第三十三章、『まほろば~そして僕らの夜が明ける~』

第262話、新しい日々、未来にあるかもしれない想い




―――そこは、どことも知れぬ悠久の蒼に包まれた夢の世界。



「……」

「……」


ちくまとレミ。

世界の真実を知る旅を終えて。

お互いの間に蟠るは重々しい沈黙だった。


世界の真実は、知ったものの言葉をもれなく奪い取る。

その感情をわやくちゃにさせ、ただただ深い嘆きに陥いさせる。

知ってすぐに顔を上げて、諦めない気持ちで笑った人間は後にも先にも一人しかいなかった。


それは、表面的に見ればとても立派なことに思えたけれど。

群れる赤のたった一つの緑は、得てして異常のレッテルを貼られてしまう事が多いように。


レミには、その人が異質なものに思えた。

まるで、神のような抗いがたき恐怖を感じるのだ。




「ずっと思ってたんだ。何で僕がこんな目に遭わなくちゃいけないんだって」


その神にも等しき存在に操られ翻弄され、舞台の中央に立つべきその少年は。

その神の血を継ぐものであることに気づくことはなく、ごくごく人らしい感銘と自失の後、そんな事を呟いた。


「でも、この世界にきて、全部を知ってさ、そんな我が儘な感情なんて全部吹き飛んじゃったよ」


レミは、その言葉を噛みしめるようにして耳に入れていた。

人生を失うような悲しい思いを『我が儘』ですませてしまう、ちくまのその言葉を。



「知った以上は、絶対何とかしなくちゃね」

「……っ」


そしてそれは、脈々と血を受け継いでいることを証明するかのような、強い意志を秘めた言葉だった。

親はなくとも子は育つとは言うが。

無責任な誉れに、無機質に乾ききっていた涙腺が緩むのを自覚するレミ。



「ふふ。頼もしいね。全てを知って尚、その言葉が出るのだから」

「別にたいしたことじゃないよ。僕には理由があるから、そうしてるだけだし」


それを誤魔化すようにしてレミが微笑むと、本気で照れくさそうに、ちくまはそう言葉を返す。


―――理由。

彼が使命に立ち向かう勇気となるもの。

レミはそれを知りたかったから。


「理由か。一体それはなんなんだい?」


心中の強い渇望を押さえながら、そう問いかける。



「最初はさ、好きな人を取り戻したいって思ってたんだ。でも、会うことができてからはちょっと変わったんだよ。好きな人が生きるこの世界を、なくしたくないって。……ただそれだけだよ」


すると、一体なに言ってんだろ、とばかりの似合わない苦笑が返ってくる。


「……っ」


それこそが、ちくまが中々見せることのない本質のようなもので。

それを曝け出してくれたことに、本当なら喜ぶべきだったんだろうが。

語るその内容は、レミを驚愕させるには十分すぎるものだった。



……てっきり、知っているものとばかり思っていた。

どうしようもない悲しみを乗り越え、先へ進む言葉を紡いだのだと。



(酷(むご)いことをっ!)


その時レミは、生涯で味わったことのないくらい強い憎悪を覚えた。

高ぶる感情は、苛烈な事実を暴き出す。

ちくまは知らないからこそ、知らないままでいるからこそ、その使命を全うできるのだと。



「レミさん、どうかした?」


そこに、心配げに伺うようなちくまの声がかかる。

それだけでレミの熱は一瞬にして冷めた。

ただただ、不憫に思う気持ちだけが支配していて。



「いや、君に好きな人がいるとは思わなくてな。せっかく狙っていたのに」

「え、ええっ!? そ、それ、本気なの?」


その気持ちを誤魔化すようにして。

同じ立場であるなら誰もが思うだろうもう一つの本音を口にするレミ。


鵜呑みにしたちくまはたいそう慌てていた。

そういうことには慣れているのかと思いきや、意外とそうでもないらしいことは新しい発見で。


「冗談に決まってるだろう? 私たちはたった今会ったばかりじゃないか」


自然と本当の笑みがレミの顔に浮かぶ。

心の奥底にある渇望を、表に出さなくてすむ。


「そう、だけどさぁ。さっきレミさん自分で言ったじゃん。僕とこれから会うとか何とか。それってつまり僕の世界でって事でしょ?」


それなのに。

簡単な冗句で終わる場面で、ちくまはそう聞いてきた。

レミが秘めるその気持ちに、気づいたかのように。


「それは……」


そのうちに分かること。

さっきと同じ言葉を口にすればいいことなのに。

レミの口は固まってしまったかのように動かない。

心が、本音をさらけ出せと訴えている。



「それは?」

「……」


どこまでも真っ直ぐな目。

特別な存在だと思えば思うほど、その目から視線を逸らすことができなくなる。

いよいよ追いつめられたレミであったが。

それは唐突な、しかし待ちわびていた声によって遮られた。



「レミお姉ちゃん」

「晶か」

「うわっ。い、いつの間に。全然気づかなかったし。でもやっぱり似てるな~」


不自然なく視線を外すことができて安堵するレミ。

その話はこれ以上するべきじゃない。

その事にちくまが感づいたのかどうかは分からなかったけれど。

第三者の介入により話はこれで終わりだと悟ったのだろう。

ちくまは少し驚いて見せ、晶とレミの両方を見比べる。



「そろそろ時間みたい」

「そう」


そんなちくまに構うことなく、たった一言、晶がそう呟いて。

それだけで全てを把握したレミは簡単に頷くだけだった。


「時間って……」


それが何を意味しているのか、理解していなかったわけじゃないだろうけれど。

そう反芻したちくまに、創造主であるレミですら見たことのない苛烈な表情をぶつけてくる晶。


それにたじろぐばかりのちくまだったが。

結局それが、表に出ることはなく。


「こんなところにいていいいの、ちくまさん。全てを知って平然としていられるのなら話は別だけど」

「あ、そっか」


代わりについて出た、感情を押し殺したかのような晶の言葉に、明確に事態を悟るちくま。



「ほんとは挨拶とかしたいんだけど……もういかなきゃ」

「今いる場所から、曲がらずに真っ直ぐ進むといい。君との始まりの場所を伝い、現世に戻ることができるだろう」


あれよあれよという間に慌ただしくなるちくまに、上辺だけは落ち着き払ってレミは先を示す。



「そっか、そりゃいいや。いろいろ教えてくれてどうもありがとう、レミさん。晶さんも。また、会おうね!!」


何の憂いもなく、ちくまの口をついて出るのは美しい感謝の言葉。

だけどちくまはそれ以上の感慨も余韻も持たすことはなく、手を振って笑顔で駆けだしていく。



「……」


十分わかっていることのはずなのに。

悲しみを多分に含んだ拍子抜けがレミを襲う。


思わず駆け出しそうになったけれど。

その様を妹に見せるのもなんだか躊躇われて。

じっと堪えるようにして、蒼の世界の向こうへと消えてゆくちくまを見送る。



「よく我慢できたね」


そしてレミは苦笑を浮かべ、晶に向かってそう呟く。

それは、自分自身にも言い聞かせたもので。



「うん。けっこう危なかったけどね」


晶から返ってきた言葉もお互いに当てはまる。

それは、心が繋がっているからこそ成し得るもので。

その事にこれといって不便さを感じなかったのは。

ある意味主とファミリアとして幸せな関係だったのかもしれないが……。


だけと。

そんな関係も、もうすぐ終わる。



「さて。最後の一仕事、といったところか」

「うん、そうだね」


でもそれは初めから分かりきっていたことだったら。

余計な言葉はいらない。

かといって心情的に割り切れるものじゃなく。

赴くままに、レミは晶を抱きしめる。



「真琴ともちゃんとした別れをしたかったな」


人と変わらない晶の温もりを感じていると。

それが使命だったとは言え。

手の届かぬ遠い地で。

抱きしめることも叶わず。

使命を全うして、儚くなった一番下の妹のことを思い出すレミ。



「レミお姉ちゃん、怖いの?」


漏れなく見透かされる心。

レミは思わず苦笑を浮かべて。


「恐怖心は人を為す……だよ。晶も気をつけていきなさい。最後まで、人らしく」

「その言い方はずるいよ」


それは、矛盾した言葉。

だけど姉妹であり親子のようでもある二人にとっては、代え難いやりとりだったのかも知れない。

一層の力を込め、そして二人は離れていった。


「また会おう、妹よ」

「そうだね。レミお姉ちゃん」



最後にそんなやりとりをして。

もう、振り返ることもなく……。



             (第263話につづく)






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