第九章、『ー祈りー』
第64話、うれしい猫、知らぬまま故郷へ帰る
知己たちが桜咲町にてライブを行う少し前のこと。
ジョイは一人、しっかりと電車を使いこなし、都心を離れて。
バスのようなローカル線に乗り換えて若桜町(わかさちょう)へとやってきていた。
かの場所には人の心を掌握し願いを叶えるという、人ならざるものの伝説が残ると言われている。
『喜望』のビルにて調べていくうちに分かったのは、どうやらそれは『深花(みばな)』と言う名を持つらしい。
ただ、詳しいことは現地に赴かねば分からなかった。
ならば早速、村に向かおう、ということになったわけだが。
その際、本物の法久から……
『若桜町に向かうのなら若桜高校に行って、トリプクリップ班(チーム)の力を借りるといいでやんす』
と言われていたため、ジョイは町に一つしかない駅を下りると、早速その高校へと向かうことにした。
若桜高校は信更安庭学園と並ぶカーヴ能力者の通う高校であり、『喜望』のメンバーも多くがどちらかに通っているか、あるいは卒業生であった。
(ちなみにスタック班(チーム)の小柴見美里や、真光寺弥生はここの卒業生であり、トリプクリップ班(チーム)の4人は現在も若桜高校に在学中である)
そして、それにも関連して、トリプクリップ班(チーム)は今、AAAクラスの監視対象である『アサト』と接触していると言う。
主であるカナリと同じ、隔離され閉じ込められているというアサトという人物にも、ジョイは会ってみたいと思っていたので、ジョイにとっては願ってもない言葉であった。
そのための連絡はしておくということなので、まさに法久さまさまといったところか。
夏のしつこい暑さも薄まり、ぽかぽか太陽の陽気の中。
ジョイがそんな事を考えながらちゃっかり法久にもらったりんごジュースを飲みつつのんびりと歩いていると。
それまで申し訳程度に舗装されていたアスファルト道路がやがて砂利道にかわり、ついには農道になって。
周り一帯が収穫前の田んぼ……黄金の生える、稲穂たちに囲まれる。
太陽に光に眠くなりながら少しだけ顔を上げれば、そこには一軒一軒の間隔がだいぶ離れているだろう家々と、そのバックに橙、緑、黄と染まる、そびえるような山々が広がるばかり。
「なんか広いなー。しかもとっても静かだし」
どちらかというと人の多い雑多な町の雰囲気のほうが好きなジョイは思わずそう呟
いてしまう。
お昼時という時間帯のせいもあるのかもしれないが、ここまでジョイは駅員の人以外に誰も会うことはなくて。
誰かに会ったら元気よく挨拶しよう、なんて思っていたのだが。
しかしそんなジョイの思いは、叶うことはなかった。
それは、若桜高校のある、穂高山(ほだかやま)のふもとまで来た時のことだ。
「……っ!」
山の傾斜を削って段状になっている田んぼの高いほうから、突然大きなアジールの気配を感じた。
何だろう? 見に行きたい!
という好奇心がまず前面に出たが。
その時ばかりはそれで何度も失敗している自分を省みて、とっさに猫の姿をとると、ジョイはそのまま近くにあった木の上によじ登り、そこで息を潜める。
「がっ、ぐっぅ……!」
するとすぐにばさばさと稲穂をなぎ倒し、長い茶色の髪の少年が転げるように砂利道へと落ちてきた。
その少年は……若桜高校のものだろうか。
黒の制服は土にまみれ、なんだか痛々しい。
彼は誰だろうとジョイは考える。
こんなことならそのトリプクリップ班(チーム)の人たちの写真でも見せてもらえばよかったかも、と。
「……にゃっ!?」
そして再び発せられる存在を誇示し叩きつけてくるかのようなカーヴに、ジョイはびくっとなって紫電がはぜる。
一瞬、その少年がその力を発しているのかと思ったが、どうやら違うらしい。
そのカーヴの気配は、倒れ伏す少年の頭上、稲穂の群れの奥から発せられていた。
「正直なめてたのは認めるよんよーん。効力の切れる時間帯とはいえキミがトランの能力から脱するなんて思いもよらなかったしー」
それから聴こえてきたのは、軸は野太い男の声なのに、キーはどこまでも高い……いわゆるファルセットを使った、そんな声。
状況が状況でなければコミカルなものに聴こえなくもない声だったが。
稲穂を掻き分けてぬっと現れ出たその声の主が、ガタイのいいスキンヘッドの大男
で。
尚且つその右手には六花を象る金色の銃を持っていたのだからたまらない。
その声が纏う鈍色のカーヴにあいまって、潜在的な不快感を与えるものに変わる。
「なんちーっ、こ、このくらいっ」
その声を向けられた少年は、それでも起き上がりその場から離れようとして。
ダララララッ!
「ぅがっ!」
慈悲も容赦もなく、光る弾丸のようなものがその少年の背中を貫いた。
ジョイは思わず飛び出そうとして。
しかしそれも寸前で思いとどまる羽目になる。
本能が警告していたのだ。
ここから動いてはいけない、と。
好奇心が強すぎるきらいのあるジョイが、それでも今まで生きれこられたのはそのせいもあるので、思考とは裏腹に身体が動かない。
目の前のスキンヘッドの男への単純な恐怖感と嫌悪感もあるだろう。
何しろその男はアジールを展開してもいない少年も何のためらいもなく撃ったのだから。
ほんの一瞬だけ、恐ろしいほどの沈黙が辺りに満ちる。
「ま、まだ、負けんとねっ……」
そんな中、少年はかすかにそう呟き、胸を押さえて息も絶え絶えに立ちあがった。
見た目外傷はないようだが内部破壊に類するものなのか、あるいは精神に負荷を与えるタイプなのか、そのダメージは火を見るより明らかなのに、彼は足を止めようとはしない。
「往生際が悪いぞお。あと少しでラクになれるっていうの、にっ」
それを見たスキンヘッドの男は、心底呆れたような表情をしてみせ。
その体躯からは想像もつかない身軽さで回り込みに立ち塞がるように少年の前に降り立った。
「ぐぁっ」
そして、それでもなお進もうとする少年に足をかけ地べたに這い蹲らせると、その背中を踏みつける形をとって六花の銃口を心臓部分に押し当てた。
「キミは……おとなしくトランの駒になってればいいのっ」
少しだけ苛立ったように、スキンヘッドの男はそう呟く。
いよいよまずい状態になっているようだった。
本当にこのまま見過ごしていいのか、とジョイは思う。
あの少年を見捨ててまで、自分を守るということで本当にいいのかと。
(違う、そんなの間違ってるっ!)
ジョイは自らの理性的な部分で本能を否定した。
たとえそれで使命がままならなくなったとしても、自分のポリシーは曲げたくなかったのだ。
「みんな……ごめん」
そしてその時、漏れ出すように聞こえてきたのは、悔しげな少年のそんな言葉。
ジョイはそれを聴いた瞬間、かっと体中が沸騰するのを感じていた。
(とにかくっ、このまま見てるなんてダメだっ!)
ジョイは心の中でそう叫んでから、いつでも飛び出せる姿勢をとる。
だが、そもそもジョイは戦闘に特化したタイプのファミリアではない。
ジョイの使える力はおもに『歌』を媒体にした回復、補助であり。
攻撃手段として考えるとすれば、カナリの想像力によって生み出されたジョイの副産物である『でんき』だろう。
とはいえ、その力でさえ実戦で使ってみたことはいまだない。
この場で使うには不確定要素が大きかった。
そんなジョイに唯一利点があるとすれば、向こうがこちらの存在に気づいていない、ということだろう。
「……」
どうにか隙を突いて少年を助け出せないものかと、じっとスキンヘッド男を見据え、タイミングを計るジョイだったが。
「おっとっと、危うく大事な生贄を踏み潰しちゃうとこだったよん。トランったらお馬鹿さんっ」
男は突然そう呟いて、急に足をどけたのだジョイは戸惑いを隠せない。
もしかして自分の存在に気づかれたのかとも思ったが。
そんな素振りを見せることもなく、男はさらに何を思ったのかそのまま踵を返し、立ち去ろうとしていくではないか。
(……なに、どういうこと?)
スキンヘッド男の言葉も気にはなったが、何故止めを刺さないのか。
ジョイは混乱する。
今更慈悲の心に目覚めたのだろうか。
そう思いながら目の前を通り過ぎるスキンヘッド男を見て、ジョイは言葉を失った。
男は笑っていたのだ。
どこまで心が歪めば作れるのだろうという、ゆるぎない勝利に酔っているかのような余裕の笑みを。
それは相手を思って止めを思い留まったのではないと、確信できる邪悪さがあった。
ジョイはそれ以上見ているのも嫌になって視線を外し、変わりに少年のほうを見ると、僅かながら身じろぎするさまが確認できる。
受けた攻撃がどんなものかは分からないが、とりあえず今のところは無事らしい。
ジョイは用心しながらスキンヘッド男が完全に立ち去るのを待つと。
すたっと少年のもと降り立って人型に戻り、具合の程ほどを見ようとしたのだが……。
その瞬間、辺り一体……おそらくこの町全体に響くであろうオーケストラの音が木霊した。
「……っ!?」
条件反射でびくりと跳ね上がるジョイ。
そのメロディは、スローテンポで随分と牧歌的な風景を連想させるものであったが、タイミングがタイミングだけに脅かされたかのような気分になる。
だが、それ以上の驚きはその後を追うように目の前で起こったのだ。
(第65話に続く)
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