第290話、横隔膜と名付けられた、その意味を今理解する



「……みんな集合! おふざけでなくまじめにお話があります! 怜亜女王様から」

「こら」


真面目にと言ったそばから。

苦笑して拳振り上げる真似をする怜亜に、毎度懲りない自身にまゆは舌を出して。



「なによぅ」

肉まん型の広いフロアには、話が先に進むような抜け道やら扉やら道を示してくれる親切な人の姿はなく。

ようはみんな、停滞を持て余していたわけで。


渋る正咲を皮切りに揃って怜亜の元に集合する。

恵や真澄は、まだちょっと引き気味ではあったが……。




「目に見える時間以上に、まずい状況に追い込まれたかもです」


結局、怜亜に睨まれ、まゆ自身が気づいた事を口にする。


「まずい状況ですか?」

「うん。僕の見立てでは、九割くらいこの世界からの脱出が困難になったとね」


塁の相槌に付け足すように、まゆは言葉を続ける。

適当に言っているように見えて、あながち外れてはいないだろうと思っていて。

それに、正直にも真っ先に反応したのは正咲だった。


「どういうこと?」


正咲が眉をへの字にしている。

久しぶりに見る、どうしようもない時の顔。

まゆの発した言葉をまったくもって疑おうとしないところ何か、まったく正咲らしい。



「今いるこの異世……『プレサイド』は海の中に浸かりました。一番高い所まで行って、果たして脱出できるかどうか」


そんな正咲の心意気に答えるように。

まゆは持論を展開する。


反応は様々、悲喜こもごも。

みんな言葉を失っている。

まぁ、答えだけをいきなり示したわけだから当然といえば当然だろうが。



「まゆ……あなた、思考が時々ぶっ飛びすぎなのよ。正誤どころの騒ぎじゃないわ。イチから説明しなさい」


何をいきなり言うんだおのれは。

そんな硬直から最も早く脱したのは怜亜だった。

まゆはもちろんそのつもりだったので。



「簡単な推理だよ、ワトソン君。」


一度言ってみたかった言葉。

言質による満足を得て、まゆは言葉を続ける。


「まずは、美冬さんの目撃証言からとね。いつだったか言ってたよね? このめんどいくらい広い異世は、歩いていたと」

「う、うん」


まさか振られるとは思っていなかったらしく、少しばかり狼狽えた後、それでもしっかり頷く美冬。


「ジョイも! ジョイも見たよっ。この世界ってばかでっかいロボットみたいのだった!」


それに続いたのは元気に手を上げる正咲だ。



「そう、この世界は合体ロボットそのままの形を取っている。それは何故か。答えは単純。自ら動いて向かいたい場所があったからとね」

「それが海ですか? リアも海見たことないです。ロボットさんも海を見たかったのかな?」

「惜しい、惜しいよ恵ちゃん。見るだけじゃ飽き足らなかったみたいね。やっぱり海に来たら泳いでたこやくらげと格闘しないと」


それは大変ですねぇ、なんてしみじみ納得している恵。

純粋すぎて心が痛い。

そうじゃない自分にそこはかとなくまゆがダメージを受けていると、いい加減面倒くさいよって顔をした真澄が口を開いた。


「どうでもいいけど、まるでその様を見てきたみたいな言い方だね」

「だから簡単な推測だって。ほら、何回か地形の変わる大きな地震あったでしょ? 実はさ、それに紛れて一定のリズムを刻む振動が別にあることに気づいていたんだ」


例えるなら、ずしん、ずしんと。

まさしく、巨人が歩くがごとく。



「気づいてたのなら何で話さなかったの?」

「……すまんこつです。それが歩いてる音だって気づいたのは今さっきなもので」


問い詰める怜亜に、まゆは正直に頭を下げる。


「今はもう、足音聞こえないんだ。それって目的地に到着しちゃってる事を意味すると思うんだよね」

「それでは、さっきの揺れは……」


塁の呟き。

後を引き継ぐようにして、まゆは言葉を続ける。



「『プレサイド』が海にダイブしたものによるものかと。耳に当てた限りじゃ、相当深く潜ってるよね。海水の唸りが聞こえるくらいだし」


今、皆が聞いていたのがその音だろう。

いかんせん壁の厚さとかもあって、そんな気がするといった程度ではあるが。

信更安庭学園が、海からそれほど遠くないのも確かで。



「……つまり、出口があるって言ってたのは、嘘って事?」


そして。

話をまとめるみたいに。

そう言い放ったのは怜亜だった。


ゲームとは言えこうちゃんは本気だ。

一旦口にしたルールを覆すような嘘はつかない。

まゆは怜亜の問い掛けにそんな風に言葉を返すつもりだった。


なのに口は動かない。

昔のこうちゃんと今のこうちゃんは違う。

まゆは偽物だと疑われている。



「でもさっきまゆちゃん、九割はっていってたじゃん。残りの一割、脱出できる方法あるんでしょ?」


まゆが何も答えないから、怜亜の言葉は肯定されたのだと、そう言う流れになったのだろう。

縋るように、正咲がそう聞いてくる。

そう言えばと、みんなの視線が集まって。


まゆは参ったなと思わず頭を抱えたくなる。

中々にいやな言い方をすると。

九割無理って言うのと、一割できるかもしれないって言うのはまったく心象が違うのだ。


そっちの方が希望の光が残っている。そんな印象。

そんな期待されるほどこの状況を打開できる妙案がある訳でもないのだが……。



「いや、あのね。さっきもちょっと言いかけたけど、九割だどうこうって話はさ、脱出できる確率とかじゃなくてだいたいそんくらいは水に覆われちゃってるんだろうなってことでさ」

「つまり?」


細かいことはどうでもいいのさって感じの真澄。

まゆは一つ息を吐き、正咲と同じ、ポジティブシンキングな表現を使って、それに答えた。



「残りの一割……こやつが足から海に浸かってくれてる事を期待すれば、やっぱり頭のてっぺんでしょ。この世界でもっとも高い場所。そこまで行ければ脱出できる望みはあると思う」

「……考えてみれば当たり前のことですね」


その通り。

塁の身も蓋もない呟きは正しい。

だからどうしたって感じだ。

それは一見すると、誰でも気づける当たり前の事だろう。



「……望みはある、ね。そっちの方は何割くらい?」


シニカルな調子で怜亜。


「九割がたかな。てっぺんに脱出口がある、その望みなら」


まゆは自信満々に、自身のアホ毛を指差してそんなことを言う。

やはり適当に言ってるみたいに見えるけど、その答えは実の所綿密な計算により算出された確かなものだ。


信更安庭学園付近の海の深さ。

最深部の距離。

中途半端に足だけ浸かるのなら、海に向かう意味はないわけだから……。

学園の建物がくっついてできたこの世界、『プレサイド』のなからの全長を引くことで示された結果だ。


その結果を踏まえると、何とか頭のてっぺんは海の上に出るんじゃないかといった目算。

まぁ、別にそこまで考えているんだって主張したいわけじゃないから、九割方脱出できるで十分なわけだけど。


「残りの一割って何?」


そこに、蒸し返すよいな振り出しに戻るような美冬の言葉。

まゆは天を仰いで。


「プレサイドが頭から海にダイブした、確率……かな?」


一切のおふざけもなく、そう答えたのだった。

言ってる言葉は何ふざけてるって感じだが。

これが結構冗談でもなくて。


もし『プレサイド』が逆立ちしているのならば。

てっぺんは最初にいた足の部分になってしまうのだから。



「う~、わけわからんっ、こんがらがってきた~」


自分は賢いと宣言してはばからない正咲が、頭を抱えだだっ子のように頭を降る。

そのまま弾丸のように駆け出そうとして……しかし、ぴたりとその動きを止めた。


ばっと、正咲がまゆの方を振り返り、凝視する。

その姿が、波の上に乗っているみたいに上昇していて。



「まゆちゃんっ! 下っ!」


だが。

正咲が上昇しているのではなく。

まゆ達が蟻地獄にはまった蟻のように沈み込んでいることに気づかされたのはその瞬間だった。


「恵ちゃん、怜亜ちゃん! 翼をっ!!」


地面にのまれ、食われる。

まるでまゆたちの会話の終わりを待っていたかのような絶妙なタイミングで。

だが、この場所に辿り着いて辺りを調べた時点で、それはある程度予測の範囲内の出来事でもある。


何故なら、進む道がどこにもない行き止まりだったからだ。

こうちゃん側から何らかのリアクションがあるだろうって、むしろ待っていた節さえあって。


まゆの叫びに、返事するより早く恵が自前の真っ白な翼を。

怜亜が借り物の黒い翼を広げた。


当然、まゆも。

久しぶりの大天使モードの翼だ。

(ちなみに、見習い天使モードはおもちゃのごとき寝る時にも快適なあれで)


三人で手を繋ぎ手分けして、美冬、塁、真澄を抱えて飛び上がる。

蟻地獄の縁にいる、正咲の元へと向かって。




「……あれ?」


まゆがそれに気づいたのは偶然だった。

蟻地獄が逃げようとする獲物に向かってきたらどうしようと、用心深さがそれを気づかせたのかもしれない。


何気なく見やったピンク色の蟻地獄の一番深い部分。

蟻地獄みたいな奴の姿はない。


そこには何もない。

まゆたちを誘う暗い口も、何もかも。


ただ、へこんでいるだけ。

何だ、あの場に残ってても問題ないのか。

まゆが、大きな勘違いに気づいたのはまさにその瞬間だった。



「やばい、みんな早くっ!!」


逃げるんだ。

その言葉は、最後まで紡ぐことはできなかった。

へこんでいたはずの地面が、反動をつけて物凄い勢いで迫ってきているのがその目に見えて。


トラックにひかれたってこれほどの衝撃はないだろうと思える、言葉ではうまく表せない、激しい衝撃。

インパクトの瞬間、みんなの悲鳴が折り重なるのが分かって。


紛れもなく、まゆ自身もその一人であることに気づいて。

まゆ達は跳ね上げられる。

『プレサイド』のしゃっくりによって。



それは、【横隔膜】という名前の意味に、改めて気づかされたその瞬間だ。



だけど気づくのが遅すぎた。

それに気づいたのは、意識を弾かれるその直前だったからだ。



そんなまゆにできたのは。

残っていた温もりを。離さぬように力込めることだけで……。



            (第291話につづく)







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