第八章、『Crimson of Butterfly』

第56話、その不安は本当に人酔いが原因なのか




―――桜咲中央公園、野外ステージに備えつけられた控え室。




「おはよーさん」


コンコン、と控え室へノックとともに入ってきたのは。

短い茶髪にわずかに混じった赤髪と、深い朱色の瞳に力のある……法久の5倍はあろうかという大柄な男だった。

その間、扉が開くか開かないかのタイミングで法久は待機モード(リュック)になる。

 

見知らぬその人物に、ここに来るまでの人ごみに対する後遺症もあってか、カナリは思わず顔を強張らせた。

こんな状況でなくても道端で会ったら思わず避けてしまいそうな、そんな人物だったからだ。



「ああ、紅さん。おはよう。急なとこ来てもらって悪かったね」

「いや。気にすることはない、予定のうちさ」


紅さんこと紅粉圭太は、知己のそんな言葉に穏やかな笑みを湛えてそう答える。 



「ん? もしかして後ろの人たちは今日の助っ人かな」


そして知己のそんな言葉を聞いて、よくよく見てみると。

確かに圭太の後ろには隠れるようにして、二人の男がいた。


一人は、小柄であまり特徴のない灰色の髪の少年で。

もう一人は茄子のような輪郭をした、ちょび髭の青年と呼ぶにはいささか年かさの男である。



「ああ、そうだ。知り合いに音楽会社の社長がいてな。その者からイチオシだと紹介された助っ人だ。ドラムの峯村富太(みねむら・とみた)君とキーボードの稲葉設永(いなば・のぶなが)殿だ。よろしくしてやってくれ」

「……」

「よ、よろしくお願いしますよっ」


峯村と呼ばれた少年は、言葉を発さぬまま深々と頭を下げ。

稲葉と呼ばれた男はその顔に似合わず知己あたりに緊張しているのか、慌てたようにそう言った。

 

知己が二人に今日一日お願いしますと丁寧に頭を下げると。

続いて圭太が思い出したように口を開く。


「む? そう言えば法久の奴がいないようだが?」

「あ、うん。今ちょっと席外してる。本番までには間に合うと思うけど」


知己はリュックになっている法久のほうをちらりと見ながら、そんな事を言った。


嘘は言ってないだろう。

ただ、知己自身もどういう形で法久がライブに参加するのか知らないだけで。

法久が言うには、その時までのお楽しみらしいが……。



「そうか。名目上飛び入りとは言え、軽い音合わせをしておきたかったんだがな。峯村君と稲葉殿の腕を見るついでに」

「ん、紅さんの知り合いじゃなかったのか?」

「ああ、実はな。恥ずかしながらわしも彼らとは今日初めて会ったのだ」


そう言って頬をかく圭太を見て、だから二人ともちょっとよそよそしかったのかと知己は納得する。

何せ急だし、事前に会う暇もなかったはずだからだ。


だとすると、カーヴ云々の話なども、あまり口にできないんだろう。

落とされ能力を失っているとは言え、同じバンドで今も組んでいるせいもあり、多少の知識はある圭太と違い、二人は何も知らないはずだった。

それを考えても、いたずらにカーヴに触れさせることは得策ではないのだろう。




「そうか。んじゃ、とりあえずお二人のビートとリズムを拝見してもいいのかな?

リハはムリでも、そのくらいはできるだろ」

「……はい」

「り、り、了解しましたーあっ」


変わらず無口な峯村と、テンパったままの稲葉だったが。

それからすぐに専門的は話題へとシフトしてしまった。


ちくまは手持ち無沙汰な様子のカナリとともに、控え室の壁に並ぶように備え付けられてあった椅子に座りつつそんな話を聞き流していると。

さっきから気になっていたらしい。

圭太が、その巨体を揺らすように近付いてくる。



「君たちは知己のもう一つの仕事仲間かい? それとも、このライブに参加するのかな?」

「え、えっと」


ちくまは突然そう言われたが、そもそも何をするためにここに来たのかも分からなかったので、何も答えられない。

どうしよう? とばかりにカナリに顔を向けるちくまだったが。

当のカナリはわたしにも分からないんだから話を振らないでよ、というオーラをビシバシ放出してちくまから顔を逸らしてしまった。


ここに来るまで、半ば強制的に多くのコミュニケーションを取らされて分かったことだが、カナリは意外にも人見知りが激しいようだった。

誰にでもそうというわけでもないようだが、圭太は大柄でどちらかというと強面の顔をしているで、カナリも戸惑っているのだろう。


今まで長い間一人だったからそれは仕方のないことなのかもと、ちくま自分を棚に上げてそう思っていると。

それに助け舟を出したのは、稲葉たちと話しこんでいるはずの知己だった。

 


「ああ、紹介してなかったよな。悪い紅さん。彼らは同僚のちくまとカナリだ。二人ともボーカリスト志望だから、後学のために間近で己の歌声を聞かせてやろうと思ってな」

「ちくまですっ、よろしくおねがいしますっ」

「……ど、どうも」


そんな知己の紹介に元気よく名乗るちくまと、恐縮した様子で控えめに頭を下げるカナリ。

そんな様子を見た知己は、少しだけ笑みを浮かべて覗き込むように言った。


「何だ? 随分大人しいじゃないかカナリ。ガタイはいいけど、気のいい兄貴だぞ、紅さんは」

「あ、えっと……その、ごめんなさい」

「ふふ、何も謝ることはないさ」


圭太はそう言うリアクションに慣れているのだろう。

知己にそう言われ、思わず謝ってしまったカナリに、気にしないでいいと微笑みを浮かべてそう返している。


しかし、そのまま顔を上げ、知己と圭太を交互に見やったカナリの表情は。

何だか人見知りとは別の、戸惑った表情をしているような気がしてちくまは首を捻ったが……。

そのことについて考えるよりも早く、ちくまには気になることがあった。



「あの、知己さん。ぼーかりすとって? 僕たち結局、ここで何をすればいいんですか?」

「あ? うん……そうだな。己たちのバンドの音を、そばにいて体感してほしいんだ。特にボーカルの己ね。二人ともボーカリスト(歌うたい)志望だろ? 聴いておいて損はないはずだ」


もちろんそれは、カーヴ能力者としてという意味でもあり。

一般人であろう峯村や、稲葉のためのカモフラージュという面もあったのだが。



「うたうたい、かあ」

「どうして……わたしがボーカリスト志望って」


どうやら二人はそのまま受け取ったようだった。

知己は少しだけ苦笑し、まあ……間違いではないんだろうなとひとりごちる。



「どうしてって、分かるんだよ。同じ歌うたいはさ。ライバルとして、同志として、今日は楽しんでくれればいい」

「あ、はいっ。わかりましたっ」

「……はい」


しかし、やがて二人は知己の言わんとしていることにピンと来たらしい。

カーヴ能力に関すること、『喜望』の話題を避けている、ということに。


知己は、二人のそんな返事を聞いて満足そうに一つ頷くと。

話題を変えるかのように言葉を続けるのだった……。



                (第57話につづく)








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