第115話、まるで守護霊交代でもしたかのように



マチカがはっと目を覚ませば。

心ばかり逸る、相も変わらずの身体の自由のきかない現実の朝。


両親と共にする、朝食の風景。

言う事のきかぬ身体に閉じ込められし精神のマチカが目を覚ますのは、学校に登校してからが常だったので、これも新たな進歩かと思いつつ。

少しだけ落ち着きを取り戻すマチカ。



「どうだ、学校生活は」

「ええ。みなさんに良くしてもらって、楽しく過ごさせていただいてますわ」

「……そうか」


白々しいと言うべきか、虚勢を張っていると言うべきか。

手の内を明かさない定番のようなセリフ。


たとえ身体の自由がきいても似たような事を言っていただろうと思うと。

操られているようでこれは自分自身なのだと、自覚させられてしまうマチカ。・



ただ、それに対する両親の顔は、いっそ心配に過ぎる程に曇っていた。

娘の言葉を、真実だと思っていないのだろう。

こうして客観的に見ることで、そんな両親にも気づけた事を考えれば。

今の状況も悪いことばかりでないのかもしれない。



(そう言えば……)


マチカにしてみれば、こうして両親と卓を共にすることも久しぶりだったが、母が朝食の支度をしているのを見るのも久しぶりだった。

何故なら、若桜の町筆頭の有力家として、身の回りの世話をするものを置いていたからだ。


そんな事を考えていたからだろうか。

同時に、マチカはコウとヨシキがいないことに気づかされる。

昨日の夢でも、最後の方はケンにかかりきりで、二人の事をあまり注視していなかったこともあって、すぐにマチカは不安に駆られた。



喪失感とも言えるそれは。

しかし、両親や身体のマチカには伝わらない。

と言うより、傍にいないことを普通と取っている節がある。



(……あれ、普通? よくよく考えてみれば、私の方がおかしいの?)


そもそも、コウとヨシキの立ち位置について、こうやって考える事自体初めてだったことにマチカは愕然とするしかない。

マチカの当てにならない記憶では、コウとヨシキは桜枝家に古くから仕え支えてくれていた分家の子供たちで、それこそ物心着く頃から何をするにも両手にいたわけだが。


二人にも家がある事を考えれば、二人が今ここにいないのも当然だし、むしろこれから学校に行くにあたって迎えに来てくれる、くらいに考えるのが普通だろう。


なのに、マチカは身体の一部を失ってしまったかのような虚脱感を覚えていた。

それは、共に宅を囲む両親には伝わることはない。

一方で、どこか腫れ物を扱うような、心配げに見守っている両親に、身体のマチカも気づいてないようであったが……。

      




本当の自分を探して欲しいと、ケンは言った。

それを言葉通りに受け取れば、同じクラスでここ数日顔を合わせていたケンは、本当のケンではないと言うことになる。


日が経てば経つほど事情は複雑化し、考えることも増えてくる。

はてさて、一体何から手をつけるべきかと。

ままならない身体に任せるままに朝食を済ませ、学校へと歩を進めていると。

まさしく、瞬きをしたその瞬間にマチカに声がかかった。



「おはようございます、マチカさん!」

「おはよう……ございます」

(……っ!)


考え事をしていたこともあって、気を張って辺りを警戒していたわけでもなかったが、それでもマチカにははっきりと分かった。

コウとヨシキの二人が、まるでそれが常識とでも言わんばかりに忽然と姿を現したのが。


「おはよう。コウ、ヨシキ。今日も頼むわね。私に歯向かえばどうなるか思い知らせてやりなさい」

「うっス」

「……」


心中のマチカが驚き言葉を失う中、どこか暗く篭った感情の孕んだマチカの台詞。

良くも悪くもおざなりな二人の返し。

きっと、その細かい話し合いはとっくに済んでいて、挨拶の延長にすぎない、そんな会話。




(これも、トランの能力の影響?)


数日過ごして分かった事は。

それは、マチカたちを操り……あるいは学校を舞台として何かを演じさせようとしている、と言う事で。


今の状況が舞台であるならば。

主役でもない役の一日を、朝から詳しく描写することはないだろう。


おそらく、朝の挨拶からが今日と言う日の始まりなのかもしれない。

だからこそ、二人は当然のように急に現れたのだ。



(……そんな風に話が単純なら楽なのだけど)


心内のマチカはそうひとりごち、自身の無知さを噛み締める。

あるいは、あまりに多くの事を忘れてしまっている自分に愕然とするしかない。

こんなんじゃ、約束を忘れてしまったケンの事だって責められない。



(理解しなくちゃ、全力を以て)


とにもかくにも、今マチカにできることは、それだけなのだから……。





                 ※




マチカが、改めて新たな決意を固めたまでは良かったのだが。


身体は言う事をきかぬまま、朝のホームルームの時間。

いつもなら、マチカがやって来てほどなくして登校してくるはずのケンの姿がない。


いつもの足をかけたり椅子を移動させたり花を飾ったり等の悪戯嫌がらせも不発に終わり、身体のマチカがいらいらしていると。

担任の先生でもある梨顔トランが、教壇側から入ってくるのとほぼ同時に、後ろから入ってくるのが見える。




(……え?)


それを、横目で見る形になっていた心中のマチカは。正しく昨日の夢でのケンの発言を反映するかのようなケンの劇的な変わりっぷりに、思わず声を上げてしまう。


それまでの無感情で無感動な、操られていると言う事実以上に生きる屍のようであったケンとはまさに真逆。

生気に満ち、その瞳にはやんちゃ盛りの子供のような好奇心旺盛な意思の力が宿っている。



(本当の僕、ね……)


その姿は、一見するとトランの能力に抗い抜け出しているように見えなくもない。

普段通りの、ケンに戻ったかのようにも見える。


だけど、マチカには別人にしか見えなかった。




今までのケンには、明るくて子供っぽく、しかしその瞳には人生の酸いも甘いも……絶望を味わったかのような凄みがあったのに。


今そこにいるケンにはそれが感じられない。

純粋で好奇心旺盛な、まっすぐな瞳。

入学したての小学生のような雰囲気を持ったケンは、見るもの全てが新鮮だと言わんばかりに、きょろきょろと辺りを見回しつつ自分の席へと着こうとする。



と、そこで毎日の習慣とばかりにマチカの足が差し出された。

ブレない自分に内心のマチカが苦笑していると、今までは避けるかされるがままのどちらかだったケンが、思いも寄らぬ行動に出た。



「なんち? きれいな足たい。触ってもよかと?」

「……っ!」

「きゃっ!?」

(ひぅっ!?)


なんと、そうやって断っておきながら、返事をするよりも早くふくらはぎのあたりをぺちぺちと触れてきたではないか。

そんなケンの突飛な行動に奈緒子は言葉を失い、マチカは心内も身体も関係なしに悲鳴を上げてしまう。



心にも触覚があったのは驚きだったが。

スキンシップに慣れていると言うか、羞恥心などまるでない様子のケンに、顔を真っ赤にして足を引っ込める身体のマチカと、その時ばかりは同調していただろう。



「い、いきなり何するのよ!」

「何って。触り心地の良さそうなふくらはぎを自慢してきたと思ったとね。だったら触ってやるのが人情ってもんばい」


にこにこと、マチカが嫌がらせをしようとしていたのを分かっていての、そんな言葉。



「な……ななっ」


しかし、身体のマチカはからかわれているのに気づいていないのか、顔を熱くさせて言葉を失っている。



(私が言うのもなんだけどもしかして……)


どうして今まで、ケンにあんなにもきつく当たっていたのか。

約束をすっぽかされてだけで、ここまでムキになるものなのだろうかと、自分のことながら疑問に思っていたマチカであったが。



本当は拗ねていただけなのかもしれない。

約束を反故にされて、それについてはすっかり忘れられていて。

傷ついて、目にもの見せたくて。

それがエスカレートしていって。

後戻りできなくなってしまったのかもしれない。



怒りより、羞恥より、戸惑っている風の身体のマチカの態度に。

心内のマチカはその考えに確信めいたものを持っていて……。



             (第116話につづく)







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