第175話、偽悪的パッション、愛のかたまりを添えて


それが起こったのは、塩崎克葉と名乗った男が去ってからそれほど経ってはいなかっただろう。

大地を覆すんじゃないかって思えるくらいの爆発音が轟き、仁子はカナリと顔を見合わせる。



「……今の、病院の中からじゃなかった?」

「っ、よっし~さん、あっち!」


カナリはぐるりと辺りを見回した後、はっとなって何かを指し示す。

それは、文字通り爆風によって吹き飛ばされたらしい天井……建物の残骸が中空に舞う光景だった。



「あの辺りは、確かナースステーションがある場所。カナリっち、行ってみましょう!」

「はいっ」


仁子は、カナリの頼もしい返事を受けてすぐさま病院内へと駆け出していく。



だが……。

仁子たちは、爆心地と思われるその場所へは辿り着くことができなかった。

何故ならば、受け付けロビーのある入口の所で、まるで待ち伏せでもしていたかのように、いきなり異世へと取り込まれたからだ。





「よお、会いたかったぜ、お二人さん」


そして。

その異世を作り出したであろう張本人とでも言いたげに。

ロビーのスペースのあるど真ん中……一番目立つだろう場所に、一人の少女がいた。


こぼれるのは小麦色の長髪。

勝ち気そうな瞳に潜むのは、無垢で穢れのない紅の光。

神の造詣を賜ったと称されるだろう、震えくるほどの美貌。

事実、人でないことを表すがごとく、羽ばたきをやめない漆黒の翼。




「……誰?」


警戒も忘れて、純粋にそう問いかけるカナリ。


「あぁ、そうだったっけ。おまえはオレのこと、知らないんだっけか。オレはお前のこと、結構知ってるつもり、なんだけどなぁ」


言われた黒い翼の少女は芝居がかった仕草で、しかし本当に残念そうに、そんな事を呟く。

ただ無邪気に笑いながら。

カナリと同じくらいの気安さで。



それは、一見なんてことのないほのぼのとした光景に、第三者から見たら思えるだろう。


だが、今。

目の前の黒い翼の少女はなんと言った?

彼女を……カナリを知っていると、そう言わなかったか?


あまりにも無防備に。

当たり前のように。



「え? わたしのこと、知ってるんですか?」

「あぁ、もちろん。よかったら……っ!」


それ以上、言わせるわけにはいかなかった。

仁子は、目にも留まらぬ早さで二人の間に割り込み、少女に向かって自身の獲物、『トゥエル』の刃を突きつけた。



「それ以上余計な口を叩けば容赦しないから」

「おーこわ。何急に? オレが彼女のこと知ってて悪いわけ?」

「あなたは何も知らないからそんな事が言えるのよ」

「ははっ。まさか? 知ってるに決まってるだろうが。あんたたちがよってたかってこいつに隠してることくらいさ」

「……っ!」

「え?」


最悪だ……と、仁子は思った。

不安げな様子の声を上げ、こちらを見てくるカナリの視線が痛い。


確かに、彼女に隠している事があるのは言い訳のしようもない事実だった。

でも、それでも言い訳を言わせてもらえば、その事実は彼女にとっては命に関わるだろうことで、慎重にじっくりと一歩ずつ理解させるべきことだからだ。


なのに目の前の黒い翼を持つ少女は、それをあっさりぶち壊そうとしている。

仁子の想像しうる、最悪の形で。


しかも、カナリが今その事実を知ればどうなるのか分かっているに違いないのだ。

この黒い翼の少女は。



それが、仁子には許せなかった。

たとえ黙っていたことで、カナリに恨まれるようなことになったとしても。

黒い翼の少女の思い通りにさせるわけには、いかなかった。



「トゥエル、具現せよ! ……【第仁聖天】セカンド、『アドチューン・トゥエルブ』ッ!」


力ある言葉が発せられた瞬間、仁子の姿がかき消える。

……いや、消えたのではない。


今まで仁子がいた場所に残る、青白い色蒔く上昇気流が示すように、消えたと錯覚するほどのスピードで中空に舞っていたのだ。

陽光を反射し、ギラリと光るのは仁子と一体化した青銀の刃。

それは、重力の加速に乗った乾坤の一撃。

仁子には、この一撃で彼女を倒す自信があった。


しかし……。




「容赦も聞く耳もない……ってか」

「がっ!?」

「よっしーさん!」


苦悶の声を上げ弾き飛ばされたのは仁子の方だった。

インパクトの瞬間、刃を伝って猛烈な電流が仁子に流れ込んできたからである。



「勢い余って力任せってのも嫌いじゃないけどな。そんなことばっかしとるとその勢いのままで、大切なもんまで失っちまうぜ、よっし~先輩っ」


まるで忠告めいた、少女の言葉。

流れ込んだ電流がかなりのものだったのか、体が思うように動かない。

それでもなんとか駆け寄ってくるカナリの言葉に応え、顔を上げると。


さっきまでそんな気配を微塵も感じさせなかった目の前の少女から、怖気をさそうほどの凶悪な闇色のカーヴの奔流が立ちのぼっていた。

そして、掲げた手のひらにはバチバチとはぜる雷の束が握られている。

おそらく、それが彼女のカーヴ能力なのだろう。


仁子はその力を見て、正直驚きを隠せなかった。

それは、仁子の必殺の一撃を止めたからという理由だけではない。

まるで、仁子の属性(フォーム)が【金】であること、分かっていた上でその弱点である【雷】を使ってきたように見えたからだ。



「……さて。これでゆっくり話ができるな」

「くっ!」


ふらりと一歩、こちらに近づいてくる少女。

それを見たカナリが、仁子を庇うようにして前に出る。


発するは金色のアジール。

相手に対しての、明確な怒気が伝わってくる。

それを見た少女は、心外だ、とばかりに雷を無に帰して。



「まぁまて、やり合うのはオレの話を聞いてからでも遅くはないはずたろ。一応言っとくとオレは今おまえらと戦う気はないんだ。よっし~先輩が攻撃してきたから抵抗しただけだ。何、とっさだったからしばらく痺れて動けないってとこだよ」


あくまでもフレンドリーを装って、カナリの気を殺ごうとする少女。

このままではまずいと思った。

取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。

なのに、仁子は倒れ付したまま動くことも、話を聞いちゃいけないって叫ぶこともできなかった。



「……話。それって、なんなの? あなたはわたしのこと、知ってるの? わたし、あなたのこと、知らないんだけど……あなた、パームのひとじゃ、ないの?」


隠していたことがあったという、仁子たちへの不信感と不安感が効いているのだろう。

カナリは仁子の顔を見、少女の顔を見やりながらも、そんな不安を吐き出すようにそう呟く。



「ああ、それでいいんだ。まずは話し合おうじゃないか。……自己紹介してなかったよな。オレは仲村幸永。見ての通りお前らの敵だ。なんでオレがお前のことを知ってるかっていうのは簡単だ。オレはお前のマスターと知り合いだからだ。永遠のライバルのひとりって、言った方が正しいかもしれないけどな」

「……え?」

「ぐっ! のっ!」



あっさりと、何の躊躇もなく。

仲村幸永と名乗った少女は爆弾を投下する。

カナリを傷つけ、絶望させるだろうその言葉を。



……言われたことの意味がよく分からなかったのか、とうのカナリはきょとんとしている。

これ以上は本当にまずいと仁子は思った。

全身の力を振り絞り、声を出し、起き上がろうとすると。

痺れが抜け始めたのか徐々に体の自由がきき始める。

そのことに仁子が気を抜いた、その瞬間。




「あぁ、そっか。お前は知らなかったんだっけか。自分が『ファミリア』だってこと」



鋭利に研磨された言葉の刃が、カナリの身体に突き立てられるのを仁子は確かに見たような気がした。



「……え? あなた、何を言ってるの? あたしは人間よ?」


その声は震えていた。

必死に否定しようとしても、カナリ自身、心のどこかで、それを否定できない何かがあったのかもされない。



「本当にそうか? じゃあ、お前の両親の名前は? ファーストネームは? 今まで人間として暮らしてきた記憶や思い出が、お前にあるのか?」

「そ、それはっ」


さらに追い打ちをかけるかのような幸永の言葉に、カナリは反論する術を失ってしまったようだった。

たが、それは諸刃の剣だったのかもしれない。

言ってる側の幸永ですら傷ついているように、仁子には見えた。



「反論できないだろ? それならっ」

「違う! そんなのでたらめよっ! ……じゃあ、ジョイの存在はどうなるのよっ!

ファミリアがファミリアのマスターをやってるとでも言いたいの!?」


おそらくそれは、カナリの持ちうる最後のカードだったのだろう。

必死にそう叫ぶカナリ。


だが、幸永はそれにも首を振った。

最早言葉を紡ぐことへの悲痛を隠そうともせず。



「……そうか。お前は彼女にそう思いこむことも使命のうち、だったんだな。残念だけど、透影・ジョイスタシァ・正咲……お前の言うジョイこそが、お前のマスターなんだよ」

「っ!」


それが……最後のとどめ、だったのかもしれない。

カナリは雷に打たれたかのように絶句し、固まっている。

その時、カナリの心情に劇的な変化があったことな分かるはずもなく。




ぽとり、と。


何も言わず一粒の涙を零したカナリは。

そのまま背を向けて走り出してしまって……。



仁子の呪縛が解けたのはその時だった。



ガキィンッ!


刹那、激しい金属と金属の擦れ熱せられる音が木霊する。

溢れ暴走する怒りの感情のままに、繰り出した牙撃の一撃が。

同じように一瞬にして取り出した鉄笛によって受け止められたことによって。



「怒るなよ。せっかく、お前らのやりたがらなかった悪者の役、買って出てやったんだからよ」

「……っ! あ、あなたはいったい何がしたいわけ!? 本当に敵なの……?」


いつもだったら、そこでそう言われて攻撃を止めはしなかっただろう。

それくらい、怒っていたからだ。

しかし、さっきの辛そうな表情、今の言葉。

それらが仁子を迷わせていた。


「敵か。そりゃそうだろうよ。これであいつが死んじまうくらい傷つくだろうって分かっててあんな事言ったんだからな。どうしようもない極悪人だろう?」

「あなたは……っ」


かと思ったらさっきまでの沈んだ様子は既にそこにはなく。

笑顔すら浮かべてそんな事を言うから。

仁子には彼女の真意が掴めなくなってしまった。



「こんなことしてる場合かよ。早く追えって。オレがムカつくならいつだって相手してやるからさ。……おっと、嗅ぎつけたか? いったん退却としますかね」



だから。

そう言ってどこへともなく去っていく幸永を。


仁子は追うことはできなかったのだった……。



              (第176話に続く)






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