第23話、それだけじゃ、いやなのに
―――それは、いざ金箱病院の中へ入るということで、携帯の電源を切ろうと手に取った時だった。
それに待ったをかけるように、鳴り響く携帯の着信音。
曲名は、『デイ・ナイト』。
たった一人にしか設定していない、専用の着信音だった。
もっとも、彼女が好きなのはそのカップリング曲で。
それを落とすことが出来なかったから仕方なくそれを着信にしていたのだが……。
「……あわわ~っ」
何せプライベートで電話がかかってくるなんて無いに等しかったから。
その携帯の持ち主である少女、聖仁子(ひじり・よしこ)は慌てた声をあげて携帯をお手玉する。
それにあわせ、ふわふわと彼女の性格を表したかのように、カールした黒髪が舞う。
ただ、慌てているというのは本人の主観で、端から見れば緩慢でのんびりしたその声は、まるで危機感を感じさせなかった。
黒曜石の瞳も、年中日向ぼっこしているみたいに眠たげで。
実はかなり焦っているのだが、それは周りには10分の1も伝わってないだろうと思われる。
「どしたの、よっし~? 慌ててるけど、誰から電話?」
しかし、長年一緒にいるせいか、仁子が慌てているだろうことを感覚的に理解したらしく、小柴見美里が、覗き込むようにそう訊いてくる。
仁子とは対照的に癖のない淡い翠緑の髪(ウィッグ)が、彼女の動きに合わせせわしなく揺れていた。
「あ、うーん……えっとー」
「くすっ、まるでこれから電源切るって分かってるみたいなタイミングだったわね。誰から? とても焦っているみたいだけど。ひょっとして、ひょっとするの?」
「……」
そのまま誰からだと正直に答えるのも憚られて、どうしようかなと仁子が考えていると。
美里に続くように、美里とおそろいのストレートの、翡翠の髪を後ろに束ねた、真光寺弥生が、濃緑に染まる瞳を輝かせ迫ってくる。
そして、『スタック』班(チーム)の4人目である新人の少女……
首元ですっと揃えたセミロングの黒髪の沢田晶だけは、電話自体が気になるのか、大量のストラップが気になるのか、何するでもなく微かに潤んだ青みがかった瞳で、じぃっと携帯を見つめているだけだったが。
それでも3人同時に注目され、流石に恥ずかしくなって仁子は眉を寄せた。
「んーと、んと……とりあえず、電話してくるよ~」
病院の入り口で話していては迷惑だから、ということを理由に仁子は、普段からしたら大分機敏な動きでそそくさとその場を後にする。
別に隠したい分けでもなかったが、相手に迷惑をかけたくない。
仁子自身そう思っていたのもある。
そんな仁子の行動に対して、弥生が「怪しいわね……」と呟いていたが。
あまり相手を待たせるのも悪いだろうと思い、仁子は聞かなかったフリをして、携帯に出た。
「はい~。こちら『スタック』班(チーム)、聖ですが~」
『……おう、己だ。知己だぞ』
そんなこと着信音が流れた時点で、既にわかっていたことだった。
なのに、わざわざ強調してくる所が何だか知己らしい。
「何か御用でしょうか~?」
『用がなきゃ、電話しちゃ駄目か?』
己とお前の仲じゃないか、とでも言いたげに、声のトーンをあげてくる知己。
その親しげな音域は、電話越しのせいなのかいつもより近くに聴こえ、心地よさを覚えた仁子だったが。
同時にそんな自分にひどく戸惑ってしまう。
「駄目じゃないですけど~。何かあったから電話してきたんじゃ~」
『そういやそうだったな。悪かった』
―――用事がなければ電話なんてしないくせに。
そう言う感情が、無意識にも言葉に篭っていたのかもしれない。
それに耳ざとく感づいて謝ってくる知己に、仁子はただただ狼狽の色を深めるしかなかった。
『いや、まあ。調子はどうかなって思って、電話したんだけどさ』
そのまま何も言えない仁子に恐縮したのか、知己は申し訳なさそうに呟くように言葉を発する。
「調子は、特に変わりないですよ~。昨日の今日ですし~」
『……それもそうだな』
しようもないことを聞いたかと、乾いた笑い声をあげる知己に。
どうしてこういう言い方しかできないのだろうと、仁子は自己嫌悪する。
離れたことも、そっけない態度も、自業自得なのに。
それでも相手が変わらないから、どうしても未練が残るらしい。
「もしかして、本当にそれだけでかけてきたんですか~?」
知己が気を使って電話をかけてくれているのは分かっていた。
けれど、仁子の口から出た言葉はそれすらも蔑ろにするものだっただろう。
でなければ、今の自分を保てない。
そんないいわけが仁子の感情を支配する。
『えっと、実はな。気になったことがあって。ほら、『スタック』班(チーム)に加わった新人の子、いただろ?』
「沢田さんのことですか~?」
『ああ、彼女なんだが、偽名を使ってる可能性がある。いや、己からすれば、十中八九偽名だろう。ひょっとしたら何か目的があって『喜望』に入り込んだのか……なんて考えたら止まらなくてな。それでどうこうするつもりはないが、一応よしには伝えとこうと思って。あ、でもこれって己の気の持ちすぎかもしれないから、他の子にはオフレコな?」
仁子はそんな知己の言葉を受けて、何気なく顔を上げると。
「何話してるのかしら」とか、「相手はだれかなぁ」などと興味津々で電話終わりを見守っている3人の少女が目に入る。
完全に馴染んだ様子で、弥生や美里とともに盛り上がっている風の晶を見るに、知己の考えも、いささか大げさなんじゃないかという気がしないでもなかった。
「分かりました~。私の心の内にとどめておきますね~」
『ああ、そうしてくれ。ってもな、気になるってだけで別に悪い奴かもとか思ってるわけじゃないんだ。かわいい子には、悪人はいないしな!』
もし悪人だったら全力を持って更正させてやるとおかしなテンションで意気込む知己に、呆れ半分、やっぱり変わらないなという気持ち半分に、仁子は笑みを零してしまう。
そのせいもあって、流されるように言葉がついて出てしまった。
「それじゃあどうしましょう? みんな、この電話の内容に興味津々で、絶対後で訊かれると思うんですけど~」
『ん? そんなの己からの電話で、調子とか聞かれただけって言っとけばいいんじゃないのか?』
仁子の言っている意味を掴みかねて、知己はそんな言葉を返す。
「え? だって、そしたら知己さんのプライベート番号、何で知ってるのって驚かれるよ~?」
そして、そんな会話をしているうちに、いつの間にか偽りの自分が剥がれ、砕けた様子で話している仁子がいたが……仁子自身は、それに気付いていなかった。
結局の所、知己のペースに巻き込まれたといってもいい。
『何で? 家族の……妹の番号くらい知ってたって別におかしかないだろ?』
あっさりと知己は、仁子にとって大きなウェイトを占める事実を口にする。
何の気兼ねもなくそう言ってもらえることが、嬉しくて……辛かった。
「う……だって、みんなには話してないもの」
『そうなのか? 隠さなくてもいいのに』
「それは~、名字違うし、迷惑かなって」
知己と、実の兄妹だと知った時。
それと同時に自分だけが聖家に養子になったことを知った。
知己自身は『あおぞらの家』に育ち、別段不自由なこともなく、さしたる不幸なこともなかったが。
その事実は、自分だけが拾われ兄は捨てられたのだという負い目にもなっていたのだ。
その事について色々詮索されるのが、仁子はあまり好きではなかった。
その事で知己が傷つき、迷惑に思うんじゃないかって、
仁子は知己と兄妹であることを、誰にも話せなかったのだ。
『うーん、まあそうだよな。今更己なんかに兄面されてもうざいだけか』
しかし知己は、迷惑の意味違う風に取ったらしく、苦笑いとともにそんな事を言ってくる。
「……ち、違うよっ、そう言うつもりで言ったんじゃないっ!」
思わずカッとなってそう叫び、それと同時にもう一つの気持ちが浮かび上がり、仁子はそのまま言葉に詰まる。
本当は、知己が兄じゃなければ良かった。
そう思ってるんじゃないのかって、
表に出た言葉とは裏腹に、心が暴れているのを仁子は自覚していた。
『おいおい、ちょっぴり自虐的なただのジョークじゃないか』
「あ、えっと……その、ごめんなさい~」
冗談を間に受けることほど気まずいことはない。
でも、本当に冗談なのかなって思うところも仁子にはあった。
『ま、謝ることもないけどな。それだけ可愛い妹に想われてるって思っとくよ』
知己の言葉が、胸に痛くて響く。
―――それだけじゃ、嫌なのに。
着信音に出来なかったもう一つの詩を思い出して。
仁子は鬱屈する自分を自覚していた。
「どうしたらいいかな~?」
自分が何を言っているのかも分からず、呟いたのはそんな言葉。
『うーん。そうだな……それじゃ、テキトーに彼氏からとでも言っとけば? 後はよしの話し方次第でどうとでもなるだろ』
「かっ、彼氏ーっ!?」
仁子の呟きをそのまま話の続きと取って、いきなり突拍子もない事を言ってくる知己。
仁子は、いつも出さないような所から声を出して、そのまま固まってしまった。
『そう、カレシ。「実はカレシからなの~。だから恥ずかしくてこれ以上は言えなーい」って感じでOKだろ?』
声マネのつもりなのだろうか、わざわざ口調を変えてまで具体例をあげてくる知己に、流石に仁子も頭痛を覚えた。
ついでに、弥生たちがその程度で大人しく引き下がるとも思えない。
「知己さん、そんなこと言ってると、美弥さんに嫌われるよ~?」
さっきとは違い、冗談で本気じゃないことは分かりきっていたけれど。
仁子は自然とそんなセリフを口にしてしまった。
『だ、だだ大丈夫だって!? そもそもこんなノリの話、よしくらいにしかしないしっ』
案の定、言葉の割に大丈夫じゃなさそうな狼狽ぶりに、仁子は思わず笑みをこぼす。
それと同時に、自分だけにしかしないという言葉に、仁子は不思議と安らぎを覚えた。
そう。知己が、こんな風に接する相手は、決して切れない鎖で繋がれた自分だけなのだと、仁子は実感する。
その鎖はあることが至上の喜びであるとともに、もっとも哀しい拘束を意味するけれど……。
「わかりました~。それではその案で強行する次第でありますよ~」
だからこそ、そんな戯言も悪くない。
仁子はそう思い、乗り気言葉を返して見せる。
『おう、ほどほどに頑張ってくれたまえ』
そして……。
知己は何を話したかったのか、結局自分自身でもはっきりしないまま。
随分と久しぶりの、妹との会話を終えた。
それは、仁子も同様で。
知己が気にかけた些細な事が、これから仁子自身に大きく関わってくるなんてことを。
仁子自身だけでなく、知己ですらこの時は、夢にも思っていないのだった……。
(第24話につづく)
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