第287話、いつか憧れていた英傑たちと刃を交えるなんて
「あっちいなぁ! いい度胸だ! 売られた喧嘩は買うぜぇっ!」
突然の怒声。
そこにいるのは、鉢巻を巻いた、筋骨隆々の上半身を惜しげもなくさらした青年だった。
その手に大ぶりの斬首刀を水平に構え、意志の強そうな眉を怒らせている。
どうやらその刀で仁子の攻撃を弾いたらしい。
秘めた炎による熱は当然伝わっていたはずだが、言葉とは裏腹に涼しげな……むしろ喜々とした顔をしている。
「なんでぇ。女か。……だがま、手加減はしねえぜ?」
「くっ……」
さっきまでのものとは明らかに毛色の違う、濃密な存在感。
仁子は、奈緒子の突然の進化に驚きを隠せない。
そこにいるのは、完全に自我を持った存在だ。
しかも奈緒子の心情を知っているらしい。
その言葉には、明らかな仁子に対する怒りがこもっている。
「……っ」
仁子は舌打ちをし、男を警戒するように牙撃を斜に構える。
突如表れた意思ある存在に、不可解な既視感を覚えながら。
「これで……二人目っ!」
とそこに、紙を滑るような摩擦音と、奈緒子の叫びがこだました。
「……っ!?」
その瞬間確かに仁子は見た。
奈緒子は、ただ本を凝視していたわけではなかったのだ。
……いや、それは本ですらなかったのかもしれない。
マッチをするような摩擦音は、ペンの滑る音だ。
奈緒子がそれを実際手に持っている風ではなかったが、だとするとすべての辻褄が合う。
初めの影は、練習……下書きのようなものだったのだろう。
今前にいる青年は、その完成形だ。
つまりそれの意味するところは。
「可愛いお嬢さん同士が戦わなきゃならないとは。こっちの世も世知辛いねぇ」
奈緒子の能力の正体。
仁子がその結論に達した時。
まさしく本から這い出るようにして現れたのは、やはり仁子が見覚えのあるような気がしなくもない青年であった。
掴み所のない、軽そうな風体の男だが、本から降りたったその仕草には一部の隙もない。
片手に畳んで持つヌンチャクが、その隙のなさの意味合いを強調する。
「なんだよ、よりにもよっててめえかよ! ついてねーなおい」
「そうつんけんなさんな。うちらの事情を関係のないこの世界で持ち出しても仕方ないでしょ。共通の敵がいるときはお互いの事情は忘れる。そう話し合ったろ?」
「ちげえねえ。それこそお頭に失礼だしな」
共通の敵。
一方的に知っていた存在に自分を認識されたにしてはあんまりないわれに、地味に傷つく仁子。
だが、彼らの会話によってもはや奈緒子の能力は完全に解明されたも同然だった。
仁子は彼らのことを知っている。
同じ仲間でありながらお互いの間にあった軋轢のことを。
ヌンチャクを持つ彼にとって、鉢巻の彼は親の敵だった。
だが、同じ心酔する主の下でともに戦い、後に固い友情を結ぶようになるのだ。
そう、彼らは大昔に実在する戦いの英傑たちだ。
だが、奈緒子の能力は過去の偉人を呼び出すなどといった単純なものじゃない。
何故ならば彼らはその容姿などの記録すら残っていないのだ。
ならば何故仁子は彼らのことをよく知っているのか。
それは彼らが……わからない過去をイメージし、夢想し、妄想し、創られたキャラだからだ。
特に女性に人気の。
ここにもし法久がいたのならば。
奈緒子の能力の注釈にこうつけるのだろう。
―――『創作物(マンガやゲームなど)のキャラクターをファミリアとして呼び出し、使役する能力』、だと。
「くっ……!」
現れた、比較的そういうのに疎い仁子でさえ知っている二次元の向こうの有名人。
しかし奈緒子は、二人だけでは飽きたらぬとばかりにさらに見えないペンを走らせる。
もしかしたら、その瞳で……アジールの力をインクにして描いているのかもしれない。
このまま増える一方だとしたら。
その時点で勝敗は決してしまう。
しかもチョイスがなかなかに通だった。
こんな形で出会わなければいい友達になれたのかもしれないのに。
仁子は自身が一番口にしてはならないことを口の中で押しとどめダッシュする。
その、実に興味深い……彼女の能力が具現したものを破壊するために。
「いきなり大将の首を狙う気かい?剛胆だこと」
「ふざけるな! まずはオレと勝負しろ!」
「……っ」
それは一瞬だ。
残滓を引いて二人は仁子の前に立ちはだかる。
だが当然それも折り込み済みだ。
彼らならこの程度のパフォーマンスをするだろう事は理解できる。
だからこそ仁子は引かなかった。
ここまでのファミリアを創り出しておいて、未だ奈緒子はタイトルもフレーズもない無詠唱カーヴの状態なのだ。
だったら完成形はどうなる?
想像するだに恐ろしかった。
これ以上奈緒子が自分の力に気づく前にカタを付ける。
それが最優先だ。
奈緒子の持つ本以外は、すべて思考と視界から破棄する。
二人の過去の勇将の存在も。
彼らに対する、自身の身の守りも。
つま先に力込め、二人の間を突貫するように加速。
「こ、こいつっ、無視かよっ!?」
「大したお嬢さんだ、まったく!」
驚きと賞賛。
しかし彼らは怯まない。
主のためなら命かけ、その得物ふるうことを躊躇わない武士たちだからだ。
手を抜くのは相手にとって侮辱である、という心情の方が強いのかもしれない。
「一撃で楽にしてやる!」
「南無三っ!」
「ふ、うっ……!」
たがやはり。
仁子は初めから相手の躊躇など期待してはいなかった。
頭上の爆炎傷と脇腹の刃傷。
意識しそうになる痛みを無理矢理押さえつけるようにして鋭い呼気を発した仁子は
さらに深く踏み込んだ。
伸ばした手の先にある一つだけ残された刃が、奈緒子に照準を合わせてギラリと光った。
届けよ、とばかりにもう一歩踏み出す。
焦げた臭いと飛び散る鮮血の香りが増した気がしたが構わずに。
「させるかよっ!」
「やりずらいったら、たく!」
単純な攻撃だけでは止まらぬと判断したのだろう。
二人がかりで仁子を押さえつけに入る。
それにより、後一歩のところで仁子は完全にその動きを止められてしまった。
その間にも三人目を描き終えたのか、奈緒子が見えないペンを本から離す仕草が見えて。
「てーっ!」
自身に言い聞かせる、裂帛の気合い。
「きゃあっ!?」
四散する音、奈緒子の悲鳴。
霞みだした視界をかろうじてそちらに向ければ。
後一本残された刃が、その丈を伸ばし奈緒子の本を貫いているのが分かる。
だがそれは、それだけで終わりではない。
長い刃に見えるそれは、巨大なはんだごてだ。
その熱量は仁子のアジール……生命力そのもので。
ぼっ!
奈緒子の本は、あっと言う間に発火する。
その熱はそれだけに飽きたらず、奈緒子をも熱しようとする。
「ああっ!?」
分かっていたとは言え見たくない光景に思わず仁子は視線を逸らして。
その瞬間聞こえてきたのは、凍える冷気の混じった強風だった。
「……ふん、本を狙ったか。少しは知恵が回るようだな」
その風そのままの、見下しきった冷たい声。
はっとなって声のした方に振り向くと、両腕で奈緒子を抱えた……三人目がそこにいた。
「くっ……」
ぎりぎりのところで間に合わなかったらしい。
奈緒子を下ろし、黒羽のついた扇を構える……全身紫の法衣を着込んだ細身で、悪来の知性を秘めたそう相貌には確かに見覚えがある。
「うわ、よりにもよって性悪軍師かよ」
「オレ様あいつ苦手なんだよな」
「聞こえておるぞひよっこども。戦うばかりが能で君(きみ)を守ることもできぬのか」
「そうはいってもな、今きたばかりの旦那は分からんだろうがなかなかに肝が据わってるぜそこのお嬢さんは」
「そのようなことは百も承知よ。だからこそ言っておるのだ」
確か敵同士だったはずだが……。
その辺りは都合がいいのか、特に反発しているような様子はない。
「う……」
自分のことを話しているのだと仁子には認識はあったがそれだけだった。
頭をやられたのが効いたのか視界だけでなく意識まで霞んできている。
しかもお手上げな事に、三人目に現れたのは少し意外というかなかなかに渋いところをついてくる、一筋縄ではいかなそうな人物だった。
いにしえの軍師のひとり。
しかも、容赦も慈悲もない狡猾な方でイメージされている方だ。
これでさっきみたいな勢いだけの突飛な行動も、おそらく通用しないだろう。
一本槍で一直線な先の二人だけならつけいる隙もあっただろうが。
彼は自軍のガンとなる部分……致命的な弱点にも気づいている。
チェックメイト。
早くも浮かぶ、自身の末路。
霞んだ目でその弱点……戦闘能力のないだろう奈緒子の姿を見据えれば。
お互いの目測や算段などお構いなしで失った本を復元しようと必死になっていた。
何という根性。
いや、それだけ仁子が憎く許せないのだろう。
そして少なくとも。
彼女は戦えないなりに、自分のできる最大限の努力をしているのは明らかだった。
なのに自分ときたらどうだ?
できることがあるのに罪を甘んじて受けようと、諦めてしまっている部分があるんじゃないかと仁子は自問自答する。
「ふむ。とはいえもはや満身相違の様相と見る。どれ。一つ提案といこうか」
一見、らしくない言葉。
仁子は力の入らなくなってきている膝に力込め、ひどく重く感じる牙撃を構え直し、しっかと前を見据える。
「君(きみ)には話を付けておこう。今ここで立ち去るなら……君が意識を遊ばす間に我らが塵一つ残らず討ち取りました、とな」
叩きつけられたのは、命乞いを勧めるかのようなあまりな言葉だった。
本心で言っているのではない。
仁子の羞恥心を燃やし、心のどこかで僅かに考えていたその考えを潰しにかかったのだろう。
事実彼は扇をはためかせ冷酷に笑っている。
「相変わらずやることえぐいねぇ」
「……気に入らん」
無意識だろうが、その絶妙なタイミングで煽る二人。
仁子が発することのできる言葉は、これで一つしかなくなって。
「……ふざけろ。死んでも嫌よそんなこと」
はじめからそのつもりだった。
それは口にしても言い訳にしかならないんだろう。
どのみちろくに口も回らない。
きっぱりはっきり、気持ちだけは強く。
仁子はそう宣言する。
「そうか。……ならば、策を弄せず、ひと思いに楽にしてやろう」
いにしえの軍師、シーヴァ。
僅かばかりの憂いの表情。
それが奈緒子のキャラ造形なのか、あるいはそれが真実なのか。
仁子のイメージと比べて、それはずいぶんと優しい言葉だった。
思わず微笑もこぼれる。
「これ以上は夢見が悪いしなぁ」
「オレ様としてはタイマン上等、なんだがな」
やりにくそうに頬をかくリョウと、一番らしい、カンネの呟き。
結構長いカーヴ能力者生活の中で、まさか触れることのできぬ、ひどく俗っぽい偶想と戦う羽目になるなんて夢にも思わない仁子である。
いや、むしろ今の方が夢だと言われた方がしっくりくるだろう。
(さっきの悪夢の方がよほど現実だわ……)
囲むように散会する三人を見て、思わず出た苦笑。
「覚悟しなきゃ、駄目みたいね」
そして。
祈るように仁子は。
牙撃を。
冷たくなったトゥエルを額に押し当てて。
震える声で、そう呟いたのだった……。
(第288話につづく)
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