第334話、何望むことなく寄り添うだけで、それだけでいい


身を削る雨が止んだのは。

柳一の異世から解放され、勇が鎧武者を霧散させたその瞬間だった。



「……っ」


正しくも的が大きくなることで多大なダメージを受けた勇は、意識失って倒れ伏す柳一を油断なく見つめつつも、苦痛に顔を歪ませ、その場に崩折れる。


結果、巨大な鎧武者が傘となる事でそれほどのダメージを受けずに済んだ哲は。

心苦しさと悔しさと、暖かい物をないまぜにしつつ兄へと近づいていく。




「済まない、哲。塁の事頼めるか? 少し動けそうにない」


そんな哲の心情に気づいているのかいないのか。

純粋に照れくさそうにしつつ、哲を視界に入れるなりそんな事を口にする。


それは、自分より兄がするべきだろうと思ったが、動けない理由がその不詳の弟を庇ったせいなのだと突きつけられてしまえばぐうの音も出ない。



「……ちっ」

「はは、すまないね」


代わりに敢えての舌打ちしてやれば、凹みつつ曖昧に笑う兄がそこにいるのみで。

幼馴染くらい近い距離にいても、この関係が傍から見れば真逆に見えると言うのだから、一人残された勇も戸惑った事だろう。


哲が『パーフェクト・クライム』の指示のまま塁に攻撃的であったのは、そんな道化となった兄を見ていられなかったからなのかもしれない。


自身でそう思いつつも、赤い雨溜りに沈み、大地の一部と化そうしている柳一達を警戒しながら、哲は捕らわれし塁の元へと向かう。


よくよく見ると、それまで下方から照らしていた光は消え、緑色の粘着の高い水は昏い影を落とし、そこに浮かぶ塁の表情はよく伺えない。


どうやら柳一の異世界を破ったことで、塁を捕らえているものの電源が落ちてしまっているようだ。

これはもしかして、息もできないんじゃなかろうかと思い立ち、救出しようと近づいた時。


ぴしりとガラスに罅が入る音。

途端、それは連鎖しガラスが水ごと、塁が哲めがけて降ってくるのが分かって。



「……ちぃっ」


まさか避けるわけにもいかず、水にガラスに晒されながら、何とか塁を抱きとめる事に成功する。


「ナイスだ哲!」


任せるなどといいつつヨレヨレしながら着いてきた嬉しげな兄の声が上がるも、結局水浸しの満身創痍になって素直に喜べない。



今やすっかり変わり果て……元の姿を取り戻した塁。

息があり、とりあえず安堵したが、それとは別に何故戻ったのか、という疑問はある。


代わりをする必要がなくなったと判断したのだろうか。

だとするなら、その判断は間違っていると言わざるを得ない。


それこそ、一度死んだ身でありながら蘇らせたモノを裏切った形になる哲は、今すぐ消えたっておかしくないのだから。



それは、当たり前のように弟として接してくる勇も同じ。

塁を抱え直し、さてどう切り出すべきかと踵返した時。

正しくも朽ちゆく骸と化そうとしていた紅髄に、ぴくりと動きがあった。



「哲っ!」

「分かってる!」


塁を庇うように、いつでも能力発動できるように警戒していると。

ぐねぐねと蠕動し、赤い塊……スライム状になった紅髄が、ずりずりと這うようにして柳一へと近づいていくのが分かって。



「【蒼燐月山】ファースト! ドラグラ・ジェミルっ!」


片手間で簡略されたものではあったが、双頭の竜がそれぞれ紅髄を襲う。


もれなく、二つの竜は紅髄に命中。

四散するもしかし手応えはなく。




「なっ……」


声を上げたのは哲であったか勇であったか。

紅髄だったものは、身を粉にしつつも這いずるのをやめない。

そして、そのまま赤溜まりに沈む柳一へとくっつき、取り込まれていって……。



袈裟欠けの半身のまま、ゆっくりと目を開く柳一。

その瞳がはっきりと勇や哲を、そして塁を捉えたのが分かる。

合流した勇と哲は再びアジールを高め油断なく柳一を見返した。




「はっはっは。……これはこれはいたたまれんなぁ」


響く、乾いた柳一の笑い声。

敵意もなく、アジールもほとんど感じられず、どこか残念そうでもある声色に意味を図りかねたが。



「言っておくが、慈悲はなしだ。キミの能力は世界に広がっている。このまま捨て置くわけにはいかない」


いつでも能力を発動できるようにしながら、柳一を睨みつける勇。

しかし柳一は、首を降ってそう言えば……とばかりに相槌を打つ。



「ああ。それなら問題はない。紅たちは既に俺の指揮を離れている。好きなように生きるだろう。居た堪れないのは君達……いや塁ちゃんの友達のことさ」



世間話でもしているみたいなのに、勇も哲も知らない塁の今までに一抹の不安が過る。

事実、それを証明するみたいに柳一の独白は続く。




「君達は、もっとしっかり彼女と向き合うべきだった。しかし、その機会をお互い避ける形となってしまったのだから仕方ないとも言える。つまり、俺から言えるのは、君達はゲームオーバーだ、と言う事さ」



おもむろに視線向けるは、塁が捕らわれていた台座。

宝玉のようなものが設えてあったが、色を失い光を失い、沈黙している。



「よって、君達は退場だ。……この俺のようにね」

「……っ!」


視線を誘導された、一瞬の間だった。

大地が正しくも生き物のように震えだし、捻れ、沈下し、柳一を飲み込み取り込まんとしている。



「せいぜい、この『異世』の糧となるがいいさ……」


そして、最後まで自嘲を隠しもせずに、何ら抵抗することなく、柳一は赤桃色の大地へと沈んでいって……。




ギチィッ!!


まるでそれが合図だったかのように。

軋む音とともにその場が変容していく。

手始めに、地響きを立て唯一あった逃げ道が塞がれて。



「うわっ」

「くっ……」


立っていられないほどにうねりながら、じわじわ、じわじわと『箱』と化したその場が、縮んでいくのが分かって。




「異世を破ったらその外にも異世ってわけか。お決まりじゃないか。……兄さん、異世ごと壊せない? あの取って置きとかで」

「いや、ダメだ。フォースは一度使うと反動で一日は使用できなくなる」

「まぁ、そんな気はしてたけど」


それほどの代価なければ、柳一達を倒す事はできなかったのだろう。

それはすぐに理解できたから。



「一点集中……やるだけの事はやるか」

「力果てるまで、だね」


哲が双頭の竜を生み出し、勇は立ち上がり金棒を生み出し構える。



「【蒼燐月山】ファースト! ドラグラ・ジェミルっ!」

「【紅月衛主】セカンド、夜万王の風格っ!」



そして、サインなくともぴたりと合う二人の力込められし言葉。

シンフォニックカーヴを意識しなくとも行い、金棒に双頭の竜が巻き付き、一体化する。



インパクトの瞬間。

世界の揺れとは別種の振動が、迫りし壁に襲いかかる。

お互い激しくぶつかり合い、互いを互いに打ち消しあって。


確かに見える、壁の向こう。


その先にあったのは、上下から閉じようとする無数の壁で。



「……フッ。精根尽き果てるまで振り続けてやろう」

「はぁ。しち面倒臭いなぁ、もう」


ついて出た言葉はちぐはぐであったが。


いつだったか王神が称したように。

比翼の二人となって理不尽に抗い続ける。



それは、未だ眠る大切な人を守るため。

諦めずに一歩一歩進むため。


そこには確かに。


泥塗れになって白球を追いかけていた頃の輝きがあって……。



             (第335話につづく)






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