第320話、昔はなかったその言葉に、感謝して思いを馳せる



「……おい、君! こんな所で寝てるんじゃない!」

「へっ!? あっ」


一連の、愛しきダーリンとの逢瀬は。

その言葉面よろしく、怜亜の妄想が生み出した夢か何かだったらしい。


何故か自分の席でプリントを握り締め、寝こけていた怜亜は。

まさしく『いなほさま』につままれたような気分で、庁務の先生に叩き起こされて。

色とりどりのネオンに包まれた帰り道をぼうっと……あるいは余韻に浸りながら帰っていって。




何事もなかったかのように次の日。

しかし世界は……怜亜の視界は、色をつけてがらりと変わっていた。


もしかしなくとも庁務員のおじさんに叩き起こされた時から、怜亜の世界は変わっていたのかもしれない。


怜亜はカーヴ能力者の卵として、その可能性があるとして、この学園に通っていた。

だけどそれまでの怜亜は、カーヴの力を、あるいは個々の異世を、認識することを苦手としていた。

能力を使われても、何かが変わった気がする、なんて思う程度だったのだ。

当然、名前のつくような能力だって、自分にはないと思っていて。



でも、その日は違った。

学校に来る前から、なんとなく違和感はあったのだが。

能力者の集まる学校に来て、それは確信に変わる。



世界は色づいていた。

それぞれの個性を表わすみたいに、実に様々な色で。

それは、生徒たちだけでなく、道具や建物でさえも。


加えて、能力者の力が流れ込み、フィールド、あるいはウェポンタイプの能力の仕組みが手に取るように分かる。


故に怜亜は、有頂天になっていた。

これで少しはましな能力者になれるかもしれない。

あるいは、自分にしか見えない、ファミリアと出会えるかもしれない。


でもそれは。

教室に足を踏み入れたことで、すっと引っ込んだ。

正しく、冷や水を浴びせかけられ、夢から現実へと引き戻される感覚。


ダーリン……王神がいる。

誰も寄せ付けない、ギラギラとした、棘のようなアジールをまとって。


昨日の、親しげに怜亜に接してくれた空気など、微塵も感じさせない。

やっぱりあれは、怜亜の夢だったのか。

都合のいい、妄想だったのか。


目に見えるようになったことで、触れたら痛そうだなぁと思える王神のアジール。

怜亜は思わず躊躇して一度は立ち止まってしまった。


斜め右後ろの席……怜亜の席にまでその範囲は及んでいる。

もうすぐ授業のチャイムも鳴るし、そろそろぼうっと突っ立っている怜亜を、級友達が訝しげに思い始める頃合だろう。

怜亜は気を取り直し、級友達に挨拶をしつつ自席に近付く。



「お、おはようっ」

「……」


どさくさに紛れて王神にも挨拶。

蚊の鳴くような声だったからか、頷くような曖昧な反応しかなかったが。

それはいつものことだから、怜亜は一つ息を吐いて、意を決して席に着く。



「……っ」


すると、どうしたことか。

無意識なのかそうでないのか。

王神のアジールが怜亜に当たらないようにと、へこんでゆくのが分かって。


その気遣いに、初めて気づいた怜亜。

嬉しいやら何やらで、出そうになった声を両手で塞ぐようにして、怜亜は自分の席に着く。


それからは、ずっと王神の観察タイムだ。

昨日のように気さくに話しかけられるような……きっかけを探しながら。



そうして、いつもなら来るはずのなかったそのきっかけは。

お昼休みの前の最後の授業で、訪れることとなる。



(……おぉ?)


やっぱり、授業そっちのけで王神のたくましい背中を見つめていた怜亜は。

まっすぐ黒板をきりっとした眉で凝視しているはずの王神を包むギラギラオーラが、光る緑色のあったかそうなものに変化したことに気付かされる。


きょろきょろ辺りを見回すも、どうしてかその変化に気付いた様子の人はいなくて。

何だろう? と怜亜が思っていると。

緑色のそれはうねうね動き出し、より分けられ枝分かれして、天井近くまで伸びてゆくのが分かる。


緑のカーテンをつくるヘチマの蔓か。

怜亜はその時、のんきにもそんな風に思っていたが。



「……っ!」


その瞬間だった。

結構な数に増えた光の蔓が、怜亜だけではなく、クラスのみんなに向かって飛んでゆくのを目にしたのは。

 

王神は、自前のファミリアだけじゃなく、はぐれファミリアやひとのファミリアを、操る能力を持っている。

ストーカー紛いの情報収集にて、その事を知っていた怜亜だったが。


目の前……頭のてっぺん辺りに延びてくるそれを見つめながら、どうしてそれを人に向けるのだろう、なんて疑問が浮かぶ。

人もファミリアみたいに操れるのかどうか試してみたかったのか。



授業が暇で、手慰みにそんな悪戯をする。

怜亜のような有象無象な人間なら、そういった思考にもなっただろうが。

きっと、怜亜には及びもつかない、崇高な目的があったに違いない。


そう思ってしまう時点で、怜亜はきっと王神の事を変な色眼鏡で見てしまっていたのかもしれない。


怜亜たちと変わらない普通の少年だったのだと、気づける余裕があればよかったのに。

その時の怜亜は、そんな余裕すらなかった。


何故ならば。

怜亜の頭にくっついた光る蔓から次々と王神の想いが、願いが流れ込んできたからだ。



思えば、どうしてそんな事になったのかはさっぱり分からなかった。

彼の能力に、想いを伝える力があったのかもしれないし、未だによく分かっていない怜亜の能力に、それを受け入れることのできる何かがあったのかもしれない。


でも、その時確かに。

怜亜と王神は『繋がった』のだ。



―――独りは嫌だ。

―――みんなと仲良くしたい。

―――そんな力が、あればいいのに。

―――届くはずないって分かっているけど。



怜亜に流れ込む、いくつもの言葉たち。

怜亜的フィルターがかかっていたから、

その時の彼の言葉は、もっとつたなくて幼くて曖昧なものだったかもしれないが。


怜亜はその言葉に、ビビっと来てしまった。

雷打たれたかのごとく、自分がその願いを叶えてあげるのだと。


自分だけが、それを叶えられるんだって。

勘違いするには十分な威力を持っていて。


怜亜は、終業のチャイムが鳴り終わるや否や、立ち上がっていた。

王神に向かって、ダッシュしていたのだ。



      


……今でもちょっと、その時のことを思い出すと。


恥ずかしくてしょうがない怜亜である。

勘違いガールな怜亜は、いきなり猛烈に馴れ馴れしかった。


昨日の夢も後押ししていたのか、当たり前のように王神のことを『ダーリン』と呼び、お昼を一緒に食べよう……なんて誘っていて。


それに王神は当然のごとく、随分と驚き戸惑っていたけれど。

それからの怜亜は、ストーカーもかくやなはしゃぎっぷりで、王神に粘着し始めた。


彼の内に秘めたる願いを叶えてあげたいって必死だったって言えば聞こえはいいが。

相当に迷惑でうざい相手だったに違いなくて。



そんな怜亜を、邪険にせずに受け止めてくれた王神の、なんと心の広いことか。


ますます惚れ直しちゃうね、なんて思って。

それから卒業するまで。

怜亜と王神は常に二人で一つな状態で扱われるようになる。


登下校は、だいたい一緒。

お昼は決まって愛妻弁当。

委員会もクラスの係も無理矢理同じもので。

男女混合の……ペアが必要な行事は、だいたい彼の隣を譲らなかった。



クラスの公認のカップル。

そう言う空気を作らせるのに、さして時間はかからなかっただろう。


何より、おかげさまで友達の多くなった怜亜に引っ張られるようにして、

王神の周りに人が集まるようになったことが。


見えない境界線が、いつの間にやらなくなったことが。

何より嬉しくてたまらなくて。

王神の願いを叶えることができた……なんて、ただただ浮かれていて。


王神が本当は怜亜の事を、どう思っているのか。

一度も問い質すのこのないまま、ずっと一緒の日々は過ぎてゆく。


恐らく怜亜はその答えを聞くことから、逃げていたのだろう。

自身の前で、よく笑うようになった王神を見て、満足していたのだ。



――最初からずっと。


何かがずれていたなんてこと、これっぽっちも気づくことはなく。



           (第321話につづく)






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