寄せ吸い込む穴だった。
再び、力と力がぶつかり合う激しい音がして。
強大な光が、風に流される雲のように、ブラックホールへと吸い込まれる星々のように、その穴の中へと吸い込まれていく。
だが。
「ぐぅっ!?」
天井に広がる光も、その膨張を続けていた。
それを止めない限り、闇に光が飲まれるほうが早いように見える。
賢は両手を掲げたままひざまずき、その光を生むエネルギー源……まゆ自身ではなく、禍々しい闇の翼に目がいった。
「……っ!」
『それ』に気がついて、賢が動いたのは。
まゆがまばたきするほんのわずかな間だっただろう。
賢は、倒れこむようにまゆに近付いて。
この世とこの世の境界を作りだすその指で、まゆの翼を……切り落とした。
まゆは、抵抗をしなかった。
ただ、それを見ていた。
「ああああぁっ!?」
「ぐっ、くそっ!」
悲鳴のような声をあげるまゆ。
痛みがあったのだろう。
自分の力を始めて人に向けた意味を感じながら。
賢はそのまま、まゆとともに倒れる。
賢はそれでも体勢をかえ、すぐそこに迫り来る光に向かって、両手を突き出した。
瞬間近すぎる光が、賢の目を焼き。
自らの姿が見えなくなるほどの光につつまれていって……。
(第125話につづく)
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