第224話、最悪のタイミングでさかしまの紅を



そして……。

美里は一人、カナリたちの眠る一室に残っていた。

元々大部屋であったその部屋を照らすのは、一本のろうそくと大きめの窓から差し込む月明かりだけだった。


どこからともなく侵入してきていた闇が、その脆く揺らめく光を押しつぶすかのように部屋を包んでいる。


氷ドームの中なのだから異世ではあるのだろうが。

その光景は、どこか奇妙な現実すらも想起させる。

夢見でも悪いのか、寝苦しそうにしているタクヤを除けば、他のものの眠りはひどく穏やかだった。


とても、あと三日でその命を凍えさせ、溶け消えるようには見えなかった。

きっと、受け入れてしまえば楽なのだろう。

たが、彼らを凍えさせるその力が、抗うものには厳しいのは……さつきを見ていてはっきりと実感できた。


魂を芯から凍えさせるその力に耐えるようにしているさつきはただただ痛々しい。

そんなさつきが地下に行くことを誰も止めようとはしなかったのは、彼女が心からそれを望んでいたからに尽きる。


ざっくばらんな、無慈悲な言い方をすればさつきは。

カナリのように常にその場所に存在し続けなければならないファミリアではない。


仁子の相棒であるトゥエルと同じタイプと言っていいだろう。

弥生だと思い込んでいるさつきのその意志を考えなければ。

命尽きる前に弥生の元へと帰ればいいのだけの話なのだ。


そんなさつきが苦痛に耐えてこの場に留まり続ける理由。

美里には見当もつかなかったけれど。

さつきにとっては大きな意味を持っているだろう。

さつきと言う少女の存在を尊重するのならば。

美里にはそんな彼女を止められるはずもなく。




それから、二手に分かれて行動すると仁子が宣言した時。


美里はここに残る意志を示した。

そこには、ゴールドに託された魔精球のことや、ちくま(ウィンド)や仁子も地下の探索を望んでいたからという理由もあったけれど。


その一番の理由は、やはりあの黒い翼の少女……中村幸永の存在とその言葉故、なのだろう。

幸永は、目的は美里であるとはっきり言いきった。

幸永との戦いを美里が望んでいないと言えば、嘘になるだろう。

ならば、下手に地下に向かうよりも地上にとどまったほうが確実に相手の戦力を分断できると、美里は考えたのだ。


美里は幸永の言葉が虚偽であることなど全く考えてはいなかった。

必ず幸永は自分の元へとやってくる。

事実、その考えは間違ってはいなかったのだが。



「っ!?」


刹那の間に訪れたのは昼。

否、そう思わせるほどにまばゆく差し込んでくるのは。

美里が何度か目にしたことのある燃え盛るほどの強烈な光だった。


しかも、その気配は一つではない。

まるで、四方八方から美里たちのいる部屋を覆うようにその力が生まれ出でたのが手に取るように分かる。


「まさかっ」


そのらしくない相手……幸永の行動に、美里は驚きを隠せない。

だがそれと同時に、美里は初めて幸永と会った時の事を思い出していた。


墜ちた渡り廊下。

カナリを庇い、傷ついたタクヤ。

一度その拳を合わせ、幸永の人となりを理解してから考えれば、その行動さえらしくない、と言ってもよかった。

まるで、美里を怒らせるためにわざとやらされているかのような、そんな感覚。


―――『オレが言うのもなんだけどさ、言わされてるだけかもしれないだろっ』


ふと浮かんできたのは、そんな幸永の嘘のない言葉で。

幸永のその行動に彼女の意志が反映しているとは限らない。


美里がそれに気づくのとほぼ同時に。

苛烈な力の気配が、自分のいるこの部屋へと放たれたことを美里は理解する。


それからの行動は、無意識下の反射だった。

懐から取り出した四つの小さな魔精球。

見よう見まねでその頂点にあるボタンを押して宙に放る。

巨大化し、その口を開ける魔精球は、眠りにつく四人をそれぞれに飲み込んで。

逆回しのようにその姿を縮込ませ美里の元へと戻ってくる。



「間に合っ……」


そして、思わずついて出た美里の安堵をかき消すようにして。

今の今まで美里たちのいた部屋は。

氷ドームによる破壊の反響音に押しつぶされるように。

瓦礫と化したのだった……。





            ※      ※      ※




―――時は戻り、地下探索組。


氷ドームにより甘い封じの眠りについた仲間を美里に任せ、仁子、さつき、ちくま(ウィンド)の三人は。

地下倉庫から階段を使い、終わり知らぬ地下深くへと向かっていた。


地下へ向かうためには、オリジナルなちくまの言うところの近道がナースステーション跡地にあったのだが。

足場が不安定だと緊急時の対処が遅れるというウィンドの提案のより階段で向かうといった無難な線で落ち着いていた。

ちなみに、エレベーターは完全にその動きを止めていて。



「……」

「……っ」


仕組みの分からない明かりに照らされた螺旋階段を、ちょっと気まずい無言の行軍が続く。


原因は言うまでもなくさつきだった。

言葉通り生き急いでいるように見えなくもないさつきにとってみれば、なるべく近道をしたかったのが本音なのだろう。

むすっと口を結んだままのさつきと、そんなさつきにおどおどしっぱなしのウィンド。


そんな二人を追いかけながら殿をつとめていた仁子は、内心でため息を漏らす。

そこには、この先に何があるか分からない、といった不安の成分も混じっていたのだろう。

敵陣真っ直中であろう場所へと自ら進んで招待されているに等しいわけだから、仁子が不安を抱くのも仕方のないことだと言えたが……。



仁子のそんな不安は、予想だにしない形で当たってしまう。

それは、中央にエレベーターを据えたドーナツ型のフロアへと辿り着いた時のことだった。


ちくまもさつきも、一度来たことのある場所だったから、ある意味ここから先が地下探索のスタートだったわけで。

敵の能力である赤い異形の気配に注意しながら……地上階へと続く階段からは死角になっているエレベーターへの入り口があるであろう場所へと歩みを進めて。



「っ!」


まるで雷にでも打たれたかのように。

さつきがぎくりと硬直した。

その、尋常ならざるさつきの様子に押されるようにしてウィンドと仁子はさつきに追いつき、そのなんて表現したらいいのか分からないさつきの視線の先を追う。



「あれは……」


呆けたような、ウィンドの呟き。

そこには、宙浮かぶダルルロボ……ファミリアとして振る舞う法久によく似たものがいた。


本物ではなく、よく似たものと見てすぐに判断できたのは、それが紅色一色だったからだろう。

青銀色のボディを持っていた法久とはまさしく逆位置。



「ど、どうもみなさん、お疲れ様です~」


と、そいつは唐突に言葉を発し、恐縮したように頭を下げた。

人としての表情が読みとれないからこそ、それは見ようによっては慇懃なものにも見えて。


「……馬鹿にしてっ!」


底冷えするさつきの呟きは、その姿を目にして怯んだことの羞恥……あるいは怒りゆえだったのだろう。


次の瞬間にはさつきは翔んでいた。

その右手に、物質を透過し生あるものの燃える命を略奪する力を湛えて。

仁子は、そんなさつきの躊躇のない行動に驚きを隠せない。


自己のためだけの自棄。

……止めなくてはいけない。

無意識に仁子はそう思い、身体を浮かせかけたが。


「ま、待ってください~! せ、せめて僕の話を……ひゃあ~っ!」


そんな仁子よりも早く、赤色のダルルロボは悲鳴を上げ、小さな機械の手で顔を覆った。

宙に浮いたままの状態でガタガタと震えている。

しかし、恐怖故なのか、初めから動く気がないのかそこから逃げようともしなかった。


叫ぶ言葉とは裏腹の、無防備さと無抵抗。

さつきがその気になっていれば、赤いダルルロボはもれなくただの鉄くずと化していたはずで。


さすがのさつきも、そこまでは自分を見失っていなかったらしい。

これではどちらが悪者なのか分かったものじゃない。

さつきがそう思ったかどうかは分からないけれど。


白光湛えたさつきの右腕は。

涙目のダルルロボの額を透過する、その寸前で止まった。


「……」


行き場のない怒りを無理矢理に抑えるように。

それでも相手が不審な動きをすればすぐに次の一挙が繰り出せる状態のまま、さつきは間合いを取る。

紅色のダルルロボは、そんなさつきに気づいた様子もなく、顔を覆ったまま震えている。


どうにも対応に困る敵だった。

油断させるつもりのブラフにしては気の毒になるくらいに真に迫りすぎている。

相手がカーヴ能力に付随する存在である以上、どんな行動も警戒してしかるべきなのだろうが……。


仁子には兄の掲げた専守防衛と言う信念を曲げることはできなかった。

話があると言っている輩に聞く耳を持たず、と言うのは『喜望』の一員としてふさわしくないのだ。


俗な言い方をするならば。

たとえ、話を聞いてしまうことで何らかの力の発動条件を満たすことになろうとも。


すべてを受け入れた上で応えなければ。

相手に『断罪すべき悪』のレッテルを貼ることができない、とも言えて……。



            (第225話につづく)






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