第七章、『モノクローム』
第47話、もふもふと涙うさぎ
『お前は生きろ、真澄っ!』
「敏久っ、どうしてっ……!」
阿海真澄は、阿蘇敏久を止めようとして力一杯手を伸ばす。
しかし、掴んだのは空気だけで。
ぼうっとする視界の中で、遠い天井だけが目に入る。
それは、見たことの無いくらい豪奢なシャンデリアのある白い天井だった。
「ここは……」
真澄はゆっくりと起き上がり、辺りを見回す。
やはり見たことの無いような天蓋つきのふかふかのベッドの上にいて、どうやら客室を兼ねた寝室らしいその部屋には、視界が霞んだままの真澄にもお金をかけていると一目でわかる鏡台や、深い色合いに輝く洋服箪笥(ドレッサー)などがあるのが分かった。
さらに、白く透けたレースのカーテンの向こう側からは穏やかな日差しと心地よい風が吹いてきている。
真澄は自分がひどく場違いなところにいる気がして、落ち着かなくなった。
僕は何でこんなところにいるのだろうかと。
だが、それはすぐには思い出せなくて、とりあえずそっと布団から這い出す真澄。
ふと自分を省みると、身に付けていたのは肌が透けて見えそうな薄青色の夜着だった。
真澄の『喜望』仕様のジャケットとズボンは、敏久の大量の血がついていたはずだったから、 この場所にいる誰かがそれを着替えさせたのだろう。
よく見ると、ファミリアを召喚した際に切った腕の傷の部分に、あまりうまくないながらも努力の跡が伺える処置の仕方で包帯が巻かれているのにも気づく。
なんとなくそれを見ていると、ようやく昨日のことを思い出してきた。
「そうだ僕。敏久のカーヴ能力で……」
阿蘇敏久のカーヴ能力【魔九乾坤】は、それよって生み出された漆黒の球を対象に投げる(接触させる)ことにより、九つの、さまざまな効果をランダムで対象に与えるものだった。
そのうちの一つに、それを受けた者を空間転移させるものがあるのだが。
真澄はそれを受けたのだろう。
あの、迷っている暇など無かったあの状況で。
「何で。何で僕を逃がしたんだよっ」
その後、敏久どうなったのか。
考えたくもなかったが、否応なしにその答えが頭の中に入ってくる。
敏久は、どう見ても重症だった。
相手の強さは、身も凍るほどだった。
だから敏久はもう……。
そこまで考えて真澄は大きく首を振る。
認めるのは嫌だった。
認めていると言われた手前、裏切られたことなど。
「敏久に……みんなに、文句言ってやらなきゃっ」
呟きつつ、未だ快復の兆しを見せない視線は、出口であろう扉に向けられたが。
その足取りは重く。
もう叶うことのない、事実を認めようとしない真澄の言葉はどこか痛々しかった。
「も゙ふっ」
「……っ!?」
しかし。
真澄が扉を開けたすぐ目前には、真澄の身長を軽く超える茶色の塊があった。
「……も゙ふっ」
驚いて真澄が固まっていると、それは自らの存在を認識させるかのように独特な一声を上げる。
よくよく見てみるとそれは、犬……ゴールデンレトリバーのようだった。
夏の時期には暑そうだなと思えるほどのふさふさの毛並みと、つぶらな黒い瞳が、気品さと聡明さを醸し出している。
ただ、一つだけ普通のゴールデンとの差をあげるとすれば、目の前のゴールデンが、通常のものより二回りも三回りも大きいことだろうか。
真澄を見下ろすような高さで前足と後ろ足をきちっと合わせ、礼儀正しく背筋をピンと伸ばして座っているが。
その足一本一本が実際のライオンやトラなどの肉食獣より大きいことが分かった。
「そこをどいてよっ」
真澄は、その大きさに一瞬だけひるんだものの、入口のわずかな隙間をすり抜けようと前に出る。
「も゙ふっ」
「わっ?」
しかし、その大きなゴールデンは、まるで真澄をここから出すわけにはいかないとでも言うように行く手を塞ぎ、真澄を弾いた。
「どいてってば!」
真澄は声を上げ、今度は反対側に回り込む。
だが、そもそもの大きさが違うのだ。
真澄が逆側に移動したときには既に、そのゴールデンレトリバーは大きな瞳で真っ直ぐに真澄を見据え、待ち構えていた。
徐々にイライラが増してきた真澄は、続いてばっと振り返り部屋の逆側、窓の方へと駆け出す。
そして、外開きになっている窓の閂を引き、その窓を開け放った。
その先には高く聳え立つかのような白煉瓦の塀と、夕日に暮れる庭のようなものが見える。
真澄は、まだじっと自分を見つめているゴールデンの視線を受けつつも、ひとつ息を吐いて窓枠を乗り越えた。
するとすぐに、反対側の地面に足がついて……。
その瞬間。
目も眩むような閃光と、軽い酩酊感が真澄を襲った。
「……っ!?」
真澄は何が起こったのか分からないままに瞬きをし、辺りを見回す。
「そんなっ、なんでっ?」
するとどうしたことか、気づけば真澄はさっきまでいた寝室、その真ん中に立ち尽くしている自分に気づいた。
再びばっと窓のほうを振り向くと、開けたはずの扉が元に戻っている……。
「……も゙ふっ」
ひょっとして、これはカーヴ能力者の、何者かの異世に入ってしまっているのかと真澄が予感した時。
まるで、真澄の今までの行為が無駄であることを教え諭すかのように。
もう一つの出口を塞ぐ大きなゴールデンが、一声ないた。
「このっ!」
それを受けた真澄は、きっとゴールデンを睨み付け突進するように向かっていく。
「ぅあっ!?」
しかし、真澄の小さな身体ではそのゴールデンはびくともしないようだった。
そのままはじかれ、足音のたたない緋色の絨毯に転がる真澄を、哀れむような哀しむような目で、じっとみつめている。
「何だよぅっ、その目はっ!」
お前は惨めな奴だとそう言われている気がして、真澄の心が弾ける。
そのまま拳を振り上げ、再び突っ込むように真澄はゴールデンを殴りつけた。
「くぅっ」
でも、その後にくる衝撃は、放たれた真澄の拳さえ傷つけないかのような柔らかな手応えのない感触で。
打ち込めば打ち込むほど、自分の弱さを認識させられるような……そんな優しいものだった。
「どいてって言ってるでしょっ! 僕はっ。僕はこんな所に閉じこめられてる場合じゃないんだよっ!」
「……」
真澄がそう叫んでも、ゴールデンは何も答えない。
ただ、変わらない黒の瞳で、真澄を見つめている……。
「それならっ!」
何が何でもここから出す気はないらしい。
荒んだ深紅の瞳を燃やし、荒い息を吐いた真澄は意を決し、左手の手首に右手親指の爪を立てる。
その爪は、いつでも自らのカーヴ能力を使えるように長く鋭く尖っていた。
そして、人質の首にナイフをつきつけるかのように、左手首へとその爪を食い込ませた時。
そこで初めてゴールデンはぴくりと大きな反応を見せる。
「も゙ふっ!」
「……ぅっ!?」
その瞬間、生暖かい風が吹き抜けたと思ったら。
真澄は狩られた獲物のようにその手を押さえつけられ、のしかかられてしまった。
「うぁっ……」
みしっとその細い真澄の腕の音が軋んだ。
「も゙ふっ」
それがわかったのか、ゴールデンは哀しげな声を上げていたが、しかし押さえつけるのは止めない。
真澄は為すすべもなく大の字に倒され、その哀しげな瞳と目が合った。
「なんでなんだよっ」
何も知らないはずなのに真澄はそのゴールデンに同情されている気がして、そんな呟きをもらす。
それと同時に何もできない、何もできなかった弱い自分を、これでもかと突きつけられたような気がして。
自らが封印していたはずの、泣かないと誓ったはずの涙まで滲んでくる。
「なんでなんだよぅっ! 何でそうやってみんなっ、僕を見るんだっ! 認めてくれたんじゃなかったの!? 仲間だって…言ったのにっ……たいせつな仲間だからっ死ぬときは一緒だって! なんでっ。なんでこんなっ。なんで僕だけ、ひとりなんだよぅっ」
気づけば真澄はそう叫んでいた。
叶わない夢を見つづける、哀れな自分に向けられた瞳。
敏久たちだけは違うと思っていたのに。
真澄は本当に世界でひとりになってしまったような気がして、泣いた。
今まで生きてきて堪えていた、我慢してきたものを吐き出すように……。
(第48話につづく)
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