第286話、具現の魔術師のめざめまであと少し



「はっ!」


トゥエルの先読み、結果を支配する能力がなくとも。

未だその跳躍に遜色はない。

高く高く飛んだ仁子を、奈緒子は一瞬で見失う。


高所からの打突で決める。

一撃。

それ以上はいらない。


素人同然の奈緒子の身のこなしを見て、仁子はそう判断した。

別に相手を侮っているわけではない。

それが彼女の……奈緒子の安全を考えて最上だと思ったからだ。


いつもなら、そこでトゥエルが正誤を示していただろう。

しかし、聞こえてくる言葉はない。


未だトゥエルは拗ねているらしい。

……ただ拗ねているだけなのだと、仁子は信じたかった。



そんな事を考えていると。

奈緒子の本が土色に光った。

しかし、奈緒子は仁子に気づいていない。


今更どんな能力を使おうと終わらせられる。

仁子はそれに確信を持っていたが……。



やはりトゥエルの確実な先読みに比べれば劣るのだろう。

ふいに本から聞こえてきたのは、マッチをするかのような摩擦音だった。


間断なく、軽快なリズムを取っている。

仁子は一瞬、無範囲で指向性のない音による能力かと身をすくませたが……。

激流のような殺気は、影となって頭上から来た。



「なっ!?」


黒いシルエットの人物がそこにいる。

かなりの体格の人物だ。

その手に、そこだけは実体化した地の属性(フォーム)を沸き立たせる斧を持っていた。



「ファミリア!?」


驚愕に目を見開く間もなく、それは斧を降りおろす。



たが、その斧が仁子を捉えることはなかった。

それよりわずかに早く、トゥエル……牙撃として機能を有する、光跡を蒔く刀剣がそれの心の臓を射ぬいたからだ。

それにより、色のない煙となって消える黒のシルエット。



「くっ……」


だが、強引に攻撃の矛先を変えた仁子もバランスを崩していた。

それは大きな隙だ。

仁子は、首をよじって何とか下方を伺おうとする。



「わぁぁぁっ!」


吹き上がるアジールの気配。

牙撃の甲部分を盾に丸まるようにして防御の体勢をとる仁子。


しかし……絶好なはずの追撃はやってはこなかった。

そのまま転がるように地面に降り立ち、間合いを取り顔を上げる。



奈緒子は仁子を見てはいなかった。

ただ、橙と水色二色のアジールを際限なくあふれさせる本だけを見ている。

おそらく、奈緒子が本から生み出したファミリアを仁子が撃退した事実さえ、気づいていないのだろう。



―――暴走。


初心者だからこそよく見られる現象だ。

人によっては意図的に使うものもいる操作不能のフルスロットル。

奈緒子が、あるいは知己や哲のように意図的にそれを操っている、ということはないだろう。


それだけの、精神の負荷を受けたのだ。

カーヴ能力者が誕生する瞬間は、えてして今のように心を圧迫し脅かされた時が多い。


そうなって来ると目の前の紛れもなく仁子が引き起こした現象は。

暴走という乱暴な言葉でまとめてはならないような気が仁子にはしていた。



初めてカーヴを使えることを覚えて。

その使い方をまともに知っているものなどまずいないのだから。



それは……今となっては、法久という便利な存在がいたから見落としがちな事実だったのだろう。


相手を格下だと侮るわけにはいかない。

加えて最悪なことに、奈緒子の能力はある意味それこそが真の一流を意味する希少種であるレアロタイプのようだった。


目の前にある本は、ウェポンのようでそうではない。

ファミリアに酷似した何かを生み出している。


しかも、その能力者を個性を表すアジールの色がそのたびに異なっている。

進む方向がなんであれ、順調に育てばいずれはカーヴ能力者の間で、その名を噂される通り名が付くほどのレベルになっていたに違いない。



故に、こうして相対している事実が口惜しかった。

それが仁子自身の浅慮な行動が原因であるのなら尚更。

苦り切った表情で戦況を見つめる仁子を前に出現したのは二人の黒い影だった。


一人は、得物を持っている様子はない、長身の人物。

もう一人は水によって形成されたジャベリンを手に持つ仁子と同じくらいの背丈の人物だ。


ともに顔はなく、代わりに黒い十字架のようなものがそこに収まっている。

おそらく、自身のタイトルとフレーズを理解し正しく使えば、もっと彼らは明確にその存在を示すのだろう。

さらに、暴走状態の奈緒子は、常に仁子の前に致命的な弱点を晒していた。



それは単純。

無防備な奈緒子に直接攻撃……あるいは本を破壊してしまえばいいだけのことだ。

攻撃の命令しか与えられていないのか、ジリジリと間合いを詰める二人の影に奈緒子を守ろうといった気概はなさそうで。

その時仁子が動けずに迷っていたのはそんな意味があったわけだが……。



(ここで決めなきゃっ……!)


レアロタイプの恐ろしいところは、何が起こるか見当もつかない点にある。

相変わらず何の意味があるのかも分からない軽快なテンポの摩擦音も気になることだし、仁子に躊躇っている暇などなかった。


向かって来る二人を迎え打つように仁子は腰を落とし、牙撃を両手で構える。

それと同時に高める虹色のアジール。


相変わらずトゥエルの言葉はなかったが……。

今こそが戒めだと思えばいい。

その言葉を聞ける時が来るまでに自分に科した試練だと思えばいいのだ。


幸いにも能力自体が使えなくなったわけではない。

変わらず沸き立つアジールを感じて……仁子は一つ安堵し、深く息を吐き出した。



「はぁぁぁっ!」


投剣を含めた、様々なタイプの投擲武器。

それが仁子のアジールを起爆材にして打ち出される。


その数五つ。

それぞれが形の異なる虹の奇跡を描いてそれぞれの使命を果たさんと飛んでゆく。


一撃目の投げナイフは、背の高い細身の影を狙う。



「……っ!」


避けるかと思われた影は、あろうことかそれをわずかに開いていた手のひらで掴み取った。



「なっ……!?」


ナイフはぐにゃりと曲がり、その途端爆発。

中に巧妙に隠された強酸が細身の影を溶かし消す。


(爆発の能力!?)


そう、仁子が思わず驚愕の声を上げたのはその爆発だけが予想外だったからだ。

手で掴んだものを爆発させるのか何か爆発するものを隠し持ってでもいたのか。


どうやら仁子の憶測通り一人一人のファミリアで攻撃方法が違うらしい。

そのたびに、対処法を変えなければならない必要があるんだろう。


未だ発展途上だが、いくらでも発展しかねない能力。

しかも性質の悪いことに、分かりやすそうでその奈緒子の能力の全容はまったく見えてこなかった。


見た目だけなら紅を作り出す能力と遜色ないように見えるが、本と影の繋がり、それがまったく読めない。


だが、そんな机上の思考よりも早く、仁子が打ち出した残りの投擲武器たちは着々と役目を果たしていた。


二撃目。

刃の歯のついていない弓矢。

もう一体の影に肉薄する。

先程の影のようにその手に持ったジャベリンではじき返すのかと思いきや、驚くべき事にジャベリンは一瞬にして身を守る水の盾へと変容した。


だがそれは、仁子の予想の範疇を越えるものではなかった。

水の盾にのめり込んだ矢は音を立てて四散。

影を覆う光のネットをまき散らし影を盾ごとがんじからめに捕らえた。


そこに三撃目。

一見は小さな投擲用のハンマーだったが。

それは仁子のアジールを過剰に食らい肥大化し、その影をその圧倒的な重量で押し潰す。


予想通りの展開。

予測を持って戦うことを基本にしていた成果が、トゥエルがいないというマイナス要因があることによって昇華した瞬間だった。



いける。

その時仁子は、確信を持っていた。

後は残りの炎仕込まれし二つ……スピアと投剣が、奈緒子の本を貫けばしまいだ。


保険にと上下から襲うその二発を自失している奈緒子が防げるとは思えない。

自分がそれを外す可能性など考えてはいなかった。

基本トゥエルに頼りきりの仁子であったが、そう自信持てるだけの鍛錬はしてきていた。

だからその点においては、揺るぎないのは確かだったのだが。



その刹那の間に。

奈緒子の進化は、仁子の予測を凌駕していて……。



              (第287話につづく)







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