第199話、僕が一番欲しかったもの、願い一つあなただけが叶えられるもの


真澄はようやくのことでリアの自室に運んで。

一度あの結界の外にいたリアの先生だと言っていた二人の女性……リアが雅さん、千夏さんと呼んでいた人物の所へと向かい、リアが倒れていた事を伝える算段でいたわけだが。


結局リアの部屋に辿り着くことさえやっとで、それは叶わなかった。

何故ならば、リアの部屋から出た先は、前にツカサに連れられて歩いた道とは全く別のものになっていて、辿り着くのも帰ってくるのも無理な気がしてきたからだ。


そんなわけで真澄は、しばらくはリアのそばから離れずにその様子を見守ることにした。

リアは今、天蓋のある、ちょっと大きすぎる気がしなくもないベッドでただ静かに眠っている。


眠る時は翼が邪魔にならないのかなって思っていたら、リアの小さな翼は彼女の背中につぶされないようになのか、今は肩口のところでふわふわ浮いていた。


今まで気づかなかったが、それはリアと繋がっていないらしい。

確か、春恵理事長にはちゃんと背中に翼がついていたはずだが……。


もしかしたら、大人と子供だと何か違うのかもしれないな、なんて真澄は思う。

リアが聞いたら気を悪くするかもしれないが、それは何だかおもちゃみたいで可愛かった。

まぁそれも、リアの背中にあるからこそなのだろうが。



「それにしても……」


外で起きていることとかが気になって、気ばかり急くのに、この何もできない状況はちょっときつかった。

ただ寝いてるだけなら起こせばすむことではあるけれど、そうもいかないだろう。


どうしようかと考え込んで……真澄の目に入ったのはピアノだった。

真澄がここに来た時にリアが弾いていたグランドピアノ。


それは年季の入った、一目でいいものだって分かる代物で。

大会の時にしか弾けないような高価なものと比べても、格が違うと分かる威圧感があった。


ちょっと弾いてみようか。

ピアノ弾きの真澄としてはそんなことを考えてしまうのは仕方ないことなわけで。

若干の後ろめたさはありつつも、気づけば真澄はピアノに備え付けてあった椅子に座っていた。

その座り心地は、ちょうどいいくらいで。



「ごめんね、リアちょっとだけ借りるよ」


別にいいピアノだからって初めてリアに会った時のような、魂の揺さぶられるような曲を弾けるわけではなかったが。


このピアノを弾いていたあの時のリアの気持ちがどんなものだったのか、なんてことを知りたかったのかもしれない。


元々バンドに入れてもらうために覚えたものであったし、天使の眠るこの場とこのピアノにふさわしそうな曲どころか、クラッシックすらあまり聞くタイプじゃなかったけれど。

そんな真澄でも、唯一弾ける曲があった。

失礼なことに、誰が作ったのかも知らない、タイトルが何だか気に入って覚えた曲。



―――『穏やかな世界を』。


真澄は、心の思うままにそれを弾く。

その曲を選んだことに深い意味はなかったわけだが。


真澄は知らなかった。

そのタイトルの本当の意味を。

穏やかだからこそ、破られるということを。





曲を終えて顔を上げると……リアが起きていた。


「リアっ!?」


真澄はガタンと倒れる椅子にも気付かずにリアの名前を呼んでいた。

そして、あわてて駆け寄る。

いつものように澄み切ったブルーベリィの瞳から止めどなく流れる涙。


リアが泣いている。

まるで、今初めてそれが許されたかのように激しく……だけど音もなく。




「どうして世界はこんなにも悲しいの……」


リアはその涙を拭おうともせず、真澄を見上げてそう言った。

まるで、真澄の弾いていた曲がきっかけであるかのように。


息をのむ。

涙のその奥にある、リアに今までなかったはずの苛烈な感情をかいま見た気がして。



「リア、何があったの? 僕、君が倒れてるのを見つけてここまで運んできたんだけど……どこも痛くない?」


真澄は伺うようにリアに聞く。

しかし、リアはただ首を横に振った。


「それとも、ピアノの勝手に弾いちゃったの、まずかった?」


そのせいでリアがこんなに泣いているだなんてもちろん思っちゃいなかったが。

何かが、リアの中で劇的に変わってしまって、今までのリアがいなくなってしまったと考えるのが嫌で。

それを認めるのが嫌で、真澄はそんな言葉を発したのかもしれない。



はっきり言ってそのことが物凄く不安だったのだろう。

リアに引っぱられて、真澄も泣きそうな顔をしてたはずで。


しかしリアは。

真澄の言葉とその態度に我に返ったかのようにきょとんとして……泣き笑いの表情を見せた。



「違うですよ。そんなわけないです。だから真澄さんそんな顔しないでくださいです」


真澄に気を使った、明らかに自分の感情をごまかそうとする言葉。

誤魔化しきれず流れる涙が止まらないのが余計に心に痛かった。


「……何があったの? リアが泣かなきゃいけないくらい嫌なこと、あったんでしょ?」

「え? わわっ、すごいです。真澄さんのピアノに感動したからですかね?」


だからストレートに涙の訳を真澄は聞いた。

ありありと出るリアの動揺。

嘘とも呼べない明らかな繕いの言葉。

涙をあわてて拭おうとするけど、かえってひどくなるばかりで。



「世界が悲しいって、確かにそう言ったよね。それは、どういう意味? リアは何でそう思うの? 僕はそれが知りたい。……リアの友達として」


ちょっとずるい聞き方だとは思ったが。

言い逃れできないように真澄はそう言った。


「……」


何かを我慢するかのようにうつむいていたリアであったが。

長い沈黙の後、リアは再び顔を上げる。


そこには、確かに、地獄を見たものの凄絶さがあって。

それとともにあるのは、燃え盛るほどに何かの決意だった。

そこにはもう、今までの真っ白だったリアはいなくて。

それはとても悲しいことのように思えたけれど。



「……助けてあげたいひとがいるんです。でも、リアは何にも知らなくて一人じゃ助けられないかもしれなくて」


そう言って窺うように真澄を見てくるリア。

真澄は黙って続きを待つ。

だってそれは、今までの誰かを介してのものじゃない、リア本人の願いだろうから。



「だからっ……お願いです、真澄さんっ! リアを、リアを助けてくださいっ!」


それは、自分の犠牲しか考えないはずの天使の、真澄に対しての本気の願い。



「もちろん。僕にできることがあれば何だってやるよ」


それに対しての真澄の答えは当然決まっていて……。

拳を握って真澄は応えたのだった。



一番ほしかったけど、得られなかったものをくれたリアのために。


ありがとうの感謝の言葉を込めて……。




              (第200話につづく)








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