第65話、うれしい猫と、本当に忘れ去られた天使
「……」
「……えっ?」
無言のまま、何の予備動作もなく起き上がる中性的な少年。
その普通ではありえないようなバネ仕掛けのマリオネットのような動きに、ジョイは呆然と固まった。
少年はそんなジョイに気づいたふうもなく、何だか虚ろな瞳で今まで必死に向かおうとしていた方向と逆、スキンヘッド男が去っていった方向に歩みを進めていってしまう。
(あれは、もしかして?)
ジョイは呆けたまま何とか思考を巡らせて、ジョイはその少年の身に何が起こっているのかを理解した。
同時にスキンヘッド男が中途半端とも思える様子でこの場を立ち去った理由も。
おそらく、自信があったのだろう。
少年が受けたもの……あるいは今流れている音のカーヴの力がゆるぎない、ということを。
同じ『音』に類するカーヴ能力を有するジョイにとってそれを連想するのは簡単なことだった。
スキンヘッド男の使った能力は、音により対象の精神の操作をしたり、幻惑させたり、身体に影響及ぼしたりする能力なのではないかと。
実際に使用意図こそ違えど、ジョイ自身の能力はそういうものだ。
例えば、歌にもともと存在しうる、リラックス効果を増長させたり、肉体と精神ともに回復力を早めたりする。
今の少年を操っている力は、状況から考えるに。
ある一定の音、あるいは合図を耳にしたものに、本人の命に別状がない程度に特定の行動を取らさせる類のものだろうとジョイは予測した。
加えて、それには有効範囲があって、少年が町の外に出ようとしていたことから判断すると。
このオーケストラ……お昼の放送の届く範囲だろうと考えられる。
少年を操りどこに向かわせ、何をさせたいのかジョイには分からなかったが。
何しろ少年はここから逃げようとしていたのだから、少年とってはよろしくないことをさせられるであろう事は容易に想像できた。
それをふまえると、今はもう地元のニュースに変わっているスキンヘッド男の『音』の能力は、人によって効果に差があり、いつまでも効果が続くというわけでもないんだろう。
少なく見積もっても、その効果は24時間。
それは毎日同じ時間に流れるお昼の放送をスイッチにしているところからも窺えた。
少年は、効果の弱まり切れる直前だったため逃げようとすることができたのだろうし、それを分かっていたからこそ、スキンヘッド男は少年を追いかけ、効果の弱まりが回復する時間が来たと思ったから、立ち去ったのだろう。
ジョイはその一瞬でそこまで今の状況をまとめたが。
しかしそれはあのスキンヘッドの男に相当の自信がなければできない行動のはずだった。
間違いなく、今までジョイが会った中でもトップクラスに入る能力者だろう。
しかも、どう間違っても仲良くしたいとは思えないタイプ。
未来に渡る力を求めてはるばるやってきたはいいが、この町には何かがあるようだ。
それはもしかしたら、ジョイ自身が調べようとしていることにも、関わりがあるかもしれなくて。
その何かを知るためには、やはり当事者に聞くのが一番なのだろう。
それならばジョイのすることは一つだ。
「嵐にも咲き誇る花になれ……闇夜に舞う鳥であれ……」
まるで生ける屍のように歩みを進める少年を引き止めるように。
ジョイは力ある言の葉を、歌を風に乗せる。
それは、一言で言えば万象の力を借りて心を沈め、そこに入り込まんとする邪なものを浄化させる歌だ。
少年を支配し、操ろうとする分不相応な音を包み込み、消し去る力。
カーヴの能力に属性というものがあるとするならば、少年を支配するスキンヘッド男の能力と同じ、『音』の属性の能力で。
ただそれが受けたものにとって害になるか益になるのか、というそれだけの違いしかない。
「……」
しかし、少年は変わらない様子で歩き続ける。
まだジョイの声は届かないのか。
あるいは、かけられた力がそれだけ強力なもの、ということなのだろう。
「海原を巻き上げる風になれ……満ちて欠ける月であれ……」
ジョイはそれでも諦めずに歌を紡ぎ続けた。
そこにあるのは。
あんな『音』が届くのに自分の歌が届かないはずはないと、負けたくないという感情。
面と向かって相対していたらジョイがいちファミリアである以上、能力者としても相手のほうが一枚も二枚も上手だろうが。
あんな心のない『音』にだけは負けるわけにはいかないと。
ジョイにはそんな意地があった。
「……汝に与えしは森羅の法、花鳥風月……っ!」
そして。
そんな強い意思を持ってジョイが一つの歌を歌い終えた時。
初めて少年に変化が起こった。
「……ぅっ、こ、ここはどこね? 僕、何ばしょっと?」
「えっと大丈夫、きみ?」
混乱して辺りをせわしなく、方言めいた言葉で見回す少年に、ジョイは遠慮がちに声をかける。
声をかけられると思わなかったのか、少年は文字通り飛び上がってばばっと振り向いた。
「お前はっ。ど、どこの誰とねっ!」
「ボク? ジョイだよ! こう見えてもファミリアなんだっ」
警戒する少年の緊張を解すようにジョイはそう言って笑顔を見せる。
そしてさらに、ここであったこともろもろを説明した。
「そっかー。君が助けてくれたとね? ありがとう。僕はケン、母袋賢。『喜望』に所属してるトリップクリップ班(チーム)の一人たい」
「え? キミがとりぷくりっぷのヒトなの? よかったー。探す手間が省けたよ」
ジョイは引き続き、自分も同じ『喜望』の一員(らしい)ということを告げる。
「え、そうなん? 僕、君のこと知らんとよ?」
「うん、最近新しく入ったんだよ」
正確にはジョイの主であるカナリが、だが、間違ってはいないだろう。
それからジョイは自らの目的、未来への扉を探していること。
この地で伝わっているという『深花』という人ならざるもののことについて調べに来たことを少年……賢に話した。
「……『深花』、ね。僕、この町の若桜高校に通っとうが、よくきいたことあるとよ。『深花のさと』って本。結構売れてるらしくて町の本屋には必ず売ってるって話しばい」
てっきり知らないか、そんなものは架空のものだと言われるかと思ったら、あっさりとそんな事を言う賢。
「ふーん。そんな本があったんだ? 全然知らなかったよ。その本屋ってどこにあるのかなあ?」
少なくともこの町以外での本屋や図書館では、そのような本は見たとこがなかった。
「ああ、そんなら俺が持ってるばい。わざわざ買いに行かなくても貸してやるけん」
「ホント? やった、じゃあお願いしてもいい?」
「うん、それはよかとね。ばってん、その前に僕、仲間を助けなきゃならんたい」
嬉しそうに声を上げるジョイを制すように、賢は低くそう呟く。
「助ける? それってもしかして、さっきのつるつる頭の男の人から?」
「うん、そうとね。パームの梨顔トランという男に俺の仲間たちが捕まってる……
ううん、彼らだけじゃなかと。この町のひとはみんなあの男に心を操られてるんね。本人が気づかないうちに。僕だってたまたま本部からの電話がなきゃそれにも気づかんかったと思うけど」
なんでも賢によると、ジョイが見たあのスキンヘッド男……梨顔トランとトリプクリップ班(チーム)は戦い、一度勝利していたらしい。
しかし、その戦いが終わり、賢が次に我に返ったのはそれから数日後だった。
気づけば何故か普通に学校に通っており、落とされてて去ったはずのトランが教師をしていたのだという。
「我に返ったのは、たまたま僕が本部からの電話を受けてるしゃくちゃん……うちのリーダーを見たときばい。相手に対して異常はありませんって、いつも無口なさめちゃんが普通に答えてるの見て、違和感があって……それで気づけたんと思う。ばり混乱したね。何で倒したはずのあいつがいるんだって。今仕事中で、休学中なのに普通に学校通ってる時点でおかしいって気づくべきだったんけど……我に変えるまで、今仕事中だったってことすら忘れてたんだから、もしかしっとう、僕たちがあいつに勝ったことさえ、幻だったのかもしれんたい」
トラン自身が言った、自分はAAAの能力者だというセリフ。
あれはもしかしたら事実だったのかもしれない、賢はそう思う。
トランと相対したときには既に何らかのカーヴ能力の影響を受けていたのかもしれない、と。
そして賢は、自らに言い聞かせるようにそこまで話し、はっと我に返った。
「って、そうだよっ。あいつはっ! あいつはどこにいったと!?」
「トランってひとのことだよね? それなら何か来た道戻ってっちゃったけど」
「……?」
ジョイが瞳をしばたかせてそう呟くと、賢は疑問符を浮かべて考え込む。
「まさか、見逃してくれたわけじゃあるまいし、だとするとまずいかも。僕らになにさせたいんか分からんけど、学校に戻らなかったら怪しまれるかもしれんたい」
我に返った時、半ば混乱していて冷静でないまま逃げ出してしまったが。
今の状況は仲間を含めた町人たちを人質に取られたのに等しい。
ここで戻らなかったら彼らに危険が陥る可能性もあるだろう。
賢はそう思い至ると。
一つの決心をし、制服の泥を払ってジョイに改めて視線を向ける。
「助けてくれてありがとうね。やっぱ俺学校に戻るけん。今度は逆に操られたフリをして、パームの奴らが何をしようとしてるんか見極めようと思う。仲間たちも助けなくちゃいけんし」
そしてそう言って賢が頭を下げてその場を去ろうとするが。
すぐに慌てたようなジョイの声が上がった。
「待って、ボクも行くよ!」
「え? でも、危険ばい。それに、君は若桜の生徒じゃなかとね、怪しまれるけん」
「あ、それなら大丈夫。後ついてどっかに隠れてるからさ。猫型になれば、それも簡単だしね。それにボク、そのトランってひとの能力の対処法知ってるし、君の仲間も助けてあげられると思うんだよね」
心配しないで、という感じで微笑んでみせるジョイ。
「マジと? それって……なんっ!?」
「……っ!」
そして。
それはなんねと賢が聞き返そうとしたその瞬間。
辺りの空気を圧迫するかのような、アジールの気配がした。
それは先ほど感じたばかりの、不快感を覚えずにはいられないアジール。
「何してるのかな? 昼休みもう終わるよーん。遅刻になるぞ~」
いつの間に戻ってきていたのか、山のほうへと続く道の先に邪悪な笑みを浮かべたトランが見える。
何か勘が働いて戻ってきたのか。
それともきまぐれか。
「……」
「……みゃーん」
賢は、トランのそんな言葉に従うように頷いた。
その瞳は、魂を吸い取られたかのように虚ろで。
条件反射で猫になり声をあげるジョイとトランを交互に見やっている。
「あらん、プリティーな猫ちゃんね。いつまでもかまってるとホントに遅刻しちゃうよーん?」
「……はい、今戻ります」
その言葉尻から判断すると、間一髪ジョイのことは見咎められなかったらしい。
賢は生気の抜けたような声でそう呟き、大人しくトランの後についてゆく。
「……」
それをただ見守るしかないジョイだったが。
しばらくそうしていると、賢が片腕を後ろに回し、おいでおいでのジェスチャーをしているのに気づいた。
(そっか、あれはもう操られてるフリ、なんだ)
とっさに猫に変わったジョイにも言えるが。
あの瞬間でよくそこまでできるものだとジョイは密かに感心する。
もしかしたら、普段からそう言う演技する習慣でもあるんじゃないかなんて考えて。
(よし、じゃあボクも行こうっ!)
ジョイは自分に言い聞かせるように一つ頷いて。
猫のまま慎重に二人の後をつけていったのだった。
その時はまだ、その先にジョイの求めていた一つの答えがあることなど、知る由もなかったが……。
(第66話につづく)
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