第173話、ここにもいるよ、時の眷属
晶は始め、目の前で起こる事態が理解できなかった。
自分の想定と異なる友人……歌恋の危機。
正直、冷静さを欠いていたのは間違いなくて。
よく考えれば先刻の爆発とあの赤い異形の関連性に気づけたかもしれないのに……なんて思いも最早手遅れで。
自分の浅はかな行動が、取り返しの付かないミスを招いたことに対し、ただただ叫ぶことしかできなかった。
自分のせいで歌恋にもしものことがあったのなら、きっと自分で自分のことが許せなくなるだろう。
それは、自らの消滅を意味する。
ファミリアにとって自分への価値を見失うことは、すなわちそのものの死と言ってもよかった。
なのに……。
「人は誰だって失敗をするものです。自分を追い込むようなことは、しないでくださいね。あなたがこれで消えたりなんかしたら、怒られるのは僕なんですから」
爆弾でも落とされたかのごとく、あるべき姿を変え、炎と黒煙に包まれた視線の先……歌恋の眠っていた部屋から聴こえてきたのは、まるで自分の心を見透かしたかのような、タクヤの声だった。
晶には、それが信じられない。
それまでタクヤは、自分の隣にいたはずなのに。
自分と同じで到底間に合わない所にいたはずなのに。
タクヤは、晶のほうへ向かってくる形で立ち込める煙を抜け、その両腕に歌恋を抱えて歩いてくるのだ。
自分は随分と間抜けな顔をしていただろうと晶は思う。
「なんで?しかも、タクヤさん、その格好」
思わず呟いたのはいつの間にか、タクヤが真っ白の袴装束姿だったこともあるだろうが。
晶よりも早く、爆風が迫るよりも早くタクヤがそこにいたことが、不可思議で驚くべきことだったからだ。
それはむしろ早いというより、移動から救助までのシーンをすっ飛ばしたかのような、そんな感覚だった。
それにより思い浮かぶのは、幸永の言っていた『時の眷族』という言葉。
もしかして本当にタクヤは時を操る、とでも言うのだろうか。
だとするならば、それはもはやファミリアの範疇を越えてしまっている。
幸永じゃなくても、その力に興味を持つだろう輩がいるのは間違いないだろう。
そのことも考えて彼は、あるいは彼の主は、ファミリアのふりをさせていたのかもしれなかった。
幸永と会った時も、彼女の力に狼狽えるふりをしていたのかもしれなくて。
一寸前のタクヤとは、その佇まいが、纏う気配が、溢れるアジールの量が、別人、と言っていいくらい変わっていた。
その、煙に混じって立ちのぼるアジールは、畏怖すら覚えるほどに、清廉で力強い。
「……半ば強引にさせられた約束ではありますが、約束は約束です。諸々含めて、僕のこと、話しましょう。この姿になった以上、誤魔化すのもなんですしね。……あ、でもそれより先に、この子を安全な場所へ運びませんか? もしかしたら、多少は煙を吸ってしまったかもしれない」
そんな事を考えていたら、さっきまでのかたくなさはどこへやら。
諦めも混じったかのような口ぶりで自身の事を語るといい、それからもっとなことを口にする。
「あ、う、うん。それじゃ、こっちに」
どこか主導権を奪われたような釈然としない思いを抱きつつも。
歌恋の心配をすることが第一なのは確かで。
晶はこくこくと頷き、歌恋を抱えたタクヤを促して。
やってきたのは、『風間真』のネームプレートが残されたままの誰もいない病室。
当然開いていたベッドに歌恋を寝かせて、具合を看ている間中、タクヤはわざとらしく相槌なんぞ打ちつつ、辺りを見回している。
「ここなら安全だと? さっきみたいな輩がいつやってくるか分かりませんよ?」
そして、白々しくもそんな事を聞いてくるので、晶は内心ため息をつき、
「ここは主の異世に守られてる場所だから。仮に席を外しても何かあったら分かるの」
「ほぉ。言われてみればあなたがファミリアだとおっしゃった時点で気づくべきでしたが……つまりあなたの主、風間真さんはこの病院のどこかにいるってこと、ですか」
止むを得ずそう言うと、案の定そんな事を聞き返してくるタクヤ。
雰囲気は変わっても、そんな抜け目のない中身は変わってないらしい。
「それがどうかしたの?」
「そんな怒らないで下さいよ。なんとなく聞いてみただけじゃないですか。そもそも、カーヴ能力者同士の戦いにおいて、ファミリア使いの能力者が姿を隠して戦うのは当たり前のことですしねぇ。あの赤い粘土みたいなやつの能力者だって、全く姿を見せてないわけですし」
思わず語気を強めてそう言うと、タクヤは苦笑すら浮かべてそんな事を言う。
その言葉尻には、先ほどまではなかった余裕すら感じられた。
晶には、それがちょっと気に食わない。
まるで、主がどこにいようと関係ないかのような口振りである。
もしかしたらそう思わせて口を割らそうとする魂胆なのかもしれない。
その手には乗るもんか、なんて勘ぐっていた晶だったが、しかし当のタクヤはそれすらお見通しだったかのように、話題を変えた。
「まぁ、それはいいとして。早速本題というか、先ほどの晶の疑問にお答えしましょう。……あの、仲村さんという方も言っておられましたが、僕はこの通り、時の眷族です」
「時の眷属……」
どこがこの通りなのかはさておき、タクヤは幸永に言われて躍起に否定していたことを、あっさりと認める発言をする。
この気の変わりようは一体どう言うわけだろうって気持ちはあったが。
それは晶の知りえないことであり、興味深いことでもあったので、晶はそのまま先を促す事にする。
「……そう、時の兼属です。この世界で言うのなら、時間の【属性(フォーム)】を持つファミリア、とでも言えばいいでしょうか。ま、この属性を持つファミリアなんてほとんどいないだろうからからあまりメジャーとは言えないかもしれませんけど」
「……」
タクヤはそう言って笑ったが、その笑みの中には、凄絶な後悔が含まれているようだった。
その意味も含めて、晶は考える。
つまり、タクヤが言いたいのは……
「ええ、そうです。お察しの通り、僕は元々はこの世界の存在ではありません。……所謂第三視点、四次元の狭間に棲まう存在でした。そこで僕は大層悪さをしましてね。まぁ、正直その時は自分の行いが悪いことなどとは露にも思ってませんでしたけど、そのせいでこの世界で言う畜生道ってやつに落とされたんです。そこからは語るにも長いエピソードがあったりするんですが……縁あって主に拾われ、今はファミリアをやっています」
晶が考えをまとめる前に、今さっき晶がしたように自身のことを語るタクヤ。
さっきの怖いくらいの凄絶さはどこへやら、底意地の悪い笑みすら見せるタクヤに、やはり晶は内心むっとする。
きっと、この人をくったような性格が、タクヤの本来のものなのだろう。
その事については、晶だって人のことは言えないわけなのだが……自分でそれが分かれば世話はなく。
そんな様子の晶に対して面白がっているようにも見えたタクヤは、そこで再び表情を改めて。
「で、まぁ、ファミリアとして契約したわけなんですが、主の能力がかなり特殊なものでしてね。一応戦略の上の問題もあって詳しくは言えませんけど、僕はその、時の力が使えるわけです。結構制約とかあってややこしくはあるんですが、その力で一時的に時を止め、彼女を救出したわけですよ。間一髪でしたけどね」
そう、最初の疑問点へと、話を収束させた。
あっさりと何でもないことのようにタクヤは言うが、通りで幸永が純粋に興味を抱くわけだと、深く納得する。
そのタクヤの力は、言葉面だけで判断するのなら、叶う能力者などこの世に存在しないのではないかとすら思える。
幸永は間違いなくその力のことを知っていて、姿を現したのは、その力と相対したいと思ったからなのかもしれない。
その時は、タクヤにその気がなかったから、彼女は引いたのだろうが。
そのための火種をしっかりと蒔いてはいたようだった。
―――火種。
それは、幸永の発した、タクヤにその力を教えてほしいひとがいる、といった言葉だ。
晶は、その意味が気になった。
だから……。
晶は、タクヤの話が一段落ついたのをのを見計らって、その真意を問うことにした。
「そっか。こうみんが興味持つわけだね。だって、それだけの力なら世界の改変すら可能ってことでしょう?」
それは、興味からくる単純な疑問だった。
幸永だけじゃなく、誰もが欲するだろうその力。
タクヤが持て余すその意味はなんなのだと。
するとタクヤは、固い笑顔を張り付け、ゆっくりと首を振った。
「……制約があると言ったでしょう? 先程のようにこの場だけ数秒ってことならそれほどでもないですけど。例えば、時渡り……『時の舟』を作り出し次元の壁を越えるようなレベルになると、その代償はかなり大きなものになると言えます。今の僕には、その代償を払うことなど、できませんから」
そう言うタクヤはひどく辛そうだった。
晶はそれを見て躊躇ったが。
それでもその代償がなんなのかを知りたい気持ちの方が大きくて。
「その、代償って?」
だから、思わずそう口にして。
「生あるものの魂。それが代償です。……もっとも、昔は代償などと思ったことはありませんけどね。ほら、時計を動かすのに電池が犠牲になった、とは思わないでしょう?」
晶は後悔した。
タクヤがそんな過去の自分を、心底悔やんでいることがわかったからだ。
幸永はその事実を知っているのだろうか?
いや、おそらく知っていてあんな挑発をしたのだろう。
今もその事に懺悔し続けているタクヤが怒ることを見越していたに違いない。
目的のためには手段を選ばないのか、それともその事自体が目的なのかは分からないが。
言葉を失う晶をよそに、タクヤは顔をあげ、申し訳なさそうな苦笑を浮かべる。
「すみません。今のはオフレコってことで。……話が随分それてしまいましたね。どうですか、稲葉さんの様子は?」
そして、無理のある話題転換。
かといって、これ以上追求することなど、どうしてできよう?
「うん、とりあえず大丈夫みたい。詳しくは弥生さんたちに看てもらわないとなんとも言えないけど」
晶は結局、そう返すしかなかった。
「そうですか。……分かりました。それじゃあ僕は、他の病室の様子を見てきますね。晶さんはしばらく稲葉さんの側にいてあげてください」
タクヤは気を取り直すようにしてそう呟くと、部屋を出ていこうとする。
「あ、うん……って、何してるんですか、タクヤさん?」
それに頷きかけた晶だったが、何故かタクヤはこちらに視線を、というか正面を向いたまま部屋を出ていこうとしているのが気になって、つい声をかけてしまった。
「い、いやぁ、はは。あまり気にしないように」
すると、そう言ってごまかし笑いを浮かべている。
怪しいことこの上なかった。
一瞬だけ、何かを背中に隠し持っているのかとも思ったが。
晶はすぐにはっとなり、慌てふためくタクヤの背中に回り込む。
「……っ!」
そして、今度こそ完全に言葉を失った。
ひどい、のひとことだった。
背中のほとんどの部分が火傷に覆われていたのだ。
人間ではないから命に別状はないのかもしれないが、焦げたように黒くなってしまっているそれが、ひきつるような痛みを生むことは、容易に想像できた。
おそらく、歌恋を助ける際に負った傷なのだろう。
今の今までそれに気づかなかった自分が許せなかった。
「……いや、その、ひどいのは見た目だけですよ? 能力使用の代価みたいなものですしっ、稲穂だから意外と燃えちゃってるだけでっ……それに、そうっ! あの状況で助けなきゃきっと主に怒られると思って! ある意味しようがないこっ……いででっ!? ちょ、いきなりなにするんですかっ!」
何やらぶつぶつと言い訳するように呟いていたが。
気付けば晶はそれを遮るかのように、その背中を抱きしめるみたいにタクヤを引き留めていた。
今までで一番の狼狽ぶりを見せるタクヤ。
それはそうだろう。
晶だって、何でこんなことをしているのか訳が分からなかったのだから。
「やっぱりわたし、タクヤさんのことキライ」
「いや、それは薄々気づいてはいますけどっ!」
「タクヤさんのせいで、歌恋ちゃんを助けてくれたお礼、言い忘れる所だったじゃないですか」
「……それは、僕のせいなんでしょうか」
自然とついて出た言葉にタクヤはただ眉を寄せて、情けない顔をするばかりで。
気付けば晶はそれ見て。
初めてかもしれない、本当の笑みをこぼしていて……。
(第174話につづく)
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