第440話、知らなくても気づかなくてもいいから、淡い夢の中へ



それは正しくも、突然の事態急変。


もう少しで、あと少しで。

この砂浜と空と海ばかりの、ただっ広い異世を抜けられそうだったのに。


まるで逃がさない、とでも言わんばかりに。

出口を、進むべき道を塞ぐように、砂塵が噴水のごとく巻き上がったかと思うと。

焦げた肉のような色をした、長くて大きくて太い、化け物が顔を出す。




「……あとっ、もう少しだったのにっ」

「主さま、何をぼけっとしているのですか! とりあえず……一旦、合宿所へ戻りましょうっ!」

「あっ、う、うん。わかったのだっ」



叱責する勢いでそう言われて。

一瞬でひと飲みにされるだろう無数の牙付きのあざとが、ギラリと光ったような気がして。


すぐさま踵を返し、元来た道を駆け出していく……。






あまりにも急で焦っていたから、と言うのは言い訳か。

当然のように、一緒にみんなで逃げていると思っていたのに。


気づけば周りには、誰もいなくて。

その、大きなミミズのようなワームのような化け物の姿も見えなくて。


少しだけ平静を取り戻して。

みんなを探さなくちゃ、なんて思っていた時だった。




「……っ、あれは? な、なんで。きょ、お母さんっ」



ずっと探していた、親しい人がそこにいた。

だけど、 背中が寒くなるような……囚われの身で。


であるからこそ、声を上げ、急いで急いでその場所にかけつけて。


 


「恭子さんっ!? どうしてこんなとこで捕まっちゃってるのだっ」



気が付けばやって来ていたその場所は。

この砂と空と海しかない世界の果て。

現実の世界との、境界部分。

ごくごく薄い、透明にも近い、赤色のジェルのようなものが地面から空まで行く手を阻むように、閉じ込めておくように広がっており。


まるで……言うなればそれらを維持するための楔。

人柱にでもされてしまったかのように、潤賀恭子(うるが・きょうこ)が、皆の母にも等しい女性が、囚われ眠っているようにも見える。



朝からその姿が見えなくて。

その為の連絡がなかったのは、このせいであったのかと。

納得してすぐに、その薄い赤色の膜をのけようとする。



「ううっ。なにこれ、見た目はやわっこそうなのに、結構硬いのだ」


初めは指先で掬いつまみ、のけようとしたのに。

まったくもって歯が立たない。

そのまま呼びかけながら、どんどんと強めに拳を叩きつけるも、その振動すら伝わっていないようで。



「こうなったら! ええーいっ!」


手だけで敵わないのならば、全身を使って。

慣れず、不器用な動きながらも勢いをつけて下がって、肩のあたりから体当たりをしかけていく。


二度、三度と言わず、一心不乱に。

触れた感触では随分と硬い気がしたが。

衝撃を吸収し受け止め散らし、跳ね返す弾力性にも富んでいるらしく。

その度に何度も、下がった分の倍以上の距離を吹き飛ばされてしまって。



「ううぅ~っ、中々にしぶといのだっ。こんな時に……っ」



知己や、きくぞうさんがいてくれたのならば。

きっとなんとかしてくれて、恭子を助け出してくれたことだろう。


あるいはあの、音楽の力を糧にして生まれたという不思議な力を使えば、簡単にその願いも叶えられるような気がして。

 



(……そう言えば。どうして美弥は、使えないのだ?)


ふと、思い起こされたのは、そんなこと。

知己やきくぞうさんだけでなく、それこそ恭子や瀬華、あの榛原会長ですら音楽の才能があると褒めてくれたのに。

音楽の才能があるほどに、その不思議な力、『カーヴ能力』もすごいものになるって聞いていたのに。


 

「……ううん。別にすごくなくったっていいのだ。恭子さんが、助けられる力があればっ」



別に、周りのみんなに褒められたからって、知己のような超一流になれるなどと自惚れたいわけじゃない。


ほんの少しでいい。

恭子を助け出せるような、ほんのちょっとの力があればいい。

 


そのためには、どうすればいいのか?

奇しくも何もなかった所から、新しいものを生み出した知己のように。

やってみなくちゃ何も始まらないとばかりに。


願い、祈り、歌い、唄って。

頑張って気張って気合いを入れれば。

何もない、何もできなくても、奇跡は起こるのだろうか。



何だかんだで、いつも結局やり遂げてしまう知己のそんな姿を思い浮かべて。

そのまま真似をすれば、うまくいくんじゃないかって。

 

強く強く希った……その時であった。




 


―――やっと、たよって。きづいてくれたんだね……。



 



「……っ!」


不意に、降りかかってきたのは。

たどたどしく舌足らずのようにも聞こえる、そんな声。


びくり、となって顔を上げるが。

未だ恭子は眠ったまま。


一体どこから聞こえてきたのかと。

辺りを見回すよりも早く、まるで上空に引っ張られ吸い込まれるかのような、得たいの知れない圧迫感と。

太陽がどこにあるかも分からなかったのに。

明るかった世界全体に、影が差す感覚。


 

当然のようにつられて顔を上げれば。

 



 

「あ……っ、ああぁっ……」



そこには。

色の薄い空を、それでも青かった空を。

埋め尽くすようにして、闇が蟠っていた。



……いや、それはただの闇ではない。


黒い太陽と呼ばれる、今まさに世界を燃やし焦がし尽くし、滅ぼさんとしているもので。


知己がずっとずっと、それを止めるためにと、追っていた存在で。




―――その瞬間、思い出し、思い知らされたのは。



自らの能力が、なかっただなんて嘘で。



まるで、都合の悪いものに蓋をするかのように。

そうして、壊れやすく脆い精神(こころ)を保っていたかのように。


その存在を、今の今まで忘れてしまっていた、と言うことで……。




一体、どうして。

手をつき、腰を大地に落として、見上げて。

ただただ、迎え入れるような体勢になって思ったのはそのこと。

 

一体いつから、こんな。

忘れたくても忘れられるはずもないようなものを忘れていたのか。



「……」


彼女は、美弥は。

それを手繰り寄せ引っ張り思い出すようにして。

 

自身の過去の記憶。

その瞬間を目の当たりにせんと。


その大海のような領域へと。



ゆっくり、ゆっくりと沈んでゆく……。



             (第441話につづく)







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