第202話、二人の哲、迎合するのか袂を分かつのか



それから……。

哲は逃げるようにその場を後にして、誰もいない『赤い月』をがむしゃらに駆けていた。

ぐるぐると螺旋を描く廊下を下るうちに、酔って悪夢の中に迷い込んでしまったのだと、思うくらいには。



「……やぁ、そんなに急いでどこへいくんですか?」


その、独房めいた小さく狭い部屋から聞こえてきたその声も。

哲の気の迷いだと、そう思えるならどれほどよかっただろう。


哲は押さえつけられたようにその場に立ち尽くし、声が聞こえた方へと視線を向ける。


そこは、51番目の部屋だった。

かつて……哲がそこの住人となり、塁の存在がこの世界から消えた思い出の場所で。



「……どうして?」


そんな哲の疑問の言葉は、凍える息のよう。

何故ならその場所に。

小さな窓から零れる深い夕日色の光を背にして立っていたのも、哲だったからだ。

感じるのは強い既視とぶり返す恐怖。



「どうして? どうしてはこっちのセリフじゃないのかな、『塁』さん? ひどいじゃないか、僕が死んでる間に僕のふりをして兄さんを騙すなんてさ」


そう言う哲は、本当に悲しそうで。

ずきりと痛む全身の輪郭。

それとともに感じる、気味の悪い違和。

いや、違和感なんてものじゃなくて。


それは明らかにおかしかった。

さっきは塁が二人いて。

今は哲が二人いる。


ひどく混乱していた。

哲は必死に自分を落ち着かせるようにして言葉を返す。



「何を言っているんですか? 僕は須坂哲です。……ルイなんて人は知りません」


落ち着けばなんて事はないのだ。

この目の前にいる哲も、さっき見た偽物の大矢塁と同じ、敵のファミリアなのだろう。

なのに、それに対して帰ってきた言葉は、意外なものだった。



「ほんとひどいなぁ、僕が幼なじみの塁さんに対して知らない、なんて言うわけないじゃないか。そんなことでよく今まで僕の偽物やってこれたね?」


瞬間に悟ったのは、目の前の哲もさっきの塁同様、哲のことを知っているって事で。


今まで哲の真実と顛末を知っているのは、哲をのぞけば三人しかいないはずであった。

それは、哲が深く信頼の置ける三人で。

彼らが、哲のことを敵に流すような理由が思いつかなかった。


だとすると、敵は人の心すら読んでしまうほどの能力者なのか。

でなければ残された可能性は……



「偽物はあなたでしょう? 訳の分からないこと言わないでください」


哲は、それ以上の思考を遮るようにきっぱりそう言って、能力発動のために赤色のアジールを高め出す。


なのに、目の前の哲は全く動じていなかった。

そのまま無防備に近づいてきて……控えめな驚きを見せたかと思うと、こう言ったのだ。



「もしかして知らないのかな? 『パーフェクト・クライム』が、死者を蘇らせ、使役させる力があるってことを」

「そ、そんなっ」


それは、高めたアジールを霧散させるには十分な威力を持っていた。

何故ならばそれは、哲がもっとも考えたくなかったもう一つの可能性だったからだ。

哲は、まさしく幽鬼にでも出会ったかのような、蒼白い顔をしていただろう。



「そ、そんなわけないでしょうっ! 哲が自分を殺した『パーフェクトクライム』の仲間になるなんてっ!」

「……認めたね、自分が哲じゃないって」

「あ、う……」


そんな時でも、優しげな雰囲気の消えない哲。

それに対して、青白い顔で喘ぐのは誰なのか。


端から見ればどちらも全く同じ顔で。

だけど哲はたった今、どっちが偽物で本物なのか、決定的な差異を突きつけられた気分になっていた。

そんな哲を前に、もう一人の哲は続ける。


「塁さんは分かってるはずだよ。僕が本物の須坂哲だってことを、ほかの誰よりも。……今までずっと僕でいた塁さんなら、分かっているはずだ」


言い聞かせるようなもう一人の哲の言葉。

哲はそれを認めたくない一方で、ちゃんと理解していた。


本当の哲が黒い太陽が落ち、死んでしまった時。

それを隠そうとしたのは……なかったことにしたのは。

他ならぬ哲……の振りをしている塁なのだから。



「で、でもっ、やっぱりそれは嘘ですっ! 哲が、あの子が『パーフェクト・クライム』の味方になるなんてあるはずかありませんっ!」


だからといって、目の前の哲が世界を滅亡させるもののために蘇ったなんて、勇の敵になったなんて、どうしても納得できなかった。

哲は負けないようにとそう叫んだわけだが。


「どうしてそう言いきれる? どんなに姿形が似ていても、あんたは僕にはなれないのに」


それまで変わらないと思っていた柔らかさが消えたと思ったら。

事態は一変していた。



「……っ!?」


何かの羽音のようなうなり声。

それは、気づけば哲の首筋に添えられていた。

青ざめた月のような光沸き立つ、不気味な剣。


「あんたは知らないだろう? 僕と兄さんの能力の関連性を」

「……」


刀を突きつけたまま、目の前の哲は唐突に語り出す。

哲はただ、それを聞くことしかできなくて。

「属性として、対になっているんだ。炎と氷って言えば分かりやすいか。それを踏まえてになるが……能力ってのは意外とその本人に影響するんだ。兄さんは真っ直ぐで熱し猛りやすいだろう? 僕はその逆。能力も性格も、本来は氷のようだってよく言われていたよ」

「……だから、だから『パーフェクト・クライム』の味方をするとでも言うの?」


一通り話し終え、刀を下げる目の前の哲。

哲……塁は一つ息を吐き、再びそう問いかける。

もう、とっくに哲でいることも忘れて。



「その通りさ。こう見えて僕は攻撃的で負けず嫌いな人間なんだ。……負けっぱなしの兄さんに、勝ちたかった。そのためならゾンビだろうがなんだろうがかまわない。だからこうして戻ってきたってわけ」


目の前の哲の語るその言葉は、今までの哲が、知ることも考えもしなかったことだった。

それじゃあ、塁がずっと演じていた哲は間違いだったのだろうか。

だとしたら何故、勇はそのことに気づかなかったのか。


「一体、勝ち負けに何の意味があるんですか……?」


無意識に呟いた言葉は、きっと一番知りたかったことで。

だけど……その言葉は決して口にしてはいけないものだったのだと。

かつてのそうだと思いこんでいた哲にはなかった、苛烈なほどにぎらつく赤月の瞳を向けられ、悟る事となる。


「はははっ、そうか。勝ち負けなんて意味なかったのか? お互いにピエロだったわけだ、僕も兄さんも。……それって僕の負け損じゃないか。こうなったら兄さんに同じ気持ちを味わってもらわなきゃ収まらないよな?」

「……っ」


ギラギラとした瞳が塁を射ぬいて。

知らず知らず後じさる。


「決めたよ塁さん。僕でいるのはもう疲れただろう? こうして今僕がここにいるんだし、変わってあげよう。本物の僕が須坂哲の役をやろうじゃないか。だから、塁さん。君は自由だ。……どう? 悪くない話だと思うけど?」

「それは……」


もう大矢塁に戻れないことを分かってて敢えてそう言っているようにも聞こえるとともに。

今の話だと変わってしまったら勇の命が危なくなるのは間違いない気がして。



「できません。勇を……兄さんを傷つけるというのなら」


ここであなたを倒します。

そんな気持ちすら込め、塁は再度アジールを高めて。


二人の哲を包む、奇妙な緊張。

それを破ったのは塁じゃない、本物かもしれない哲で。



「ふふ。いつまでそんな強がりが言ってられるか……楽しみだね?」


目の前の哲は心の底からおかしそうに、そう言って踵を返し。



「……変わりたくなったらいつでも言ってよ」



最後に、そんな言葉を残し、去っていくのだった……。



             (第203話につづく)






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