第50話、天使に仕える先生とお医者さん


そして。

真澄はまるで水面を泳ぐように音を立てず、長い廊下を進むツカサについてゆく。

  

それから、どれくらいの時間が経ったかわからないが。

果てのないように見える廊下と、広い庭園ばかりを映し出す窓の外が茄子紺色に染まり、すっかり日も暮れた頃。


真澄は、どこからか誰かと誰かが争っているような声が聞こえてくるのに気づいた。

ふと顔を上げると目の前は突き当たりになっており、道幅が広くなっている。

その広くなる道の境には、おそらく大理石か何かだろう。

白光りするアーチみたいなものがかけられていた。


そして、そのアーチをくぐった反対側にいたのは、勇を中心としたAKASHA班(チーム)のメンバーだった。


彼らは、アーチの左右の柱にそれぞれ佇む……おそらくそのどちらか、あるいは両方がリアの言っていた千夏と雅という人物なのだろうが……その人たちと何やら言い争っているように見える。


一人はマントのように少し大きめの白衣、もう一人はかっちりとしたスーツを着込んだ女性たちだ。


そんな女性たちと勇たちは、あまりよろしくない雰囲気で言い争っているのは分かったが、何故かその声はくぐもっていてよく聴こえない。


こんなに近くにいるのにどういうことだろう?

真澄はそう思って、さらに近くまで歩み寄る。

すると、もう目と鼻の先まで来たところで、勇が叫ぶ声が聞こえた。



「部外者を入れない理由はわかった。しかし、真澄クンに会えないとはどういう意味だい? キミたちは無事だと言ったはずだ、ならば何故会わせないっ!?」


それは、すぐそこに真澄がいることをまるで気が付いていないような口ぶりだった。


「に、兄さんっ。ちょっと落ち着いてくださいっ。あのっ、真澄さんは無事なんですよね? なら、その会えないわけを教えてくださいませんか?」


勇はあくまで高圧的に、進むはバランスを保つように下手に。

それぞれ同じことを問いかける。


何だかその言葉は、自分を探しに来たメンバーが、真澄自らの所属していた魔久班(チーム)ではないという事実を明確に突き付けられ、敏久たちがあの後どうなったのか嫌でも思い知らされる感じがしてならなかった。



「僕はここにいますっ。それより今の状況を教えてくださいっ!」

「……別にあなた方を責めたいわけじゃないんだ。あなた方がここで何をしていようと、それを口外するつもりはない。ただ、俺たちは仲間の無事を知りたいだけなんだがな」


だが、そんな王神の言葉は、やはりすぐ側にいる真澄の存在も言葉も認識していない、そんな感じで。

それは現実なのに、まるでドラマを見させられているかのように滑稽だった。


そこでようやく、真澄は何かがおかしいことに気が付く。

彼らは真澄を無視しているとかそう言ったレベルではないのだ。

現に、勇たちとは何度も目が合っているのに、まるで彼らは何も見えていないかのような、そこには誰もいないかのような視線を真澄に向けてくる。



「少なくとも生きていることは確かです。その証拠もあります。ただ、私たちもその方に会ったことはございません。これより先は生き物ならばごく限られたもの……主のファミリアにしか通ることが原則的には許されないからです」

「……っ」


そこでようやく口を開いたのは、白衣を着た藍色のショートカットの女性だった。

真澄はその女性の表情の乏しい紫紺の瞳が、一瞬だけ自分を捉えたような気がしてはっとなる。


「ちょっと千夏っ、まさか話す気!?」


すると、今までだんまりを決め込んでいた、ミドルボブのブリーチの入った橙の髪と、燃えるような薄緑の瞳をしたスーツの女性が声を上げる。

おそらく、この女性がリアの言っていた雅と言う人なのだろう。


そう考える真澄を置き去りに、彼女らの会話は続く。


「『喜望』も何も考えてないわけではないようです。初めに来た方たちとは格が違いますね。ここで納得して帰っていただけなければ強行も辞さないつもりなのだろうと、そう判断しました」

「ふん、分かっているじゃないか。では早速、ボクを納得させて欲しいものだね」

「……何よ偉そうに。こっちだって想定外のことで困ってるっていうのに」


淡々と言葉を述べる、千夏と呼ばれた女性に対し、勇はその通りにしろと言わんばかりに鼻で笑った。

そのせいもあって、そんな勇に毒づくように……おそらく雅という名の女性がそう呟くのがよく分かるが。



「何がどうなってるの?」


やはりおかしい。

まるでアーチの向こうと、真澄の今いる場所が何かに隔てられているかのような、そんな感覚すら受ける。

手を伸ばせばすぐにすぐ触れられる場所にいるのにだ。



そこまで考えて、真澄はこのおかしな感覚がなんなのか、ある一つの考えが浮かび上がった。

真澄はそれを確かめるようと、無意識のうちに手をのばして……。



「止めなさいっ、手が消し飛ぶわよっ!」


もう少しで指がアーチを通過するその直前で、雅の怒鳴り声が上がり、真澄はびっくりして手を引っ込めた。


(やっぱり僕の存在に気づいてるっ?)


真澄はそう思い、声を投げかけてきた雅を見るが、しかし彼女は真澄を見ていなかった。

その視線を伝うと、会話には加わらず、みんなが言い合っている間にごく近くまで来ていたのか、真澄と同じようにびくっとなって手を引っ込めている長池慎之介がいた。


「お、大げさっすね。ほんのちょっと触ろうとしただけじゃないっすか」

「……大げさなどではありません。ご覧ください」


ぼやくように慎之介がそう言うと、仕方ないですねといった風に千夏が溜息をつく。

そしてゆっくりと、アーチの境に手を伸ばし……。



ばちばちばちばちぃっ!


「……っ!?」


瞬間、激しい閃光とスパーク音が千夏の指を襲った。

真澄を含めたこの場の全員が息を飲むひまもあらばこそ、千夏の足元にばっと千夏自身の鮮血が舞う。


「……ご覧の通り、この異世の境界は生物の進入を拒みます。まあ、自らが無生物であるとの自覚がおありなら構いませんが」

「あぁ、もうっ。平気な顔して無茶なことしないでよっ、見てるこっちが痛いでしょ!」


手の傷をまるで気にした様子もなく、それこそ無生物のロボットのようにそう説明する千夏に、眉を寄せて嫌そうな顔をしつつ雅は声をあげる。

そして、雅はあんたたちが悪いのよという顔をして勇たちを見据え、さらに言葉を続けた。



「分かった? これが会えない理由。この先にはここに住む私たちの主の異世が広がってるの。その主の許可なしには入れない異世がね」

「……そしてそれは、試したことはありませんが中からも同じことです。主の許可なしに外に出ることはできないでしょう」


そして、やはり淡々と千夏が言葉をつなぐ。

その血の滴る指先は見目が悪いと言われたからなのか、どこからか取り出したハンカチを巻いていた。


「その、主と言うのはあれか? まいそでの天使とか言う……」


二人の言葉を聞き、顎に手を当ててそう呟く王神を見つつ、真澄ははっとなる。

雅や千夏が言う主とはおそらくリアのことだろう。


その二人は、リアの許可がなければここから出られないと言った。

だとすると、自分はその許可とやらを得たのか、なんてことを考えてしまったのだ。


真澄はこのまま帰るつもりだったが、リアには二人に話を聞いてくるとしか言っていない。

果たしてそれでここを通れるのか、真澄に判断することはできなかった。


別にリアを信じていないとかそういうのではなく、今の千夏の様子を見て、なんとなく確実性もなしにここをくぐるのがはばかられたのだ。



しかし、それよりも。

向こう側にいる人にこっちが見えていないのならば。

それでどうやって話をすればいいのか、真澄には見当もつかなくて……。



             (第51話につづく)







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