第201話、比翼の時間、脅かされ、怒髪天を突く



勇の危惧した事態が訪れたのは。

赤い異形の後を追い、勇と哲が『赤い月』と呼ばれる、かつて過ごした思い出の地へと足を踏み入れてすぐのことだった。


真ん中が吹き抜けになっていて、環状の建物が重なってできているその塔の一階。

外壁の窓の数だけある鍵のかけられた小さな個室……かつて独房だったその場所に残されていたはずの人たちが、忽然と姿を消していたのだ。

パームの者達が現れてからすぐに、学園にいるほとんどの人たちが避難を余儀なくされたのにも関わらず、暴走するかもしれないという理由だけで、ここに残された人たちが。



「さっきのヤツらの仕業と見ていいだろうな。……くそっ、ボクとしたことが」


そう言う勇の呟きには、強い悔しさが込められていた。

何せここにいるものの大半が勇や哲にとって苦楽をともにした仲間だと言ってもよかったからだ。


「……彼らはまだ、『赤い月』の中にいるでしょうか?」

自分自身を責めようとする勇の背中を押すように、哲は勇に問いかける。


「おそらくはな。それに、まだここにいるもの全員を確認したわけじゃないんだ。

もしかしたら、まだ無事でいるやつがいるかもしれない。上も見に行くぞ、哲」

「はい、兄さん」


すると、勇はすぐに気を取り直し、上階へと歩みを進めた。

もちろん、哲に異論があるはずもなく。

勇の言葉に、いつものように頷き返した。

そして、二人は連れだって、エレベーターに乗り込んでいく。


それは、その方が効率がいいという理由もあったが。

さすがに彼らがエレベーターを使って上に行くことはないだろうと考えたからで。

うまく行けば、回り込めるかもしれないと、そう思っていて。



しかし。

二人は、やがて辿り着いた屋上階で、そもそもの認識を改めなければいけない事態に陥った。


「なっ」

「……っ」


お互いに絶句。

言葉が出てこない。

何故ならば……今や夕日色に染まる空を背にして立っていたのが、二人がよく知る少女だったからだ。

もうこの世にはいないはずの大矢塁その人が、かつてよくた笑顔を浮かべていたからだ。



「久しぶりだね、二人とも」


目の前の大矢塁は、長年会っていなかった旧知に再会した喜びを表すかのようにそう呟く。

けれど、彼女の好意的な雰囲気と口調はそこまでだった。



「それとも、やっぱり私のことなんか覚えてないのかな? も哲もお互いしか見てなかったものね? っと、ずぅ~っと怪しい関係じゃないのって、そう思ってたわ」



それは……まるで自分汚い心を見せつけるかのようで。


襲いくる、混乱と焦りと恐怖。

近づいてくる彼女に対して、哲は何も言い返すことはできなかった。


偽物だって事は哲自身が一番よく分かってるはずなのに。

今この世に存在している大矢塁は目の前にいる偽物だけだから……たとえそう訴えても証明できるものがなかったのもあるだろう。



「今日はね、あなたたちに思い知らせたくてここに来たんだ」


喜悦の混じった呟きに、知らず知らずのうちに後じさる哲。

隣の勇を見ると、数えるほどしか見たことのないほどに険しい……怒りの表情を浮かべていた。


ふと浮かぶ疑問。

それは、勇が目の前にいる偽物の大矢塁のことを、どう認識しているのかということで。

もしかしたら、偽物であることすら気付いていない可能性もあって。

そんな哲の心の内を代弁するかのように、彼女は続ける。



「黒い太陽が落ちたとき。あなたたちは私を助けてはくれなかった。お互いにお互いしか見ていなかった。私はそのせいで死んでしまったの。……責任、とってくれるわよね?」


嘘だと、大声で叫びたかった。

それでも哲は何も言えない。

そう叫ぶことですべてが壊れてしまうのが分かっていたから。

それが、半分は嘘でないことを、哲自身が身に沁みて分かっていて。



「……そのためにこうして蘇ったんだからさぁ!」


そして、女がそう叫んだ瞬間。

風とともに吹き出す朱色のアジール。


それは……哲が選ばなかった末路だとも言えて。

哲は動けない。

ただ、塁を見ていることしかできなくて。




「……いい加減黙れ。下劣な偽物の分際でそれ以上ほざくな」



と……。

そんな哲の前に立ちはだかるようにして。

いつの間にか赤く煌く円月刀を構えた勇が、鋭い言葉を吐いた。



「な、なんですって……?」


何故偽物だと気づけたのか。

目の前の大矢塁の表情にはっきりと浮かぶ驚きの表情。

勇ほどの能力者ならばその仕草や気配だけで分かるのかもしれないが……。

その時の哲はそんなことは考えも及ばず、きっと、同じような何故の表情をしていただろう。


―――須坂勇は、大矢塁の事など記憶にすらない。

でなければ、今彼がこうして立っていることすらありえないはずなのだから。




「……分かったわ。あなたが私の事なんて歯牙にもかけてないってことをね。ふふふっ」


勇の鋭く冷たい言葉に、最初は怒りの感情をにじませていた彼女だったけれど。

そのうちに声を上げて笑い出す。

やがて上げた顔には、ぎらぎらとした狂気が宿っていて。



「私が偽物だろうが本物だろうがどうでもいいのよ。あなたの興味の対象は哲だけなんだものね? こりゃ大変。どうしよっか?」



その狂気は、確かに哲を捉えていた。

びくりと震える哲。


彼女が大矢塁であるのならば、気づき止めるべきだったのだろう。

彼女が知っているってことを。

全てを壊す……その一言を。



そして。

その時初めて哲は悟ったのだ。

露崎先生の、油断していると大変なことになると言うその言葉。

それは勇に対してのものではなく、哲自身の事を言っていたのだと。

壊されるのは、自分の方なのだと。



「いいことを教えてあげるわ、勇。哲はね……」


哲は慌てて駆け出そうとするが、その時にはもう手遅れで。

どんな武器よりも早く恐ろしい武器である言葉に叶うはずもなく。

それに耐えられないだろうことは分かっていたけれど、思わず目をつむって……。



ずじゃっ!!


暗闇の中聞こえたのは……何かが切り裂かれ、ちぎれ、隔てられたかのような音だった。



「ぎぃやぁっ!?」


続く耳を覆いたくなるような悲鳴。

驚いて哲が目を開ければ、片腕を失い、歪んだの悪鬼のごとき表情を見せる大矢塁

だったものがそこにいた。

その切り口は通常ではあり得ないの粘土状の赤一色で。



「……黙れと忠告しただろう?」


それは哲ではなく、勇が切ったのは敵だって事は見れば分かるのに。

哲は自分がそう言われたかのように、全身を硬直させました。


それは……勇が、残酷なほどに邪気のない笑みを口の端に乗せて。

その紅蓮の髪が、怒髪天を衝くという言葉がふさわしくらいに逆立っていたせいもあるのだろう。


勇の怒髪天は……カーヴ能力暴走の前触れを意味していた。

本来なら哲は、それを抑えなければいけないはずなのに。


哲はその時、計り知れないほどの恐怖に襲われ、今すぐこの場から逃げ出したい、そんな気持ちになっていて。


たぶんその理由は。

これが欺き騙し続けた哲の選んだ末路なのだと、そう思ってしまったからで。



「ぐぅっ、ゆるさないよ~ッ!」


悪鬼の表情を浮かべたまま、塁だった赤い異形が吠える。

すると、残った手の中に出現したのは、勇の持つ紅に光る円月刀と全く同じもので。


それは、哲の能力である【紅月錬房】を使役したことを如実に表わしていて。

二つの刃に動揺する哲。

思わず、勇のほうを見やって……。


その瞬間、叩きつけてくる大気が、ダイレクトに勇の怒りを伝えてきました。



「哲、お前は先に戻っていろ」


交錯する視線。

そこには昔見たような暴走に惑う赤月はなく。

あるのは純粋な怒りと、悲しみと……罪悪感だろうか。


何故勇がそんな顔をしなければならないのか。

哲には理解できなかったが……。


「で、でもっ、兄さんひとりじゃっ」


哲はうろたえ、そう答えるしかなくて。

本当は今すぐこの場から逃げ出したくて、そんな勇の言葉は願ってもないものだったけれど。

それは、哲の存在を否定するようなものだったから。



「こいつはボクたちを侮辱した。それは考えうる中でもっとも重い罪だ。……自分を抑えられる自信がない。哲に嫌なものを見せてしまうだろう。だから頼む。ここはボクに任せてくれ、哲!」


真剣な瞳。

その赤が滲んでいる。

一体どうして?



「……わかりました。ここは頼みます、兄さん」


その滲むものが何であるのか気付いてしまった哲には。

その言葉に反することなど到底できようもなくて。


結局哲はいつものようにそう頷いて。

その場を離れるのだった……。




            (第202話につづく)






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