第230話、ちくまと親のようなお節介軍団



「あれ? ここどこだろ……」


気づけばちくまは、どことも知れない町中、陽射し強く照りつけるアスファルト道路の上に突っ立っていた。


家々の立ち並ぶ狭めの路地の一角。

そこは、見覚えのない場所のはずなのに。

何故かちくまに不可思議な懐愁を呼び起こさせる。


「ええと。寒くなって動けなくなって、それからどうしたんだったっけ」


ちくまはその事に首を傾げながら、今の事態の経緯を思い返そうと試みる。


二度目の地下探索へとこゆーざさんと晶とともに向かって。

弥生の偽物と戦って。

そこからちくまの記憶は曖昧だった。


偽物の攻撃を食らって負けそうになって。

だけど誰かに助けてもらって。

かと思ったらいきなり辺りが寒くなって。


倒れる晶とこゆーざさん。

ちくまは二人を助けようとしたけどできなくて、それを誰かに任せた。


いや、誰か、ではない。

それは始祖の親であり。

何も知らぬ始祖に己の生き方を教える師であり。

始祖を守るための騎士であり。

始祖とともに音のない絶望の世界を生き抜いた同志でもあった。

お節介で心配性の彼らは始祖にその心のかけらを植え付ける形でこの過去の世界にまでついてきたのだ。


始祖……今はちくまと呼ばれる少年はついさっきまでそんなことすら忘れていたらしい。

ただ、ちくまに残る記憶はそれだけで。

今ここにいる経過まで記憶がつながる気配はなかった。



「誰かの異世かな?」


突然で場違いな情景を前にしていることを鑑みるに、その可能性は高そうだった。

ちくまは自身を納得させるように頷いて。


生来の好奇心を前面に押し出しつつ、あてもなく歩き出した。

すると、幾ばくも歩かないうちに狭い辻道は終わりを告げ、広い場所に出た。


そこは広い広い庭付きのお屋敷。

どことなく、カナリが暮らしていたお屋敷に似ていると……ちくまは思った。



「ここに誰かいるかな? おじゃましま~すっと」


ちくまは、突然現れたお屋敷に気後れすることもなく足を踏み入れる。

そのまま、興味の赴くままに散策を開始する。

庭園に咲き誇るとりどりの花たちは荘厳で華麗にちくまの目を楽しませる。


この屋敷の主も花が好きなんだろうなとちくまは思った。

そんな感じで、ちくまが半ばここにきた目的を忘れかけた頃。


不意にちくまの耳に入ってきたのは、水の流れる音だった。

ちくまはそれに誘われるように歩みを進めて。

やがてたどり着いたのは、噴水のある広場で。

白い曲線を描く噴水の縁に一人の少女が座っていることにちくまは気づく。


この世界が異世であるならば。

この世界における主となるべき人物がいることにおかしなところはないように思えたけれど。



「やあ、一応初めましてになるのかな?」


やってきたちくまに気づいたのだろう。

振り向くことで、耳元で切りそろえられたおかっぱの黒髪が揺れる。

幼い顔立ちに浮かぶのはどこかアンバランスな大人びた控えめな笑顔。


「晶さん……じゃない?」


少女は晶によく似ていた。

その、ミステリアスな喋り方と雰囲気がなければ、晶本人だろうと思えるくらいには。


「ふふ。妹が世話になったようだね。わたしはレミ。この夢の世界を投影せしもの、とでも言っておこうか」

「晶さんのお姉さん? あ、えっと。初めまして僕はちくまです」


少しばかり似すぎている気もしないでもなかったが。

姉妹だというのはなかなかに説得力のある言葉だった。

ちくまは反射的に名を名乗り、頭を下げる。

だが、レミと名乗った少女はそんなちくまの言葉に微かな笑みの度合いを少しだけ高めて首を振った。



「ああ、実際のところは違うよ。彼女はわたしのファミリアだからね。それをわたしの我が儘で妹と呼ばせてもらっているんだ」


相変わらず、見た目とそぐわない言い回し。

秘密めいていて饒舌。

たがそれにちくまが思っていた違和感はなく。


「あれ? でもなんかどこかでレミさんにあったことある気がするんだけど」


気づけばちくまはそんなことを呟いていて。


「ふふ。これはあなたの夢……未来を写し取ったものだからね。おそらく会ったことがあるんだろうわたしたちは。この場所でこうして、ね」

「……? よく分かんない」

「今は分からなくてもいいよ。いずれ分かることだから」


ちくまが再び首を傾げてそう言うと、レミは僅かに俯いてそう言った。

ちくまにはなんだかそれが寂しそうにも見えて、慌てて話題を変えるように言葉を続ける。


「あ、あのさ。今夢がどうこうって言ってたけど、やっぱりここってレミさんがつくった異世なの?」

「確かに創り出したのは先にも述べた通りわたしだが、これは異世ではないよ。分かりやすく言えばあなたの夢の世界だ。この世に誰にも聞かれず、見られない世界は少ないからね。現実の世界も、異世の世界も監視者は存在している。わたしたちは常に見られている。安息の地は夢の中にしかない。だから、こうして話し合いの場を設けさせてもらったんだ。……その安息の地すら脅かさんとしているわたしが言えることではないかもしれないけどね」



レミの語る言葉自体はそれほど難しくはないはずなのに。

曖昧だからなのかちくまがものを知らないだけなのか、どうも完全には理解が及ばない。


「つまり、レミさんは僕に何か伝えたいことがあるってこと?」


かろうじて理解できたことはそのくらいで。

それは間違ってはいなかったらしい。

レミは頷いて言葉を続ける。



「始祖は何故この世界にやって来たのだろう?」


それは唐突な言葉だった。

その答えは、当の本人にしか分からないもので。


「どうして自分の暮らす世界には歌がないのか。世界は滅びてしまったのか。知りたかったんだと思うよ」


だからこそ。

ちくまの呟くその言葉は、正解以外にあり得ない。


「ならば始祖よ。わたしの知っている真実……そのすべてを伝えよう。その先に待つ悲劇を、物語の序章とするためにも」


歌うように、レミは言う。

ちくまはそれにゆっくりと頷いて。


二人の、真実を探る夢の旅が、始まったのだった……。




          ※      ※      ※




そうしてちくまが、心の奥底で真実を捜し求める旅に出た頃。

そんなちくまの身体を守り借りているウィンドは。


「うーん。やっぱりそう簡単に通してはくれませんか」


のっぴきならない数の紅たちを前にして、そんな呟きを漏らした。

命がけでちくまを守らねばならない。

そんな重圧が容赦なく彼女に襲いかかる。

そう、今ちくまの姿を借りてちくまを守るのは、風の根源を冠する一人の少女だった。


少女の名はマリ・ヴァーレスト。

だがそれを口にすることは、過去に土足跡をつけるに等しかった。

ウィンドという名はこの世界でちくまがちくまであるように、彼女がこの世界にいられる許可証のようなものなのかもしれない。



「なるほど、これが僕の夢ですか」


雪月のごとき美しさを誇りながら……無双の士だったと言われるヴァーレスト家の先祖。

誇りはしたものの、生来戦うことを好きになれなかったこともあって、自分は決してそうはなれないだろうと彼女は思っていた。


だけど今は違う。

命がけで守りたい人がいるから。

この世界のどこかにいる先祖のように。

どこまでも強くあらねばならない……そう考えるようになっていた。


赤いダルルロボは、夢が襲いかかってくるとそう言っていた。

彼女にとっての夢とはこの重圧そのものだったのだろう。

ほとんど無意識に、彼女の指先が脇腹に隠れるように刻まれたちくまの傷をなぜる。


「誰にも傷つかせません」


気づけばそこにあるのは、薔薇の彩色がなされた青銀の鞘だった。

ウィンドの一族に遺された、ただ一本の業物である。


彼女……ウィンドは、腰に据えた刀を抜くこともなく白い息を吐いて目の前の異形たちを見据えた。

その間にも、紅たちはじわじわと迫りくる。

そして、あと少しでその腕が触れるかというその瞬間。



聞こえたのは甲高い鍔なりの音。

青の光跡疾り、紅たちは薔薇の傷跡をその身に刻み。

まるでその大きな花に一瞬にして養分吸い取られたかのように乾き崩れ、消えてゆく。


それでも不可視の刃は消えず、リノリウムの床を抉りながら次々と紅たちを飲み込んでいった。

それは居合いの妙技。

先祖とはスタイルこそ違えど、ヴァーレスト家が代々伝え続け踏襲してきたものの集大成だった。


「よしっ!」


ウィンドは、その一瞬でできた通り道に向かって駆け出してゆく。

追撃はしない。

紅を倒すのが目的ではなかったし、自身の力がいつまでも通用するとは思っていなかったからだ。


加えて、ウィンドが出てきてからかなりの時間が経っている。

啖呵は切ったものの、自分に残された時間が少ないことをウィンドは十分に自覚していた。


誰かにバトンタッチするまでになるべく進んでおきたかった。

ウィンドは、紅の弱点と言ってもいい機動力の低さを逆手に取り、その名の通り風のようにフロアを駆ける。


一つ一つ下るごとに冷えが増す。

紅たちは、様々な能力を駆使して行く手を阻んでくる。

それは、ぎりぎりと巻かれたゴムのよじれを直す作業に似て、時が経てば経つほど険しさを増していく。


ウィンドはそれに歯を食いしばって耐えて耐え続けて。

赤いダルルロボが示してくれた地図で言うところの、中程まで降りてきただろうとウィンドが考えていた時だった。



―――レベル2。


突如空から降ってきたのは、そんな機械的な声で。



「なっ!」


ウィンドは目前に広がる光景に絶句して立ち尽くす。

風の力で抉られた地面。

薔薇の傷を受けて事切れる紅の残骸。

それだけならばループに陥ったと言う一点において気を割けばよかったのかもしれない。

だが、数え切れない紅たちの中に見え隠れする氷の鎧を纏った巨体の姿がいくつも見える。


辺りを支配する寒さはちゃんと降りた分だけ厳しくなっていて。

何より一番大きかったのは、繰り返しのショックに対する精神的な疲労だっただろう。



「負ける、もんかっ!」


それでも気を張って構えられたのは意地だったのかもしれない。

ウィンドは必死に心を落ち着かせて、相手が動くのを待つ。


自身の攻撃の射程範囲に入るまで、じっと。

相手の攻撃を待ち、持ち前の早さでその隙をついて行動する。

それは地味だが確実で、だからこそ今までうまくいっていたはずだった。

だからウィンドは相手の攻撃がどんなものかなど、考える余裕を失っていた。

待ちのウィンドに対し紅達が学習して対応してくる可能性を失念していたのだ。



そんなウィンドを嘲笑うように頬に一筋の切り傷。


「しまっ……」


傷つけないと誓ったのに傷つけてしまった。

その事で、ウィンドの心中に油断による後悔と動揺が怒濤のように押し寄せてくる。


「……うわぁっ!?」


するとその瞬間。

怒濤が具現化した。

視界いっぱいに浮かぶのはその身に刃を仕込ませた桜の花びら。


羅刹紅から放たれたらしいそれは、轟音とともにウィンドに襲いかかってくる。


夢は心折れれば残酷な現実として襲いかかってくる。

その時ウィンドは初めて、赤いダルルロボが夢に気をつけるように言っていた本当の意味を理解した。



「ああぁっ!」


もう二度と自分のせいで彼を傷つけることはあってはならない。

ウィンドはその想いだけで刀を振るった。

無数の刃が襲いかからんとするまさにその瞬間、今までで一番大きな風の薔薇が三日月のような光跡とともに出現する。


ぶつかる刃と刃。


「ぐっ」


ウィンドは自らの放った力を支えきれず吹き飛ばされる。

そのまま転がるように地面に叩きつけられ、しびれるような全身の痛みに顔をしかめながら……それでもすぐに起きあがる。


そんなウィンドの視界に入ったのは。

何とか相殺できたのか、つむじ風のように螺旋描いて吹きあがる桜の花びらと。

見覚えのある黄金の矢を構えた羅刹紅たちの姿。


「あぁ……」


自失に近いウィンドの声。

それでも凍える手で刀を構えようとする。


そこに、容赦なく風切り音が重なって。


(少しは守れたのかな……)


未だ続く後悔の呟き。

そして、ウィンドの意識がぼやけ、埋もれゆくその瞬間。

ウィンドに殺到するはずのすべての矢が中空に制止した。


そう、まさしく時が止まったかのように。



―――恥じることはない、主はよくやった……後は小生に任せておけ。


心に聞こえてくるのは、そんな同志の声。

ウィンドは安堵を含んだ頼もしさと、かけられた言葉にちょっぴり誇りを感じながら。


その意識を、あたたかな深層に沈ませていった……。


 

            (第231話につづく)






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