第134話、全てを終わらせる切り札と、チェリーレッドのナイフ
動けない麻理を庇うように、仁王立ちする瀬華。
「そうか、なら何も言わない。この子を死なせたくなければ俺を還してみな、瀬華」
対する克葉は、瀬華がそんな行動を取る事が分かっていたのかもしれない。
そう言い残し、場をたゆたうプレッシャーを増大させる。
「……っ」
瀬華には分かった。
克葉が、本気のとっておきを使おうとしていることに。
だがその言葉には、確かに苦しみがあった。
おそらく、克葉も本意ではないのかもしれない。
だけど、やらなきゃいけない。
引けないわけがあるのだと。
「【羅刹回帰】サード。『オーバー・シャイン』……」
静かに克葉が呟くと、世界が震えた。
響く地鳴りは、世界の悲鳴なのだろう。
ふと空を見上げれば、夜だったはずの空が白けていた。
……空が凍り始めているのだ。
「……」
見得を切ったものの。
異世を破壊、変貌させるレベルのカーヴ能力を止める術は、瀬華にはなかった。
それが分かっているのだろう。
克葉はその力を発動してすぐに、瀬華たちから視線をそらすかのように、空を見上げていた。
来るなら来ればいい、とでも言わんばかりに。
そもそも瀬華ははじめの一撃、【炎瑞駆踊】で決めるつもりだったのだ。
―――【羅刹回帰】。
氷を主体とするカーヴ能力者の克葉。
瀬華はそれを知っていたから、炎が付加された力を使った。
けれど、克葉はああして立っている。
通常の能力者ならば、落ちてもおかしくない一撃を受けたはずなのに。
これが、Sクラスの力なのだろうか。
『パーフェクト・クライム』の力のよって命を失い、『パーフェクト・クライム』に取り込まれたものたち。
克葉はそういう意味で仲間だと言っていたのだろうが、瀬華は違う。
黒い太陽が落ちたあの日。
その現場にいた瀬華はそれに飲まれる寸前で、自らに自らの能力をかけた。
結果、瀬華の魂は剣に取り込まれ、それがめぐりめぐって……瀬華は今、ここにいる。
克葉はその事実を知らないのだ。
おそらく、今黒姫の剣の中にいる、もう一人の存在のことも。
もう一人の存在。
この身体を知己に返せば、きっとこの場は切り抜けられる。
瀬華には、そう強い確信があった。
後は。
そのことを……自分はもう死んでしまっているという、この最もひどい裏切りを。
麻理に、どう話すのか。
ただそれだけ、で……。
※ ※ ※
「動けますか、正咲さん」
正咲の危機を救った少女は、平坦な声のまま振り返り正咲に手を差し伸べる。
「あ、うん……」
こくこく頷き、手を引かれて起き上がる正咲。
そうすると、小柄なほうの正咲よりも小さく、華奢な少女だとわかる。
こんな場所には不似合いなような黒のドレスが、より浮世を離れさせるその少女を、しかし、正咲は知っていた。
「凛(りん)ちゃんだよね? えっと……あの、助けてくれてありがとう」
知己(まゆ)と一緒にいた少女のうちの一人。
今も知己が偽物であったことは知らない正咲だが、学校で何度も会って話す機会もあったので、よく覚えていた。
今思えば、不可解な点の多い子たちだったが。
少なくとも、今正咲を助けてくれたことに間違いはない。
正咲が素直に礼を言うと、凛はわずかに頷いて見せ。
しゃがみこんで地面に置かれた白い輪と、赤い地面に残されたナイフを拾い上げる。
「正咲さんを助けることは私の目的でした。ですから、お礼を言われることでもないのですが。マスターは感謝の言葉は素直に受け取れとおっしゃいますので、素直に受け取っておくことにします」
カーヴ能力者の扱う武器なのだろう。
赤く発光し続けているナイフをまるで手品のようにしまうと、凛は平坦のままそんなことを言った。
何だか学校で会った時と、ちょっと雰囲気が違うような気もしたが。
その様子は照れ隠しにも見えて、何だか微笑ましかった。
「うん、受け取って受け取って。……あ、でも凛ちゃん、よくここが分かったね」
正咲はその時よく見ていなかったが、凛は輪っかから出てきたように思えた。
今まで黒かったはずの輪っかが、白くなっているのにも何か関係しているのかもしれない。
だから正咲がそう尋ねると凛は頷き、言葉を続ける。
「はい。私は正咲さんが持つフープと対になるもので、ここに来ました。このフープは一対一組になっていて、お互いがつながっています。黒のものは、万物を受け入れ、白のものは、黒のものによって受け入れられたもののうち、選択されたものだけが出ることができるようになります」
正咲は凛にそう説明され、思わず首をかしげた。
「え、待って? これ、凛ちゃんも持ってたってこと? だってこれ、けんちゃんの能力でつくられたものだよね? どうして凛ちゃんが持ってるの?」
別に持ってて悪い、というわけではないのだが。
正咲には、凛と賢にそれほどの接点がなさそうに見えたし、第一賢はここ数日正咲たちと一緒にカーヴ能力どころか電話すらできない状況の中にいたので、気になったのだ。
凛はそれに対し軽く首を振り、答えてくれた。
「たしかに、正咲さんの持つこのフープは、正咲さんの言う通り《母袋賢さん》の力によって作られたものでしょう。ですが、私の持つものは、私のマスターが作り出したものなのです。この空間を行き来する能力は、一人で使えるものではないそうです。母袋賢さんとマスター、万物を招き誘う黒の力と、万物を送り解放する白の力。対になる二人がそろい、シンクロして始めて発現する能力なのです」
なるほど、それならば凛がここへ来た説明はつくだろう。
だが、賢はいつ……凛の言う《マスター》と接触して、凛に正咲の元へ来るように仕向けたのだろうか?
「その、凛ちゃんのますたーってひと、知己さんなの?」
マスターという呼称は、主にカーヴ能力者の間では、ファミリアがその使役者に対して使うものである。
もしかしたら、凛は自分と同じような存在なのではないだろうか?
正咲はそう思い、問いかけたのだが。
凛は何だか思い悩むかのように、考えるしぐさをする。
「音茂知己というオリジナルの人物という意味でならば、それは違うと言えるでしょう」
「どういうこと?」
凛の言い方から判断すると、知己には別人がいたということになる。
話せば話すほど複雑に広がっていく迷路のような会話。
それでも、知っておかなければならないことのような気がして、正咲そう聞き返す。
「私のマスターはこの世界では鳥海白眉と呼ばれる人物でした。ですが、もうその名で呼ばれることはありません。ですからその状況に合わせ、然るべき『役』を演じているのです」
やはり、正咲の見た知己は、知己ではなかった。
そういうことなのだろう。
本当の自分を殺し、別の存在として偽らなければならない理由。
それは、何だろう?
存在してはならないと、まわりから非難されていたから?
何かに追われ、逃げているから?
それとも、そこまでして自分を、自分の境遇を否定したかったから?
正咲はそれを知りたかったが。
相反してそれを知るのが怖い、という感情に襲われる。
凛はそれを知ってか知らずか、その疑問に答えるように話題を変えた。
「正咲さん、あなたはそんなマスターに、もっと前から会っていたはずです。あなたがいく年ぶりに、自分を取り戻すために、この町へ来た時に」
「ジョイが……この町に来たとき?」
正咲はそのことを思い出し、はっとなる。
確かに正咲はここへ来たばかりのころ、会っていたのだ。
トリプクリップ班(チーム)の母袋賢と名乗る……自分の知る本当の賢とはよく似てるけど違う、その人物に。
始まりは、梨顔トランに襲われていたのを助けたことだった。
正咲はその時、まだ『全てを思い出していない』状態であったが。
ケンと名乗るその人物のことを、自分の記憶の中に眠る『けんちゃん』であるとは思っていなかった。
同じ名前であり同じ外見をしているその人物を、正咲は初めから別の知らない人だと認識していた。
だが、きっとそのトリプクリップ班の母袋賢が、ほんものの母袋賢ではないと気づけた人は少なかったのだろう。
違うと初めから知っている凛や、自分たちのようにごく近くにいたもの以外は。
「そこまでして……その、ますたーさんは、いったい何をしたかったのかな」
気づけば、口からついて出ていたその言葉。
凛はその言葉に頷き、正咲の方を見る。
「それは、あなたと同じですよ、正咲さん。マスターは、この世界を救うため、『パーフェクト・クライム』という未練を、後悔を断ち切るために来たのです」
世界を救うこと。
それは、確かに正咲が切望していたことだった。
でも、そう思うようになったきっかけはなんだったのだろう?
あの子が……カナリが、そう願っていたから?
今までなら、正咲自身それで納得ができていただろう。
心を封じられていた頃の……《ジョイ》なら。
カナリは始まりの日、動かないもう一人の自分をみつけた。
その子が持っていた絵に描かれていた、世界の破滅。
それが……きっかけ、だったのだろうか?
でもそれは、思っていたことに、不確実な証拠を突きつけられたにすぎない。
正咲は、世界の破滅をもっと前から知っていたはずなのだ。
まるで、世界が破滅するさまを見てしまったかのように。
こんなにも世界を救わなければならない、といった脅迫観念にとらわれていたのは何故だろう?
答えはすぐそこにあるはずなのに。
正咲は何故かそれをつかむことができなかった。
目の前にいる凛は、世界を救わなければならない理由を知っているのだろうか?
正咲は、思い切ってそのことを聞いてみることにした。
「凛ちゃんはさ、どうして世界を救おう、なんて考えてるの? やっぱりますたーさんの願いだから?」
「そうですね。私にとってそれは、マスターの願いそのものであり、理由を考えたことはありません。私の、行動も、意思も、全てはマスター次第なのですから」
あくまで起伏なく、当たり前のように凛は言う。
願いに意味を求めようとする自分がおかしいのだろうか?
そう思うくらいには、そんな凛の言葉には自らの意思と力がこもっていた。
「そして、そのためにはマスターと対になる、この世界でただ一人の人物、母袋賢さんの力が必要なのです」
それから……凛はやはり話題を戻すかのように、ぽつりとそんなことを言う。
「マスターは、賢さんが『パーフェクト・クライム』に対抗しうる存在であると知っていました。ですが賢さんは心を封じられた影響もあり、何も知らないままでした。私たちが生きるこの世界とは別の世界に暮らしていたのです」
私たちの中には、当然正咲も含まれている。
住む世界が違うこと、それは忘れてしまいたいことだった。
できるのなら、知られたくはなかった。
この夏の日々は……そんな正咲たちの願望によってつくられていたのかもしれなくて。
麻理が、今までずっと山に閉じ込められていたことを隠していたのと同じ。
麻理や賢には悪いけど、クラスが同じでなくてよかったと正咲は思う。
自分が入学以来学校にめったに来ない不登校児で、瀬華も似たようなものだったなんて、できれば知ってほしくなかったことだから。
「だからマスターは、様子を見ることにしたのです。本当に、こちらの世界に引き込んでいいものか、マスターは最後まで悩んでいました。世界の違う彼を見ているうちに、このまま何も知らないほうが幸せなのではないかと、そう思うようになったからです」
だから、あの時知己に扮したまゆは、賢にあんな言い方をした。
しかし、そんなまゆの思いは、賢に届かなかった。
いや、本当はそうなることが本意だったのだから、逆に言えばまゆの思いは叶ったことになるのかもしれないが……。
その結果、こうして凛は置いていかれてしまった。
自分も早く追いつかなければ……。
凛がそう思った時。
それまで凛の話を聞き、深く考え込んでいた正咲が、はっと顔をあげる。
「凛ちゃん、うしろっ!」
言われると同時に、凛は体勢を変えぬまま、自らの能力にして自分を証明するただひとつのもの……『必衰』と呼ばれる赤銅色のナイフを、後ろ手に繰り出す。
とたん、今まで感じられなかった身の毛のよだつプレッシャーが、凛の背中を撫ぜ、硬いもの同士が軋れる音が響く。
「一撃でしとめられないから、こうなる。少し、長くしゃべりすぎましたか」
薙ぎながら凛は身体を反転させ、そのまま振り返って間合いを取る。
しとめられる者に対して、戦闘になってしまうようでは《暗殺者》たりえない。
元来、感情を持ち合わせていないと自己判断してるとこのある凛は、こうやって『演じる』ことによって自分をつくる。
初めに下手だと呟いたのは、そんな不甲斐ない自分の戒めだった。
だが。
「……ワタシを知ろうとする人、アナタたち?」
低い……男性の、わざとらしささえ感じる裏声。
それを聞いた瞬間。
凛は、捕食する側の立場とされる側の立場が一瞬で逆転したかのような感覚に陥った。
「【常者必衰】セカンド! 『チーク・リッパー』ッ!」
迫り来る恐怖を必死で振り払うように。
猛然と目の前の敵……闇の翼纏いし悪魔に向かって、ナイフを繰りだす。
その色は、絶対零度の青だ。
一撃、二撃、三撃。
それ以上になる頃には、そのスピードによって湾曲して見える凛の細い腕が、幾重にも重なって見え、敵はみるみるうちに傷を負い、それを追いかけるようにして氷の線が走る。
そして、巻き起こる風がまわりの空気さえ凍てつかそうという時。
凛はそのナイフを振りかぶって大地に突き立てた。
すると、大地から新たな氷塊が生まれ、まるで生きているかのように敵を飲み込んだ。
その速さに正咲が圧倒されていると、しかし凛はまったく余裕のない様子で叫ぶ。
「正咲さん! さあ、早く、今のうちにっ!」
「え、え? どうしたの、凛ちゃんってば!」
そして、戸惑う正咲の手を引き、凛は走り出した。
青く変貌し、氷塊に墓標のように突き立ったナイフを残したままで。
(第135話につづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます