第174話、氷と炎、交わる事のない相反する者達



ちくまが生涯……思い出せる限り、エレベーターに乗るのは二回目だった。

だから、このエレベーターは、『喜望』の本社ビルで初めて乗ったものとはちがうんだろうなと思っていた。


しかし、その上昇スピードが鰻登りに増していくのを感じるにつれ、流石のちくまもこのままのスピードでぶつかったら死んじゃうかも、くらいの危機感を持ち始める。



「にゃにゃにゃぁっ!?」

「うう~っ。ゴメンなさいだよみんなーっ。みさとが上のボタン押しちゃった~」


すでに、狭いエレベーターの中でパニックに陥っていた。

こゆーざさんと美里は立つこともままならないのか、しゃがみ込んで何やら叫んでいる。


一方、ドア付近でこちらに背を向けている弥生と言えば、塞がれたドアに寄りかかるようにしたまま、微動だにしてないように見えた。

意識でも失っているのかもしれない。


その状態でエレベーターが急に止まりでもしたらケガじゃすまないだろう。

そう思うや否や、ちくまは頭を押し付けてくるようなGに足元をふらつかせながらも弥生に駆け寄った。



「弥生さん、だいじょうぶっ?」

「……っ、え? わ、私? ええ。平気よ」


ちくまが声をかけると、しかし弥生はすぐに振り返り、そう言葉を返す。

その様子はご多分に漏れず慌てている様子だったが、とりあえず元気そうなのを見て、一安心するちくま。


本当はその時もっと注意深く注目していれば気づくこともあったのだが……

ほっとしたのもつかの間、急激にエレベーターがそのスピードを緩め止まったので、ちくまの関心は、すでにそちらの方に動いてしまっていた。



チン、と小さな金属音がしてゆっくりと左右に消えていく、エレベーターのドア。

ちくまはそれを見届けた後、今度こそ一番乗りだ、とばかりに外へと駆け出す。




だが、それがまずかったのかもしれない。

気づけばちくまはただ一人、氷の七色の乱反射が眩しい、氷だらけの世界に放り出されていたからだ。



「氷の異世……かな? 前に見た雪の世界に似てるかも」


ちくまはそう呟き、物珍しげに、あるいはこの場所がいつ命の危険に晒されてもおかしくない場所であることなど全く頓着していない様子で歩き出す。





その姿は、この世界を作り出したものにとっても、たいそう滑稽に映ったことだろう。

あまりにも純粋で無垢。

自らのパートナーであるワガママ姫に確かに通ずる所がある気がする。


(……これが文字通り超然ってやつなんだろうな)


克葉はふっと苦笑を漏らし、ゆっくりとちくまに歩み寄る。

すると、さすがにちくまも気づいたらしい。

ちょっと今更な気がするが、慌てて何やらポーズをとっている。



「だ、誰っ!?」

「……どうも。パームの塩崎克葉だ。ちくま、って言ったかな? 君に用があってな。こうして呼んだんだ」

「パームっ? ほ、他のみんなはどこへやったの?」


敵だと分かると僅かに纏う空気が変容するするのが分かる。

克葉の力とは対をなす、炎の力だ。

お互いやり合うようなことがあれば、ただでたすまないだろう。

そんなところまでウチのパートナーと似てるんだなと、克葉はしみじみ思う。


だが、彼は自分のことばかり考えてる、というわけでもないらしい。

多分教育の差、なのだろうが。

克葉は苦笑をこぼしながら、言葉を返した。



「あぁ、他の子たちなら心配はいらない。少なくとも俺自身はかわいい女の子たちを傷つけような真似はしないと誓おう。……今頃は急にいなくなった君を探していることだろうさ」


それは裏を返せば、自分以外は今の言葉の限りではないと言っているわけなのだが、ちくまは気づいただろうか。

もっとも、それは辛いことをパートナーに押し付けて自分は安全な場所でのんびりしてるようなものでもあって。

無理をしがちな彼女を見ているとその誓いは守れているのかと時々不安になる。



「え、そうなの? それじゃあ早く戻らないと」

「オレが言うのもなんだが……敵に向かって言うかそれを? 早く片付けて帰るって、挑発されてるように聞こえるぞ?」


やっぱり状況が分かってないんだろうなって思えるちくまのセリフ。

克葉が大げさに肩をすくめてみせると、しかしちくまはえ? という顔をして。


「そ、そんなつもりじゃないよっ。だってお兄さん、ぜんぜん戦う気とかないでしょ?」


そんな事をのたまった。


なるほど、何も考えてないようでいて、たったこれだけのやりとりでそれを見抜くとはたいしたものだと克葉は思う。




「……そうか。それならそれで、話が早くて助かる。それじゃあ、早速本題といこうか」


克葉は、ちくまの言葉に肯定も否定もせずそう呟くと、おもむろに手のひらをちくまの頭上に掲げた。

するとその手のひらから僅かに青色のアジールが漏れ出す。


「……?」


それを見たちくまは、不思議そうにしていたが特に避ける様子もなかった。

おそらく、この力に害がないことを本能で悟っているのだろう。


一瞬だけ、今この状態で殺気でもばらまいたらどうなるのだろうか、なんて考えに及んだが。

それは自分のキャラじゃないだろうと自重し、その白銀の髪にそっと触れる。

そして、意図的に凍らせたものを解凍するべく、力を送ったのだが……。



「お前、まさかもう……封印解いちまったのか?」


あるはずの手応えがそこになくて、克葉は驚きを隠せない。



「封印? なんのこと? あ、でも最近どっかでその言葉聞いた気がするけど……」

「記憶の封印だよ。お前自身のことの記憶だ。お前は何者で、どこから来て、何をなすべきか、という」


首を傾げているちくまは、封じられていた自覚さえないように思える。

気付かぬうちに誰かが解いたのだろうか。


可能性があるとすれば、 知己あたりが考えられるが……それならそれで、自体は別の方向に転がっていたはずなのだ。

その可能性は低いと見ていいだろう。

だとするならどういうことなのか。

思わず唸る克葉だったが、その答えはちくま自身があっさりと口にした。



「ああ、僕の記憶? うん、最初ここに来たばかりの時は思い出せなかったけど……今は全部思い出せるよ? なんかね、いつの間にかだけど。あ、もしかしたらこゆーざさんにかじられたからかな? しょっく療法っていうの?」

「……本気かよ。そんなんで俺の力は破られたのか?」


思わず呆然としてそう呟く克葉。

まぁ、もともとは未知なるものに対して効くかどうかも分からなかったわけだから、ある意味考えうる結果だったのかもしれないが……。



「でも、そうだったんだ~。僕の記憶を封印してたのって、お兄さんだったんだね」

「……っ」


愚かにも、いらぬ口を滑らせてしまったことに気付く克葉。

思わず焦る。封印が解けてしまっているということはつまり、『パーフェクトクライム』にも劣らない、その気になれば世界を滅すことなど容易いとまで言われる超常の存在を、野に解き放ってしまっているのと同義で。



「なんで? なんでお兄さんはそんなことをしたの?」


それはただただ純粋な疑問の言葉だったが、知らず知らずのうちに気圧されている自分に気付く克葉。

相手にその気はないことは一目瞭然なのに、見方が変わってしまった今、尋問され追い詰められている気分になる。



「……お前はこの世界のルールを知る必要があった。ルールを知らぬままでいたら、世界が混乱する。下手をすれば、『パーフェクトクライム』のように、世界の敵だと認識されることになったかもしれない。だから、記憶を封じる必要があった」


暴論だ。

口にしてから、克葉は自身でそう思った。


そもそも、咄嗟に出たその言葉は、彼を見いだした上の判断によるもので。

克葉自身の考えではなかった、というのもあるだろうが。

それを聞いたちくまは何かに得心したように頷いて。


「そっかぁ、そうだよね。さっきこゆーざさんにも言われたんだ。この世界で生きるなら、この世界のルールを守れって。どうして記憶なかったのかなって不思議だったけど、これで謎が解けたよ。どうもありがとう」


そう言って笑った。



「……」


思わず言葉を失う克葉。

もしかしたら……克葉自身が考えるほどのことでもなかったのかもしれない。

そう思わせるほどに、その笑顔はまっすぐで真摯だった。


「でも……それだと、変じゃない? だってパームってわるものぐんだん、なんだよねぇ? 僕、お兄さんがそうだとはどうしても思えないんだけど」


だから、そんな疑問も浮かんできて当然なんだろうと思う。

克葉はそれに苦笑をこぼし。


「馬鹿野郎。わるものに決まってるだろうが。世界を破滅に導く『パーフェクトクライム』の力によって蘇ったゾンビなんだからな、俺ってやつは」


はっきりきっぱりとそう言ってやる。

だが、それでもちくまは納得がいかないらしい。



「じゃあ、無理矢理言うこときかされてるってこと?」

「……いいや、これは正真正銘、俺の意志だよ」


まだ、これ以上の真実を知るのは早い。

始めからセイギノミカタもわるものも存在しないんだ、などと言っても混乱するだけだろう。




「無駄な時間を過ごしたな。これをやるからとっとと帰れ、俺はやらなきゃいけないことがあるんだ」

「……え、ちょっと!?」



故に克葉は、呼び止めようとするちくまを無視して。

強引にちくまをこの異世から放り出したのだった……。




            (第175話につづく)










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