第15話、うれしい猫と、比翼の二人
……と、その時だ。
王神が、壁に寄りかかったまま背中に隠すようにしていた手が、水面に浮かぶ浮きのように、ピクリと反応したのは。
「ふむ、こんな内々までわざわざやっては来ないかと思ったが、来たな」
「え、ええっ? ぱ、パームの能力者さんたちですかっ?」
「いや、王神さんの糸にひっかかったということは、何者かのファミリアだろう」
ぽつりと呟いたような王神の言葉に哲はただただ驚き、勇はひどく冷静にそんな言葉を返す。
やはり役割を担当しているかのような、そんな二人の態度だった。
「ご名答、どうせ無駄になるだろうからこっそり網を張ってたってのに、バレてたか」
くぐつを操るように、自分にしか見えない不可視の糸を手繰り寄せつつ、王神は部屋を飛び出す。
勇と哲は、一つ頷いてその後を追っていって……。
「わわわわっ? な、何だよ~っ! 体が勝手に、何かに、引っ張られてるよ~っ!」
3人が部屋を飛び出すと、すぐにそんないかにもあどけない、高く澄んだ声がする。
さっそく声のした方へと向かうと、独房のような小部屋の立ち並ぶ一角、もう主のいない部屋の前で足を取られて座り込んだ一人の少女の姿があった。
毛先だけが黒いセミロングの金髪に、奥底にカーネリアンの紅を潜ませた黒の瞳。
サーカスのクラウンが着るような服を着ていて、とても動きやすそうだった。
加えて、普段身近に芸能人がいて目の肥えていた王神でも、十分合格点を挙げられる可愛い女の子だ。
「ひゅう、こりゃまたずいぶんと上質だな、使役者はかなりの術者と見た」
ファミリアに類するカーヴ能力者でなければ、人間だと言われても全く違和感のない姿だが、王神が驚いたのはそのせいだけではない。
普通、ファミリアは攻撃型なら攻撃型で、戦闘に特化した姿をしている。
しかし、目の前のファミリアは、人間らしさを目的に創られているように感じたのだ。
本来ならば不必要なはずの言葉を解する能力を見ても、それが伺える。
さらに主の異世の中にいるわけでもないのに、行動に制限がない。
現実世界でも普通に行動しているのが信じられなかった。
王神はそこまでの剛の者は、一人くらいしかお目にかかったことはなかったからだ。
「そんな事は見れば分かる。それより哲っ、異世を開くぞっ!」
「……」
相手の攻撃に備える為にも周りの人達に被害が及ばないためにも、異世を開くことがカーヴ能力者同士の戦いにおいて、暗黙のルールだった。
しかし、哲は心奪われたかのように、勇の言葉にも答えることはなく、じっと少女を見つめている。
「……哲? おい、どうしたっ?」
「兄さん。あの人、どこかで」
会った事がないですか?
そう続くそれより先に、叫んだのは目の前の少女だった。
「ああ、もうっ! 何だかわかんないけど、離れろ~っ!」
バチッ! バリバリバリッ!!
いつの間にアジールを展開していたのか、小気味良いスパーク音とともに発せられたのは辺り一体に広がる紫電。
「ちいっ!」
それが蜘蛛の巣に伝うように、地面や壁に張り巡らされた……王神が作り出した不可視の糸に広がっていくのが分かり、それまで掴んでいた糸を、王神は紫電が来る寸前の所で手を離す。
だが、放たれた糸は運悪く、紫電も纏わせながら中空を舞い……半ば呆然とした様子の哲に向かって飛んでいく!
「っ! 哲っ、よけろ!」
「え? うわあぁっ!」
バチチィッ!
王神が叫んだ時にはもう間に合わなくて。
絡みつくように流れる紫電を受け、哲はようやく我に返ったみたいに声を上げた後、そのまま倒れてしまう。
「貴様っ、やってくれたなっ!」
そして、勇の怒りの声とともに生まれたのは、研ぎ澄まされた緋色のカーヴ。
その手には、紅く煌めく円月刀が握られていて。
「今日のボクは加減を知らない……せいぜい覚悟しておけっ!」
勇は、円月刀を背負うような構えを見せる。
普通のカーヴ能力者なら背筋も凍る、AAAクラスの威圧感がその場を支配していって……。
「え? な、何、君たち? あぁっ、大丈夫、君っ? ひょっとしてひょっとしなくてもボクの電撃のせいっ?」
しかし、当の少女はそこで始めて勇たちに気付いたかのようなリアクションで。
何の躊躇もなく、勇の刀の間合いの真っ只中に入り込み、倒れこんで微弱な電撃に目を回している哲の元へ駆け寄った。
「……っ!」
その大胆不敵な行動に度肝を抜かれ、勇は思わず動きを止めてしまう。
それは、王神も同様で。
まるで自分の身の安全など頓着していないような様子で少女は膝立ちになり、祈るように言葉を……歌を紡ぎだす。
―――『 言われなき罪背負いし子供たちよ……その瞳を閉じないで。
全てを見届けよう……それはきっと力になる、この歌が命の糧となる……』
「……キミは」
その瞬間、刀を取り落としそうになるほどの衝撃が勇を襲った。
その歌声は、確かに覚えている、知っている。
何故なら勇にとってもそれは、生きる力を与えてくれた歌だったから。
そして、その衝撃は……元々たいしたダメージも無かったのか、あっさりと立ち上がった哲も同様だった。
「姿かたちが違ったからすぐには分からなかったですけど。やっぱりあなたは僕たちに、外の世界を教えてくれた人だったんですね……」
独り言のように哲は言い、浮かぶのは憧憬にも似た微笑み。
それを受けた少女は歌を終え、瞳をしばたかせてからにっこりと笑い返し、そのままバツが悪そうに舌を出した。
「よく見たら、センのお友達じゃない? たしか、50ばんと51ばんの人だったよね。ごめんね、ボク、突然だったからびっくりしちゃって、気が付いたら電撃出してたんだ」
「気が付いたらって、迷惑極まりないな。……まあいい。それより今は、ボクが勇で、弟には哲って名前があるんだ。これから呼ぶ時はそうしてもらいたいね」
いつの間にか刀を消しカーヴを納めていた勇は、少々ぶっきらぼうな様子でそんな事を言う。
口調がぞんざいになるのは、相手への親しみの裏返しだ。
照れ隠しといってもいい。
ちなみに、勇のそんな現象は、知己にも適用される。
「そっかぁ。ユウとテツだね、わかった。次からそう呼ぶね。それでさ、えっと……君は誰?」
「そう言うものは普通、そちらから名乗るのが礼儀だと思うが?」
すぐに名を名乗らないのは、もう王神の染み付いた習慣といってもいい。
相手がファミリアだというのは分かっている。
今のところ出会ったことはないが、名を名乗ることによって何らかの影響を与えるような例えば意のままに操れるようなカーヴ能力があってもおかしくないのだ。
「ボク? ボクはジョイだよ。見ての通りのファミリアだけど、誰に仕えているかは言えないんだ。そう言う風にお願いされているから」
「ふむ、ジョイか。オレは王神公康だ。二人の……勇と哲の仲間といったところだな」
頷きながら、回した後ろ手には不可視の糸。
それは地面を這って、ジョイと名乗った少女につながっている……。
そう、確かに出会ったことはない。
ただ、そんな能力があるということは、王神自身が一番よく分かっていた。
他人のファミリアや、はぐれファミリアの名を知ることにより、遠くから連絡を取ったり操ったりする。
それが、王神の能力、【召還弦歳】だ。
能力面だけで見れば、ファミリアタイプのカーヴの中でも、トップクラスに相当する力だが、名を知らなければならない不便さ(基本的に、ファミリアで言語を解するものは少ない)ため、Bクラスに甘んじていた。
「それで? ジョイさんとやら、ここにはどんな理由で来たんだ? この場所が許可なしでは入れないって事は知っていたか?」
基本的に、このカーヴ能力者隔離施設、『赤い月』は現在『喜望』に在する者以外は入れないことになっている。
普通の人間ならば、王神たちのように矢面に立つ者の他に多くの構成員がいるので、王神が知らない、会ったことのない構成員がいてもおかしくはないが。
目の前の少女……ジョイがファミリアで、その使役者が分からない以上、警戒してしかるべきなのだ。
「あ、うん。入っちゃいけないのは知ってたんだけどさ、センがいなかったから、
どうしたのかなって思って。気になったらいてもたってもいられなくて、気が付いたら中に入ってたんだ……ごめんね」
しかし、ジョイは王神の思惑とは裏腹に、そんな風にいってぺこっと頭を下げた。
「そうだったんですか。ジョイさんはセンくんに会いに来たんですね。一足違いで申し訳ないんですけど、センくんは、ほんのちょっと前にここを出た所なんですよ」
「え、そうなのっ? セン、ここから出してもらえたんだ、よかった~」
タイミングの悪さに、哲はばつが悪そうに言葉を発したが。
ジョイはそれでも何だか嬉しそうに安堵して、微笑む。
何も憚ることのない、そんな純粋な微笑みに、王神は本当にファミリアなのかと疑ってしまうほどだった。
「それで、センは今どこにいるの? ボク、会ってお願いしなきゃいけないことがあるんだよ」
ジョイの言う、セン……№1000の少年は今頃、『AKASHA』班(チーム)の4人目、長池慎之介とともに、『喜望』の本社ビルに向かっているはずだった。
別に隠しているわけでもないが、そこはまさしく『喜望』の本拠地。
使役者の正体すら明かせない(ファミリアにとっては一般的なのかもしれないが)ファミリアに、簡単に話してしまっていいものかどうか。
王神がそんなことを考えていると、勇が任せておけとばかりに視線だけで王神に答え、口を開く。
「彼ならボクたちが現在在籍する、『喜望』の本社ビルに向かっている。これから同じ仲間としてやっていくために、現リーダーである知己に会うためにね。そこで一つ提案なんだが、ボクたちと一緒に来るかい? キミの目的が何なのかにもよるが、ボクたちとともに行動すれば№1000……センにもそのうち会えるはずだ」
「そっか。そうなんだ。『喜望』のビル……んと、一緒に行動は無理かな。ボク一人で何とかしなくちゃいけないことだから」
ジョイは勇の言葉に一喜一憂した後、考え込みながら肩を落としてそう答える。
その時王神が受けたのは、一人で行動しなきゃいけない理由よりも、まるでその場に近付きたくないんじゃないかってことだった。
一筋縄ではいかない、そんな印象を何故だか受けてしまう。
「それじゃあボク、もう行くね。センにも会いたいけど、それは後回しにするよ。
調べたいこととか、さがしものもあるしね」
そして、ジョイは気持ちのスイッチを切り替えるみたいに、突然おいとまの宣言をする。それを聞いた王神はこのまま行かせていいものかどうか悩んだ。
もしも、『パーム』に属するものだとしたら、何か事を起こす前に……と思ったのだ。
「そうか、キミがそう言うのなら止めはしない。ただ、何をしたいのか知らないが、『パーム』などという怪しげな団体がうろついている可能性がある。せいぜい気をつけるんだね」
「気をつけてくださいね、何かあったら僕たちも力になれると思いますから」
「……」
しかし、兄弟は彼女が『パーム』の一員でないことを確信したような物言いで、そんなことを言った。
「うんっ、気をつけて頑張るよっ、じゃあねっ!」
それからジョイは元気な声をあげて、もう主のいない独房めいた小部屋へと駆け出していく。
そんな所に出られる場所などないはずだと王神はいぶかしく思ってその後を追うと、ジョイは身のこなしの素早い忍者のような動きで、くるりと一回転して。
その瞬間。
人の姿から、なんとも珍しい黄色の毛並みを持つ、一匹の猫に姿を変え……
月見くらいにしか使えない今はただ青空だけがのぞく、格子窓をすり抜けて、外へと飛び出していってしまった。
それは、あっという間の出来事で。
ただただあっけに取られ、王神が見える四角い青空を見つめていると。
勇が珍しく、願い事でも言うかのように、ぽつりと言った。
「王神さん、あいつを信じてやってくれとは言わないが、自由にさせてもらえないか? 彼女はある意味、ボクたちの命の恩人みたいなものなんだ」
「たまげたな、またしても気付かれていたわけだ」
王神は勇の言葉を受け、お手上げだと言わんばかりにくつくつと笑う。
念のためと思って仕掛けていた【召還弦歳】も、勇一発でお見通しらしかった。
「彼女の使役者が何者か分からないんだ。そいつが『パーフェクト・クライム』だったらどう責任取ってくれる?」
「僕は、ジョイさんが悪い人に仕えてるとは思いません。それに、誰が『パーフェクト・クライム』なのかって疑うのなら、カーヴ能力者である以上、僕も含めて、兄さんも、王神さんもその容疑者に入っているわけですし」
王神の問いかけに対し、答えた哲の言葉は、誰もが考えていたものだった。
カーヴ能力者の誰しもが、自分は『パーフェクト・クライム』ではないと思っている反面、ひょっとして自分が『パーフェクト・クライム』なんじゃないのかって、
心の奥底に潜むカーヴという未だ知られざるの力を恐れたもう一人の自分が、思ってしまっているのだ。
「ま、確かに彼女の了承も得ずに能力をしかけたのは悪いと思っているよ。結局のところ、オレは慎重すぎるのかもしれないな」
そう言って王神は考えを改めるように、息を一つ吐き言葉を続ける。
「自分の慎重さにはほとほと呆れちまうけど、これからパームとの戦いになった時、いざって事が起きるかもしれない。逆にさ、勇と哲が彼女を信じているのなら、非常時の連絡手段は、あるに越したことはないと思うんだが、どうだろう?」
それは、だからオレも信じて欲しいって王神の意思表示でもあった。
「フッ、そんなものは必要ないな。ボクたちに非常時など、起こるはずもないのだから。まあ、王神さんが備えたいというのなら別に構わないけどね」
「に、兄さんってば、またそんなこと言って……すみません王神さん。ああ、でもそんな事態にならなうように僕も努力しますから」
一見正反対のようでいて、言っていることは同じだった。
王神はそれを受け、二人が自分の言ったことを信じてくれたことを理解する。
「君達兄弟は面白いな、まるで鏡のようだ。逆さのようでいて実のところ本質は同じ、か」
それは、感心したような王神の呟き。
そして同時に、どちらかが欠ければ、もう一方も崩れかねない危うさも含む言葉でもあった。
だからこそ、そうならないように、備えられるだけの備えが必要だと、
それこそが自分の役目なのだと、王神は強く心に刻み付けるのだった……。
(第16話につづく)
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