第429話、胸は爛れ締め付けられても、どうか恋を咎めないで



もう一度、『時の舟』を。

あるいは別のものを呼び起こし、世界を救うその可能性を探し求めるための扉を開け放つ、その方法。


この世界の真実知ったことで、大よそ必要なものすべてを取り戻したカナリにとってみれば、単純明快ではあった。


『時の扉』を開け放つためのカギを、『時の舟』を動かすためのカギをつくる。

今となっては、当然のようにその手段、手順もしっかりと頭の中に叩き込まれていた。

 


「まずは……ええと、鍵の元となる翼をつくること、か」


 

『虹の泉』。

通称トラベルゲートとも呼ばれる、今は透き通った水を湛える噴水の名だ。


それを起動するための鍵は。

こことは違う幻想の世界、あの天使姉妹のようなものたちが暮らす世界からやってきたと言われている。

その世界では、そもそもの起源は正しくも一片の翼そのものであって。

魔力、生命力……この世界で言うなればアジールをありったけ注ぎ込むことで、

一度行ったことのある場所であるならば、使い切りとはいえどこへでも飛んで行けることができたと言う。



それを、この世界へ持ち込み、この世界の者達が扱える道具として昇華するために、どれだけの時間と技術があれば可能になるのか。

時を跨ぎ、長らくピカピカ青光りする道化師を演じ続けたという、『神』のひとり。

その存在が暗躍しているだろうことを、身に沁みて感じつつも。

カナリはまず、その翼を生み出す歌を紡ぎ始める。




―――翼生んで、向かう旅路に、しあわせを……。


―――たがためにと問われれば、それはきっとただただ、あなたのために……。





それは、あくまでも正咲から受け継ぎし、カナリに与えられし能力。

『歌唱具現』によるものではあったが、その元となる曲は『ネセサリー』のものである。



一体どこからどこまでお膳立てされているのか。

カナリは自嘲めいた呟きを、心内だけで漏らしつつ。

その歌を耳にする観客が、『もう一人の自分』しかいないその場所で静かに歌い終える。




「ええと、翼は。どこに……?」



特に問題はなく、能力を発動した手ごたえはあったわけだが。

いかんせん能力を発動するのもこの曲を歌うのも初めてで、かってが分からないと言うか。


生み出されたアイテムのごとく、分かるところに……

例えば泡のようなものに包まれ揺蕩っている姿を、なんとはなしに想像していたのだが、どうやら違ったようだ。



カナリの呟きに呼応するみたいに。

今まで使っていた、空を飛ぶための歌とと同じように。

背中に生えた翼が、パタパタと存在を主張していて。



「血を捧げ、命をかけて生贄となす。つまりはそう言うこと、ね……」


後はその翼に、自らの生命力を捧げて、あるべき姿へと変わっていけばいいわけなのだが。


自身でそう言い聞かせるみたいに呟いたのは。

少なからず自傷行為に躊躇いがあったからなのだろう。


とはいえ、世界には『そう』しなければ能力の発動すらできない者もいるわけなのだから、今さら泣き言など言ってられないのは確かで。

そもそもファミリアは消費されてこそ、その存在価値があるとも言えて。



躊躇ったのは。

そんな一瞬だけで。

すぐさまカナリは自らの背中に手を伸ばし、生まれたばかりの翼を……勢いに任せて引きちぎった。

 



「ぎっ!? ……うぅっ」


文字通り、身体の一部を引き裂かれた痛みを。

しかし分かっていたからこそ、歯を食いしばって耐えきる。


そして、根本から染まりゆく翼だったものを、何だか心配げに明滅しているスケッチブックとともに胸元に抱え込んで。

体裁を整えんと、よろめきながらも『もう一人の自分』のいるベンチへと。

皮肉か、それすらも用意されていたさだめであったのか。

重なり合うようにして座り込むカナリ。



そこですぐに、自らの傷を癒すための歌を口にしようと思い立つも。

鍵をつくるための次の工程で、どれだけの生命力、アジールが必要なのか分からないことに気付いて。

カナリは、顔を歪めたことで零れ落ちてくる涙にも構わず、次の工程へと移っていく。



それは、ありったけの身に秘めしすべての力を、翼の込めること。

 

 



―――思い切り、微笑んで。果てなき世界が、輝き尽きぬよう……。


―――光続くように、今ここで。こころを込めて……。





スムーズに事が運ぶようにと、全身全霊を冠する歌を思い出し口ずさみながら。

翼を掴む手から、アジールを送りこんだ……正にその瞬間であった。

 




「ぎっ……ぅぁ、あああああああぁぁぁっ!?」




痛みに泣く、だなんて。

みっともなくて恥ずかしいから我慢しよう。

 

そんな自身に課した、取り決めを守れたのは。

ほんの一瞬のことであった。

 

まさか、自ら身体の一部を引きちぎることよりも、よっぽど痛くて辛いだなんて。

思いもよらなかった、なんて。

ただのいいわけか。

 


想像以上の……魂を少しずつ削り潰し、崩れなくなっていくかのごとき喪失に。

カナリは、ベンチの上で恥も外聞もなく転げまわり、悶絶しつつ絶叫を繰り返した。



「ぐぅゆっ……ううぅぅぅっ!?」



悲しいことも、辛いことも、きついことも。

何でもなかったかのように。

朗らかな様子でリアが、その鍵を手にしていたから。

勘違いしてしまったのだろうか。

 


その鍵は、母の愛が込められた、凄絶なる犠牲によってなされてものなのだと。

悟らせもしなかったのは、カナリがそれを、先に知りえたのならば最後、諦め挫折し、心が折れてしまうだろうことを、理解していたから、なのかもしれない。


その事を考えれば、何も言わずに黙っていてくれたことにも感謝しなければならないんだろう。

 


いずれにせよ、既に賽は投げられてしまった。

もう、後戻りはできない。

後は、魂を削り出すこの仕打ちに。

何もできず、存在の証明をすらままならず、果てるのか。

はたまた耐えきって、自身の意味を知りえるかの二者択一。



―――わかりやすくて、いいじゃない、と。



単純で負けず嫌いなところは。

やっぱり正咲に似たのか、全ての酸素を吐き出す勢いで。

声にならない声を漏らしつつ。



カナリは、『もう一人の自分』が浮かべた……沈みゆき儚く消えそうな笑みとは正反対の。

生に満ちあふれた、敢えての不敵な笑みを浮かべてみせる。


そこから更に、少しでも楽になるようにと、ベンチに腰を深く落ち着けて。

最早、一片の曇りもない赤に染まりつつある空を見やりながら。


ただひたすらに、地獄の苦しみに耐え続ける時間が始まった。



幸いにも、かつてベンチでも抱えていた、ひまわり色の猫の代わりにと。

まるで、励ますみたいに。

僅かに人のぬくもりのような熱を持った、大き目のスケッチブックが。


迫りくる死に怯える、その相貌を隠してくれていて……。




             (第430話につづく)







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