第443話、君との何でもない日々の中で一緒に歌うこと、それが己のすべて
直前まで、『天下一歌うたい決定戦』のための準備を着々とこなしていたのに。
急にそんな全てが、水の泡になってしまったかのような虚脱感。
本番にあたって何を選曲し、どう歌うのか。
舞台上でのパフォーマンスも含めて、色々と摺り合わせていた事が無駄になってしまったかと思うと。
それこそ、先程の冗談に聞こえない冗談を腹いせに実行してやろうかと思い立った知己であったが。
「まぁ、メジャーな大会に過ぎて僕たちには合わないって思っていたし、たまには裏方に回って袖から歌を聞くのも面白いかもね」
なんて、ナオの一理あるかも知れない意見と。
「……ここまでの準備が完全に無駄になるというわけでもないしの」
圭太の、言葉少なくも気遣いの深い言葉と。
「あぁ、うん。出る杭って言うか、上であぐらををかいている人たちは、知己くんのスゴさにおびえているのでやんすよ、きっと。こういうのは、大抵強い力を持つ派閥、レーベルのひとが勝つようになってる出来レースでやんすからね。たぶん間違いなく、知己くんが出たらそんなシナリオを破壊しつくして目も当てられなくなってしまうでやんすから……色々と自重して欲しいってことでやんしょ」
冷静に考えてみたら、知己がやる気満々の全力で舞台に立ったら。
他のまだ見ぬ有望株が、それこそ出てくるチャンスを逸してしまうかもしれない。
法久の饒舌で、ひどく現実的な言葉に。
買いかぶりだと、己はそこまで規格外なんかじゃあないと、反論する気概すら削がれてしまった知己がそこにいたが。
よくよく考えてみれば、今の今までフェスや対バンのような……『ネセサリー』以外の誰かと一緒に同じ舞台で演奏する事は稀にあっても、舞台袖で人の歌と演奏を聞くといった機会が無かったのは確かで。
知己はすぐに思考をプラスに切り替え、貴重な体験ができるじゃないかと。
嫌よ嫌よと言いつつも、裏側で繰り広げられている戦いにしたって、全く端にもかからないくらい興味がないわけではないのは事実なのだから、この際楽しんでしまおう、なんて結論に至って。
「ああ、つまりさ、あれだろ? 未来ある稀代の若き歌い手たちを見護りつつ、そんな彼彼女らにいらぬちょっかいをかけようとする不届きなヤツラをこっそり先にぶっ倒しちまえばいいってことだよな? そう考えると、『あり』な気がしてきたな」
「それも、専守防衛の範疇に入るのかね。……自業自得とはいえ、愚かな企みをしている奴らが、今から不憫でならないよ」
「まぁ、大吾さんもこうしておいらたちに話してしまった時点で覚悟はできていると思うでやんすけどね。こりゃあ、後には引けぬ、たいへんたいへんなことになるでやんすって」
「何だかんだ言いつつ、それこそが知己よな。図に乗っていた頃のわしをあっさりへこませたこと、未だ忘れえぬ記憶として刻み込まれておるわ」
「そんな、己を戦闘狂みたいに、みんなしてさ。……いや、うん。紅さんの件はほら、あれだ。己もまだ若かったってことだよ」
そんな圭太とともに、今となっては知己も随分丸くなったものだと。
大人になったと。
しみじみ思わずにはいられない。
若気の至りとして片付けてしまうのは簡単だが、圭太と初めて出会った時は確かにろくに歌も知らず、歌えないでいて。
カーヴ能力が暴走……していたわけでもないのだが、それを扱う無機質な戦闘マシーンだったと思われても仕方のない事だっただろう。
圭太に、法久に、ナオに出会ってバンドを始めていなかったら。
未だ戦う事しか能のない、存在であった可能性も……。
(いや、きっとそれでも歌うことは、歌い手になりたいって思うことは変わらない、か)
元より、そんな業を背負って生まれてきたようなものだから。
知己は、バンドメンバーの皆と出会っていなかった可能性を夢想しかけて、それでもすぐに否定する。
彼らがいなければ、曲がりなりにもこうしてバンドを組んでデビューする事もなかったかもしれないが。
歌を歌って、関わっていただろうことは、疑いようもなかった。
特に何かが起こるわけでもない。
日常の中でのもの。
多くの人に聞かせるために歌ったわけでもない。
ただそんな、日常を彩る鼻歌のようなもの。
『本人』は、そんなことすら考えてはいなかっただろうが……。
知己にしてみれば正直なところ、ご飯のおいしい、そうでないの違いがあまりよく分からないのと同じで。
それが、うまいのかどうかは分からなかったけれど。
耳にした瞬間、心が震えて。
好きになってしまった感動が、身体にも伝わってくるほどで。
そんな『彼女』と一緒に歌うことができたのならば。
どんな幸せなことだろうかと。
そう思い至ったことが、歌という世界にどっぷりはまってしまったきっかけでもあった。
今は、気恥ずかしさもあって。
そんな機会に恵まれるようなことも中々ないけれど。
大吾が、皆が言うように多くの人たちが耳にするような、大きな舞台で歌うことが知己の一番でないのは確かで。
結果、前途あるかわいい(ここも重要)子どもたちに日がな歌を披露できる機会があれば、なんて思っているわけで。
いつか、そんな『彼女』と。
屋代美弥(やしろ・みや)と。
小さくてもいいから、どこかのステージで歌うことができたのならば。
どんなに素晴らしいことだろう。
……そう思ったから、ではないのだろうが。
正にそのタイミングで。
『彼女』だけに設定していたメロディが流れ出す。
「……おっ」
「こうなってくると、もう取り立ててやることもないし、さっさと出てきなよ」
「あ、うん。わりぃ」
ここ最近は、何だか忙しくしているらしく。
つれないと言うか、連絡が途切れがちだった美弥からの、久しぶりな気がしなくもない、そんな連絡。
そう言えば、いつだってこうやって。
他所から電話がかかってくるのは己ばかりだなぁと。
三人揃いも揃って、恋人や友人がいないのかと。
そんなはずはないよなぁと、少々のいたたまれなさを感じつつも。
知己は一つ詫びを入れて(その事でいつも逆に、ナオあたりに睨まれるのだが)、それまで音合わせ、練習をしていたスタジオを飛び出していく……。
(第444話につづく)
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