第430話、数多幾千うたかたと消えた想いを、空へと放って
―――それから。
一体どれほどの時間が経ったのだろう。
間断なく襲い近づく死の気配は変わらず。
未だ鍵は完成してはいなかったのに。
ついさっき目の当たりにしたばかりの七色が、瞳の周りを踊った。
「……っ」
それを不思議に思い、カナリは涙などで色濃く霞みだしたその瞳を、スケッチブックから何とか外すことに成功して。
「…………あぁ」
『もう一人の自分』が絶望に染まりながら目の当たりにしていたのはこれだったのかと。
もう何度ついたかも分からない、重い重い溜め息吐き出すカナリ。
ベンチによりかかるようにしていたからこそ見えた、真赤に染まりきった空。
それに抗い、逆らっているのか。
あるいは、負けて赤に染まりそうになって逃げ、とどまっているのか。
カナリの視線の先、空の遠くに。
まるで花火か何かが爆発でもしたみたいに、七色が広がっている。
それは正しくも。
『もう一人の自分』が描いていた、終末を暗示する、壊れ始めた虹そのもので。
「……っ」
その絵がなければきっと。
全てが始まらないからとでも言わんばかりに。
少女の魂の残滓潜みしスケッチブックは。
さいごの……命の明滅を使い切って。
カナリの瞳を、その手を、指を介して書き記していく。
抵抗すれば、未来が変わるのではないかと。
益体もないことを考えたカナリであったが。
もう既に、そんな気力もなくて。
そんな一方で。
わたしが書いたにしてはうますぎると思ったのよね、なんて思ってもいて。
先ほどとも違う、笑みも浮かぶ中。
その、写実的な『終わり』の絵が、完成を迎えたころ。
『時の舟』を起動するための。
その扉を開けるための鍵が、姿をなしたのに。
もう涙が凝り固まって、それすらよく分からなくなっていた……その瞬間。
カナリは、自身の生涯最大の勘違いを、思い知らされることとなる。
「……ついた。ここだよ、ここ。ようやく思い出した。この場所に、故郷に帰ることができる『魔導機械』があるはずなんだ」
始めは、よくよく耳にした、カナリの一番深いところに根を張る……懐かしいくらいに会いたかった、そんな声。
「異世界か。あるいは未来か。……ここまで来たらあれね。私もついていってもいいかしら」
続くのは、もう既に全てを思い出したと思っていたのに、耳にした瞬間思い出してしまった……ファミリアのカナリには存在しえなかったはずの、想いすら同じくしていた『親友』の声で。
畳み掛けるように湧き出してくるのは。
永劫未来の、太陽の届かない海深く……鋼鉄の箱庭で過ごした、大好きな人と、同じ人を好きになってしまった親友との、青春の記憶。
「……っ!」
気づけばカナリは。
すぐ近くまで迫ってきていたはずの『死』すら忘れて、心のうちだけでさいごの歌……能力を発動する。
―――ここには、何もないから。わたしは、ここにはいないのだから。
―――もし、気づいたのだとしても、そっと声、ひそめて欲しい……
それの名は、『影・海神』。
先程、正咲から逃れ隠れるために歌ったものとは、一線を画す。
正咲の時は、見つけてもらえるのならば見つかってもいいと、心のどこかで思っていたけれど。
今は違う。
たとえこのまま儚くなって、泡沫と化しても。
あるいはファミリアの使命のように。
世界に溶け消えても、見つかってはいけなかったから。
カナリは、自分にしか見えていない『もう一人の自分』と完全に同化して。
ベンチの中空には。
思い描いていたように。
七色にきらめく泡のようなものに包まれた『鍵』が、ただただたゆたっていた。
―――あなたの見ていた絶望は、『これ』だったんだね。
まったくもって、とんだ勘違いである。
世界の終わりを憂いていたわけじゃなかっただなんて。
なんとも『わたし』らしいと。
まるで、うたかたのごとく消えてゆくその瞬間。
カナリが思っていたのは。
そんなことで……。
(第431話につづく)
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