第285話、死ぬまで私を忘れずにいてと、来世に誓う



―――止まって!


―――攻撃をしてはなりません!


―――その行為は敗北に繋がります!



響く鐘楼のように繰り返し聞こえてくるトゥエルの言葉。



「ああああぁっ! 【代仁聖天】サード、セレク・トゥエルブっ!!」


だがそれを。

仁子は生涯で初めて聞かなかった。

後にも先にも、心の相棒のその言葉を無視したのは、その瞬間だけだった。



「ぐぁぁっっ!」


いとも容易く、貫く音。

苦悶の表情を浮かべる、克葉の声。

びしりと何かが徹底的に壊れるような音。


「え……?」


すべてが驚愕の範疇を越え、仁子に呆然とした呟きを漏らさせる。



それは。

その残酷な結末は。

すべてが用意周到な計算の元なされていた。



まずは、一週間近くもの変わらないループの行軍。

それは、鉢合わせる時間調整をするとともに、強靱なはずの仁子の精神を確実に磨耗させていて。

正常で冷静な判断を奪っていた。


削られた心は容易に琴線を千切り、逆鱗をはぐ。


だが、それでも。

最初から克葉が全く抵抗をしていなかったのならば。

仁子にも僅かばかりの理性は残されていたのだろう。


克葉は本気だった。

本気で死を恐れ、しかし罪を認めるどころか助長し、仁子の命奪わんと執拗に攻めてきた。


相手は墜ちても一流の使い手だ。

やらなければ確実に殺されていた。

それほどまでに、克葉には強い決意が確かにあったのだ。



そして……。

仁子は首の皮一枚で、その戦いに勝利した。

克葉は無抵抗だったわけではない。

運が悪ければ、その氷の刃に貫かれ絶命の道を辿っていたのは仁子のはずで。



「なんで……」


それなのに。

それまで確かに感じていたトゥエルの魂の息吹とも言えるアジールの炎は消え、手にあるそれはただの牙撃になっている。



「やっぱり。だめだったかぁ」


目論見通りの表情で、克葉は殺意のかけらもなく笑っている。

克葉により殺されてしまったはずのさつきの骸が、今や溶け出す氷となってどこへともなく消えてゆこうとしていた。


仁子には何が起きているのかひとかけらも分からない。

完全に水となって消えた、さっきまでは確かにさつきだったはずのものをただただ信じられない目のを見るようにみつめている。



「ああ、確かに……これは偽物……ごふっ」


克葉は、仁子のその呟きが自分への問いかけだったのだと思ったのか。

血を吐きぐらつき、霞がかったようにその体を透けさせながらも言葉を紡いだ。


「しかし、君の怒りはもっともだ。さつきという少女は氷ドームの核を壊すのと引きっ……替えに散っていったよ」


最期の言葉。

それを誰より自覚しているのかその語りは熱を持って饒舌で。


不意にそこで言葉を止め、悲しげに楽しげに克葉は笑う。

そしてかっと目を見開き、続くだろう『だが』を紡いだ。



「でもそれじゃあ、だめなんだ。傷つけられたか傷つける。殺されたから殺す……それじゃあ誰も救われない。ただ繰り返すだけ。そんなんじゃあ、世界は救えな……っ」


克葉は、不意にそこで言葉を止め、びくりと何かに反応するように視線を向けた。

それは仁子の背後だ。

僅かに聞こえてくるのは、鉄の箱がワイヤーで引っ張られる、その駆動音。


克葉は、死に体のままよろよろと後ずさった。

まるでそれから逃げるようにして。


「君はこれから、それを思い知るだろう。いわばとばっちりだ。世界の……教訓……その犠牲……」

「何を言ってっ」


なんだかやけに胸に刺さる言葉。

ほとんど無意識のままに、もっと分かるようにその意味が知りたくて。

仁子は克葉に近づく。


「でも俺は俺らはそんなもんじゃないっ。絶対に嫌だったのに……この身体じゃあ逃げるこ……」


ぐらりと。

克葉は言葉を終えることなく、前のめりに倒れた。

いまわの際だとは思えない語りの、しかし突然の終止符。


最期の言葉は、泣いているようにも仁子には思えて。

思わず手を伸ばしていた。

それが、最悪の瞬間を繰り返す一番の引き金になることなど、その直前まで気づきもせずに。



不意に聞こえてくるのは……場違いなエレベーターの鈴鳴る音。

知らぬ間に降りおろされた断罪の鉄槌。

がこんと飲み込むような音を立てて、エレベーターの扉が開く。

既に体重すら感じなくなってきている、赤く染まる克葉を抱き締めるようにしていた仁子は、振り向くことすらできなかった。


ただ、気持ち悪くなるほどの既視感を覚えていて……。






「かっちゃん……」


絶望に染まる少女の声。



(そう言うこと、か……)


そこまで来てようやく、仁子は全てを理解した。

必死に仁子のことを止めようとしていたトゥエルのことも。

克葉の言葉……救いのない繰り返し、その意味も。


今更それに気づいても。

もう全てが、手遅れであることを……。





           ※      ※      ※




仁子の知らぬその声に。

今や霞がかった克葉が確かに反応した。

抵抗とも呼べぬ、わずかな身じろぎ。

仁子はそれで全てを察し、克葉をそっと横たえるようにしてその場から離れた。


今、その舞台に上がる資格は自分にはない。

その事を強く思ったからだ。


案の定、そんな仁子など目に入っていない様子でその舞台へと上がる少女。

やはり、仁子の知らない少女だった。


おろしたての『喜望』の制服を見る限り新人なのだろう。

スカウトしたのは知己に違いない。

知己が見初める一流はいつも彼女のような一見戦いの場にふさわしくなさそうなタイプだ。


普通に生きていれば、全うに幸せに生きられただろう少女たち。

弥生も美里もそうだった。

今思えば、それは正しかったのかどうか仁子には判断が付かなくなっていたけど……。


それはあるいは知己もここに来ている、という証拠でもあって。

合わせる顔がない。

舞台袖の自分は自分なりに今の逃避をしていると、再び少女の呟きが耳に届いてくる。



「かっちゃん……」


繰り返しの言葉は、克葉の愛称。

『コーデリア』のメンバー内で、流行っていたらしいその呼び名。

何でも、克葉の随分と年の離れた恋人からそう呼ばれていたのをどこからか会長が聞きつけて、そう呼ぶようになったらしい。


つまり彼女は。

その克葉の年の離れた恋人、と言うことなのだろう。



「……っ」


じわじわと、最悪な理解が仁子を浸食してゆく。

夢を自分の信じる正義の名のもとに振り払ってここまでやってきたというのに。

敢えて進むことを選んだ現実は、その悪夢をも凌駕する凄惨さだった。



フラッシュバックする直前の自分。

今の彼女は、さっきの自分だ。

我を忘れて激高し、克葉に殺意を叩きつけた仁子。


これが浸かってはならなかった夢……ループであるならば。

仁子はそれ相応のものをぶつけられるのだろう。

半ば覚悟して、身構えていた仁子だったけれど。


少女は、仁子の前を素通りした。

まるで身構えた仁子をあざ笑うかのように視界にも入れずに。



「せっかくまた会えたのに。……馬鹿だなぁ、かっちゃんは」


もはや半身しか残らない克葉を、少女はかき抱くようにかかえ込むと優しい声と優しい笑顔を浮かべた。


「……っ」

「謝るなら化けて出てこないでよ。変に期待してこんなところまで来ちゃったじゃん」


克葉の言葉にならぬ呼気。

しかしそれは、少女にはちゃんと言葉として伝わっているらしい。


穏やかな、最期の会話が成立している。

それで、仁子はまたしても気づかされる。

彼女が、理不尽な悲しみに今ここで暴発するよりも。

霞のように残された幸せを噛みしめることを選んだ、ということを。



自分とは何もかも違う。

きっと彼女のような穢れなき少女こそ、自身の愛すべき人が愛する存在なのだと。

それは……仁子が決してそうはなれないのだと、この上なく明確に突きつけられた瞬間だった。



「来たのはね、約束したかったからなんだよ」

「……」


死にも等しい結末。

ただ自失して、仁子は二人のやりとりを見つめ続ける。


「今度生まれ変わったら……私が死ぬまで愛して、くださいって。先に逝った私を見て、私があなたを失ったその時を、知って欲しいから」

「……」


克葉は。

噛みしめるようにその言葉を聞き、確かに頷いた。

せめて憂いは見せぬようにと、苦笑を浮かべて。


少女の言葉は、魂を鎮める歌だった。

少女は初めから理解していたのだろう。


既に一度終わっているその関係を。

仮初めの二度目は、長くはない……その事を。


知った上でなお、受け入れようと努力していた。

納得しようと震える体を押さえつけ、堪え忍ぶ笑顔を見せ続けていた。


人を本気で愛すというのはこれほどまでに強いものなのだろうか。

それとも目の前の少女が特別なのか。

仁子には分からない。

一方通行の思いしか持ち得なかった彼女には。

ただただ、圧倒的敗北感が、仁子を包むのみで。



青い光の残滓の中、消えゆく克葉。

それを聖母のような慈愛で見送る少女。

まるで絵画のようだとは語るべくもなく。



「……」


額の縁から見るように立ち尽くすしかできない仁子に。

さらに避けられぬ追い打ちが待っていた。

それまで境界線の向こうに住むはずの少女が、ふいに仁子の存在を捉えたからだ。



「……っ」


実際はただ振り向いただけだったが。

そのあり得ないことに、仁子の身体か堅くこわばる。

二歩三歩と、後ずさっていた。



「ごめんなさい。私にはほとんど分からないことばかりだけど。あなたに否があるわけじゃなくて、かっちゃんが悪いんだってのは分かってるから」


それは、一見、普通の大人な返答だ。

しかし仁子はすぐに、その印象に対してあり得ないと首を振った。


それが真意のはずはない。

愛する人を殺した相手に、本気でかけられる言葉であるはずがなかった。


もし本気ならば。

それはもう人間を超越している、とさえ仁子は思っていた。



「あ、あの……」


何か言わなくてはならない。

この場にふさわしい弁明の言葉を。

そんなもの、あるはずないのに。



「何も言わないでくださいっ!」


だから。

結局それを止めるように発せられた強い言葉に仁子は深い安堵を覚える。

先ほどの言葉が本意でなかったことに、仁子は強い安心を覚えていた。



「……何も言わずに、私も殺してください。私の憎しみはたぶん消えないから。いつか必ず、あなたを傷つけてしまうから」


その、驚愕な一言が投下される刹那の間まで。



「違うっ、私はっ」


私も殺してください。

それは、仁子がまるで血も涙もない冷酷な人間だと思いこんでいるかのような言葉に聞こえて、慌てて否定する。


だが、その続きは言葉にならない。

それはもう、少女が止めていたからだ。


少女からしてみれば、少女の言葉は純然たる事実だ。

言い訳の言葉すら仁子の口からは出てくれなかった。



「……すみません。そんな事急に言われても困りますよね。第一、あなたにはそれをする意味がないでしょうし」


たが、そんな仁子に構わずに少女は微笑む。

初めて、まともに合致するお互いの視線。

見えるのは幽憐と揺れる、焦点の定まらぬその視線だ。

それ故に、仁子は気づくことができた。



普通でいられるわけがない。

彼女はもう、最初の一幕を目にした時点で、どこか壊れてしまっているのだと。



「理由、作ればいいんですよね?」


少女は呟き、俯く。

見つめる先は自身の手のひら。

軽く開かれたそれに、仁子は自然と瞳を吸い寄せられて……。




「……っ!?」


瞬く間に出現したのは、緑色の丁装がなされた一冊の大きな本のようなものだった。


カーヴ能力。

理由付け。

それはすなわち、仁子と敵として戦うこと。


そうなるだろうってことは重々理解していた。

それこそが克葉の目論見……克葉を裏で操っていたもののシナリオ通りであり、繰り返すという言葉まさにそのままだったからだ。



でも、それでも。

知っていてなお、理不尽な罪を受け入れると思っていてなお、仁子は下がった。


自分が生きるためにと。

突然現れたその本に、漠然とした恐怖を覚えて。



その本は、安定していなかった。

強い風が吹けば消えてしまいそうなほど輪郭が揺らいでいる。

沸き立つ緑色のカーヴも、風前の灯火だ。


アジールのコントロールも、ウェポンの維持の仕方もなっていない……生まれたての初心者のようなカーヴ能力。


仁子のその所見は正しかったのだが。

漠然とした恐怖は消えない。


知らないことは恐怖だ。

少女がここへ来た経緯も人となりもはっきりしなかったからこそ、余計に恐れは助長されていて。



「……っ」


何より仁子が追いつめられていたのは。


今まで羽ほどにも重さを感じていなかったトゥエルが、ただの無機物の鉄の塊に思えるほどに重く感じていたからだ。


うまくコントロールできてないのは自分も同じ。

いや、それはむしろ仁子のほうがひどかっただろう。

何故なら仁子は、道具に徹してまで自身についてきてくれた彼女のことを肝心な所で裏切ってしまったのだから。


「……矛盾してますよね。きれいごとを言っておきながら結局、私はあなたを許せないだけなんだから」


自嘲するように少女は呟き、本を掲げる。

使い方など知らなくても、それが何であるのか本能で理解しているかのように。


それは……戦いの合図だ。

仁子が、決して避けてはならないもの。

無意識のままに、ただのウェポンカーヴになってしまったトゥエルを掲げ、同じく戦闘態勢を取る仁子。



「私は聖仁子よ。あなたは知っているのかも知れないけど」


私はあなたのことを知らないから。

そんな意味を込めて、仁子は罪滅ぼし……戦いの前の儀式のごとくそう問いかける。


「……そうでしたね、すみません。私は七瀬奈緒子といいます」


初対面であることすら失念していたとばかりに深く頷き、お互いが名乗ることでその儀式は終わった。



共に理由こそ違えど灯火のごときアジールを掲げて。


戦いの火蓋はきっと落とされたのだった……。




             (第286話につづく)






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