第四十二章、『AKASHA~さよならの前に~』
第335話、まいそでの天使の、始まりにしてさいごの試練
―――始まりは、リアがまだそんな二つ名で呼ばれていなかった頃。
世界中に響く誰かの悲鳴。
止めに行くのだと、外へ飛び出したまま帰ってこない姉。
姉……まゆがいなくなってしまったことで、父と母が喧嘩して仲違いして一緒にいる事もなくなって。
そのままリアが父に連れてこられたのは。
今でもどこに何があるのかよくわからないくらい広い屋敷であった。
リアは昔の名前を忘れ、リアとなって。
子犬だったツカサが、テレビで見たライオンより大きくなるくらいの時間、ずっとずっと外にも出ずにリアは暮らしていた。
そのうちに父までもどこかへ行ってしまって。
広い屋敷には、ツカサしかいなかったが。
屋敷の出口の傍には、医者である千夏と、先生の雅がいて、そこまで寂しさを感じてはいなかったが。
ただ、ずっとずっと、リア自身が無くなってしまうまでここにいるのは、何だか悲しくていけないことのような気がしていて。
テレビと本とピアノ。
特にピアノを弾いていると、何かを思い出しそうになって、背中の翼がくすぐったくてくすぐったくて我慢できなくなってくるから。
リアは鍵盤から手を放して青い空を見上げることにする。
恐らく、背中の翼は空を飛びたがっていたのだろう。
テレビで見た鳥の目線で見ることのできる世界は、わくわくどきどきで。
いつか自分も飛んでみたいって、リアはそう思っていたから。
そんなことを考えていたある日のこと。
いつものように翼がむずむずして空を見上げたら、リアより僅かばかり年かさのお姉さんな女の子が落ちてくるのが目に入って。
リアが白色の鳥ならば、女の子……真澄は真っ赤な瞳のうさぎのようで。
不思議の国の物語のように、屋敷から出られないでいるリアに、外の世界を案内してくれるうさぎだったのだと、今では確信を持っていて。
結局リアは、際限なく大きくなって動き出した屋敷から出ることはできなかったけれど。
今まで体験したことのない、たくさんの思い出ができて。
たくさんの友達ができて。
ずっとずっと帰ってこなかった姉、まゆまで、帰ってきてくれて。
それこそが。
リアにとっての『幸せ』だったのだろう。
……ただ、背中に生えた翼だけが、むずむずし続けていた。
まるでその幸せが、長くないものであると、教えてくれるみたいに。
屋敷がどんどん大きくなって、巨大ロボットそのものになってしまって。
そこからなんとか脱出しようと、姉と友達のみんなとやってきたのは、ちょうどその異世の真ん中あたりであった。
それを証明するみたいに。
ロボットがしゃっくりしたら、地面がぶるぶると震えて。
あ、飛ばされると思った瞬間。
リアにできたことは、とっさにまゆの背中にしがみつくことで。
まゆはその時、近くにいた塁に手を伸ばそうとしていて。
あまり丈夫じゃないまゆの翼を引っ張る形となってしまったリアは、すぐに姉の邪魔をしてしまったことに気づかされたわけだが。
―――ごめんなさいです。
そう声をあげた時にはもう遅くて。
結局まゆの手は、塁に届くことはなく。
それからすぐに目の前が真っ白になって。
再び前がよく見えるようになった時。
顔を顰め、頭をふって立ち上がろうとする姉が目に入り、リアは何だかリアになる前のことを思い出してしまって。
リアは翼を震わせ、もう一度謝っていた。
「お、お姉ちゃん。ご、ごめんなさいですっ。 リアが……リアがっ」
リアは、リアになる前から、あまり良い子ではなかったと自覚していた。
いつもいつもどんくさいって怒られていたからだ。
「いきなりどうしたの、リア。大丈夫と? どこか怪我してない?」
しかし、はっとなってリアを見てくる姉の眉毛は昔のようにハの字の反対にはなっていなかった。
気づけばぎゅっと、やさしいぬくもりがそこにあって。
「よし、リアは大丈夫みたいだね。リュックはどっかに落としちゃったみたいだけど、まぁ、しょうがないかな。リアのおべんとも入ってたんだけど、拾った誰かに食べてもらえばよかとね」
リアの服を軽くたたいて、髪を撫でてくれて。
離れた時には、やっぱり優しい笑顔がそこにある。
……思えば戻ってきた姉はずっと優しかった。
だから、昔を思い出すとリアは不安になってくる。
どうしたらいいのか分からなくなって戸惑っていると、目尻の下がっていたまゆの顔がきゅっと引き締まって。
リアが思わずびっくり跳ね上がると、そんなリアを庇うようにしてまゆは中空を見上げた。
「あれは……っ」
まゆにつられてリアもそちらを見ると、そこにはいつかリアが目の当たりにした、ぴかぴかした空飛ぶまんまる帽子のロボットがいた。
しかも、今度のは赤い色をしていた。
周りの色と同じで、見つけたお姉ちゃんすごいな、などとリアが思っていると。
まゆの声が聞こえたのか、赤い体もまんまるのロボットは、ふわふわとこちらに近づいてきて。
「法久さんに似た紅? こんなところにもいたんだ……」
まゆはリアを背中に庇ったまま、小さなロボットを見上げる。
つられるまま顔を上げていると、赤い小さななロボットは、やはりリアたちに用があったようで、ふわふわとリアたちの方へ近づいてくる。
この大きくて広い世界のそこらじゅうにいた紅たちと違い、『敵意』は感じらない。
それでもリアが構わずまゆとくっついたままでいると、赤いロボットはその場でくるりと一回転して。
「わわっ」
そのまま、後頭部がぱかっと開いて、そこに青く光るテレビの画面のようなものが浮かび上がる。
びっくりして震えるまゆに、くすぐったさを覚えていると。
リアが一瞬目を逸らしたその間に白色に光るたくさんの文字が現れた。
《 最終ステージは個人戦です。
【横隔膜】のフロアより上にある、
『魂の宝珠』を【心臓の間】まで持ってきてください。
『魂の宝珠』があるのは、
【脊髄の間】、【右耳】、【右手】、【左耳】、【左手】の五ヶ所です。
【心臓の間】には、三つの宝珠を掲げる杯があります。
つまり、五つある『魂の宝珠』のうち、
三つを持って【心臓の間】へ辿り着ければゴールとなります。
その先には、あなたの望むもの……『外界への脱出口』があることでしょう。
あなたの目指す道は、【右耳】です。
魂の宝珠を獲得するために。
魂の宝珠の前には五つのルートごと様々な『試練』や、
プレイヤー達を妨害する『敵』立ち塞がります。
【右耳】にあるのは『深青の試練』です。 》
「あー、なるほど。あの光る指令書の代わりをしてくれてると。確かに、一冊しかなかったもんね」
「今度はお父さん、何するですか?」
ここに来るまで父からの試練が、いくつもリアたちの前に立ち塞がってきた。
確かにこの異世から、屋敷から出たいと思ってはいたが。
まゆに真澄、美冬に怜亜、塁に正咲……たくさんのお友達ができて、いろんな冒険ができて。
リアは実の所、とてもとても楽しいって思っていた。
こんな時間がずっと続けばいいのに。
なんて思ったのが本当の所で。
問いかける言葉には、期待がこもっていたのは確かで。
そんなリアを見つめるまゆは、少し考える仕草をして。
「……お父さんにしてみれば、みんなをバラバラにしたのも、この試練もゲームみたいなものとね。でももしかしたら、結構お父さんも追い詰められているのかも。ゲームのルールとかで嘘をつくことは、今までなかったはずだけど……この一文自体が罠の可能性もあるし」
整理整頓しながら、言い聞かせるようなまゆの呟き。
リアは首を傾げることでどうしてそう思うですか? と尋ねる。
「今までの試練は、その試練自体に意味があって、ご褒美なんてなかったでしょ? クリアしたって、まともに望みを叶えてくれるとは思えないんだよね」
「じ、じゃあ。リアはお外に出られないですか?」
リアは今、楽しくて幸せだった。
でも、真澄が言っていたように、いつかはみんなここを出ていってしまうのかもしれない。
その時、一緒についていくことができたら、どんなにいいか。
それが嘘だなんてあんまりだと。
父のこと、嫌いになってしまうかもしれないと。
そんな気持ちが表に出ていたのか、頬を膨らますリアに、まゆは僅かに苦笑してみせて。
「……大丈夫と。そのお願いは僕が叶えるから。リアがそれを望むならね」
かけてくれたのは、そんな優しい言葉だった。
「……っ」
それは、嬉しくて頼もしい言葉のはずなのに。
ふっと思い出したのは、姉が屋敷を出て帰ってこなかった、その時のことで。
リアは、何だかとても怖くなって。
また、あんな風に笑う姉が、どこかへ行ってしまうような気がして。
「……よぉし! げっとばい! さあ法久さんふう紅くん。大人しく道案内するとねっ」
「~~っ」
だけど、その気持ちは。
獲物を狙う猫のような動きで、浮かぶ赤いロボットを捕まえてるまゆの可愛らしい姿を目にして、どこかに吹き飛んでいってしまって。
きっと、初めからそのつもりだったのだろう。
リアのことを見ながら、赤いロボットのことなんて見てもいなかったのに、気づけばそんなまゆの腕の中でぎゅっとされていて。
大事なものを抱えている感じなのがちょっと羨ましい、なんてリアが思う中。
捕まった赤いロボットは、喋らずとも何だか戸惑っているようだったけれど。
「さぁ、示されし道は一本だよ。それじゃあ行こうか、リア」
「は、はいです」
赤いロボットの、ちっちゃな腕を取って正面を指し示すまゆ。
確かに左右も後ろも行き止まりで分かりやすい。
駆け出す勢いで先に行ってしまうまゆを。
リアは慌てて追いかけていくのだった。
その先に何があるのか。
リアにはよくわからない、苦しくて切ない不安を感じながら……。
(第336話につづく)
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