第54話、まほろばの眠りは転ばぬ先の杖
仕方ないとはいえ、知己を貶す敏久に対して明らかに仁子は怒っていた。
この状態で仁子が口を開けば、余計に話がこじれかねない。
それだけは止めなくてはと、弥生がそれこそ仁子の口を塞ぐ勢いで彼女に駆け寄った時。
思わぬ砲撃は別の方向から飛んできた。
「……あなた何様? あなたにそこまで言われなくない。何も知らないくせに……逃げ出したくせにっ」
「な、なんだとっ!?」
多分、今までで一番大きな声でそう叫んだのは晶だった。
弥生だけでなく、その場にいる全員が絶句する。
それは、敗北し落とされた阿蘇にとってあまりに無慈悲な言葉に思えた。
「悪夢から逃げてきたあなたが、あの人に何かを言う資格はないのっ!」
更に容赦なく言葉を続ける晶。
その時初めてそう言う晶が、仁子より、あるいは自分よりも怒っているんだということに弥生は気づく。
何故彼女がそこまで怒るのか。
それは弥生にとって大いに気になる所だったが。
生憎その事について深く考えている余裕などなかった。
何故ならば、その晶がいきなりカーヴ能力を発動したからだ。
どん、と空気が震え、辺りに晶のアジールのなのだろうか、薄桃色のゆらぎが生じる。
「……【悠久新日】ヴァリエーション1。『ディングエデア・プライズ』……」
そして。
静かに、呟くように。
晶の力ある言葉により生じたのは桃色の霧のようなものだった。
「何だベっ!?」
当然能力を失っている敏久には何が何だか分からず。
無抵抗のままスゥッと吸い込まれるようにその霧は敏久の体内に侵入していって。
その途端敏久は、糸の切れた操り人形のようにばたりと倒れてしまう。
「晶さん、何してるのっ? 彼はもう一般人なんだよ!?」
「……?」
詰め寄る弥生を、見上げる瞳には何も浮かんでいないようにも、弥生の言葉を聞いて考え込んでいるようにも見える。
と、すぐに状態を見るために敏久に駆け寄っていた仁子がのんびりとした声をあげた。
「びっくりした~。ただ寝てるだけね」
「あ、そっかぁ。あきちゃんの能力って眠らせちゃうのだったっけ」
「あ……」
安堵する仁子と美里を脇目に、弥生はそう言えばとはっとなる。
一応、スタック班(チーム)のリーダーということで、晶のカーヴ能力のことは知っていたのを思い出したのだ。
法久の能力を使い、本人の立ち会いのもと見せてもらったその名前は【悠久新日】。
クラスはA で今見た通り、霧を受けた対象を眠らせる能力だった。
会話の展開からいきなり攻撃を、しかも一般人に向けたのかともろに勘違いをした弥生は、ちょっとでもそう疑った自分が恥ずかしくなってあわてて晶から離れる。
「えっと、ごめんね? 晶さん。私てっきりよっし~みたいに」
「仁子がてっきり?」
知己のことを貶されて、仁子みたいにぷっつんきちゃったんじゃないかなどとは言えるはずもなく。
「いえいえ、なんでもないよっ」
さらにこのことは知らないはずだったと思いだし、全力で気にしないでと首を振る弥生。
すると、それを真似するかのように晶はふるふると首を振った。
「違うの。眠らせたわけじゃないの。……このお兄さんの現実を奪ったの」
「現実を奪った? んーと、美里よくわかんないなぁ」
首を傾げてハテナ顔を浮かべる美里。
晶はそんな美里をじっと見つめた後(どうやらそれが彼女のものを考える時の癖らしい)、ゆっくりと口を開く。
「あのお兄さん、さっき悪夢を見たって言ってたでしょ? それって……その悪夢から逃げてきたってことだから……きっと向こうでそんなお兄さんに助けを求めてる誰かがいるはずなの。悪夢だって思うのなら、お兄さん自身がそれを解決しなくちゃ駄目なの」
だから現実を奪った。
つまりはそう言いたいらしい。
「そっかぁ、夢だったら無敵のヒーローになれるもんね」
美里はなんだかしきりに感心してうんうんと頷いている。
そこまできて、ようやく弥生にも晶の一連の言葉の意味を理解した。
言葉尻が歯に衣着せない物言いなだけで、随分と突飛な……あるいは可愛らしいことを考えているんだなと弥生は思う。
まさに夢見る少女といった感じだなあと。
「でも、現実を奪ったって……敏久さん、このまま眠ったままなの? もしかして~」
「……ううん。一時的なものだよ。終わらない夢なんてないし、あれだけの想いがあれば、悪夢だってすぐ晴れるはずだから」
「つまり、それまでに真澄さんが見つかればいいってことよね。」
これって実は今の状況において最良な選択と手段だったんじゃないのか。
まさか晶はそこまで計算していたのだろうかと弥生は感心しきりであった。
そして。
「よしっ、知己さんたちにも伝えておかなくちゃ。みんな、一旦外に出ましょう。……阿蘇さんの健康管理のほうは頼みますね」
だとすると、自分たちがここでやれるべきことはもうない。
弥生は、部屋の端のほうで恐々と見守っていた医師たちにそうお願いした。
「は、はいっ」
すると、思ったより情けない声が返ってきた。
おそらく晶の能力を見て、本能的に恐怖していたのだろう。
一線に出ないカーヴ能力者ならばよくてもDクラス程度。
Aクラス以上の能力者など、中々お目にかかれるものじゃないし、そのアジールにでさえ命の危険を感じたはずだ。
弥生はそれを見て、かすかに苦笑を浮かべる。
「ねえねえ。すごいね、今のカーヴ! ちなみに美里にかけたらどうなるの? 美里も良い夢見れるの?」
「え? えっと。それは……」
しかし、おなじAクラス、もしくはそれ以上の実力を持つ美里はそんな周りの様子をまるで気にした風もなく、晶にそんな事を問いかける。
邪気のない美里の笑みに、晶はどう対処したら良いか分からないようで。
ちょっとは場をよんでほしいなと思いつつ困り果てているのがよく分かる。
「……ふぅ」
と、そんな二人を微笑ましく見守っていた弥生の耳に仁子の深い溜息が聞こえてきた。
「どうかした? よっし~がそんな溜息つくなんて」
「あ、なんでもないの~。やっぱり気のかけすぎだったねって」
「……?」
慌てたようにぱたぱたとそれでも緩慢に手を振る仁子に、今度は弥生が首を傾げる。
しばらく仁子の言葉の意味を考えていて。
もれなくしてなるほどぅと弥生は一人心の中でほくそえんだ。
きっと間違いなく、仁子は知己にラヴなのだ。
知己を貶して怒った晶に、そんな自分と同じものを感じ取り、それから二人の間で実りのない熱いバトルが繰り広げられるんだ……などと考えていて。
それが、盛大なる勘違いであるのかは。
今のところ本人たち以外、誰にも分からないのだろうが……。
(第55話につづく)
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