第289話、蒙昧なる巨人は、深淵なる要へ辿り着く


「いつまでくっついてんだこの~っ!」


その深みにはまりかけたシリアス。

計ったかのようなタイミングで破ったのは正咲だった。



「遅い、止まって見えるわ」


きっと、正咲もまゆの近づいてきた終わりに気づいている。

だけどそんなこと知らないみたいに。

朗らかに跳び蹴りが飛んでくる。

怜亜はそれを、まるで打ち合わせでもしていたみたいにひらりと交わしてみせた。

そのまま、まゆを放し地につける。


足に感触は戻っていた。

まだまだいける。

それが二人の優しさだと思うと……もとよりしまりのない涙腺も緩みそうになるまゆであったが。

そんな感傷に浸る間もなく。



「うわっ、また地震っ!?」


怜亜に飛びかかろうとしていた正咲がたたらを踏み、嫌そうな声を上げる。

こうちゃんが作った世界、『プレサイド』に来てからというもの、何かが始まるときにはいつも地震があった。

まるで、始まりの銅鑼か何かのように。



「……違うとね」


でも今の揺れは。

今まであったものとは質が違っていた。

恵の部屋にいたときに体験した地震は、こんなものじゃなかった。


もっと細かい。

頬がくすぐったくなるような揺れだ。

だがそれも、次第に分からなくなるくらいに小さくなってゆく。


数分も経たない内に、揺れは全く感じなくなった。



(全くだって……?)


こうちゃんの遊びが……いや、正確に言えば恵の部屋を出てから感じていた一定のリズム、例えるなら大きな大きなストライドで走っているような揺れまでなくなってしまっている。


それが何を意味するのか。

咄嗟に、確かめようとまゆは駆け出す。



「まゆ? ちょっと!」


突然のまゆの行動に、驚いたような怜亜の声。

まゆはそれに、大丈夫だよと手を上げると、肉まんの中身から世界を見ているような流線型を描く壁に近づいていった。


「あ、お姉ちゃん」

「どしたの? 真面目な顔して」


真澄一言は余計だったけれど。

同じように壁の意外にも柔らかい材質を確認していた恵達が近づいてくる。


「地震が止まったんだ」


まゆは二人にそうとだけ言い、壁に耳を近づける。


音は聞こえない。

揺れも。

……いや、僅かに地震とは別の、大いなる何かの吐息が聞こえるような気がした。


まゆは、それが何であるか知っている。

それは母胎の中のような、安心できる包容だ。

まゆは思わず、安堵の息を吐く。



「まゆさん、壁の外がどうかした?」

「わっ」


思わず我に返るまゆ。

気づけばお互いの髪が触れるんじゃないかっていうくらい近くで、美冬がまゆの顔を覗き込んでいた。


「いや、ほら、なんか聞こえない? 地震とは違う何かが……」


恐らく、この至近距離が美冬にとっての親しい人にデフォルトなのだろう。

慕ってくれるのは泣けるほど嬉しいことだけど、長池君苦労してんだろうなってまゆはちょっと思って。



「確かに、何かが唸っているような音が聞こえますね……」


そんな美冬の、まゆを挟んで隣にいた塁が、まゆの真似するみたいに壁に耳をつけ、そんな事を呟いた。



「ジョイも、ジョイにも聞かせて~っ」


それに正咲が続いたことで、みんなで壁に耳ありのシュールな光景に。



「障子だったらメアリーちゃんが出てくるのに」

「めありーさんですか?」

「そういうマニアックなネタを口から吐き出さない」


そんな知り合いがいるのかとリアが勘違いするでしょ、とでも言わんばかりの真澄。



「呆れるのはいいがマヌケは見つかったようだなぁ! そう言う真澄殿こそマニアックの局地とね!」


ふはははぁと敢えてまゆが高笑いしてみせると、処置なしといった風に肩を竦める真澄。



「なんて言えばいいのか、お姉さんと会話してると昔を思い出すよ」


おふざけパートのはずなのに。

その言葉には、どこか寂寞が隠っていて。


「その心は?」


まゆも真面目モードになってそう聞いてみる。


「……男友達同士の、どうでもいいやりとり?」

「僕らは残念ながら花も恥じらう乙女ですが」

「分かってるよ、そんなこと分かってる」


花も恥じらうって辺りにいつもの突っ込みはこなかった。

何か、つついてはいけない藪をつついてしまったようで。

わざわざ男物の制服を着ている時点で、何かあるって分かりそうなものなのにと。

ついて出た言葉にちょっと後悔するまゆ。


「……お姉ちゃん、真澄ちゃん、けんかはいやです」

「へ? 喧嘩? まさか、そんなことする訳ないじゃんねえ、真澄さん」

「そ、そうだよ。何言ってるのさリアってば」


おそらく恵は、その場のあまりよろしくない雰囲気を感じ取ったのだろう。

まゆ達は我に返り、この話をこれ以上蒸し返すことがなくなったことに安堵を覚えつつ、ぎこちない笑みなんか浮かべて肩を組んでみせる。


「そですか。良かったです~」


それに対して返ってきたのは、与えられるのがもったいないくらい眩しい笑顔だった。


きっと、本当は喧嘩なんかしてないって分かっていたのだろう。

困ってたとこに手を差し伸べてくれたのだ。


……恵は変わった。

当然、いい方に。

だがそれは、痛みを知ることでもある。


自分に与えられた結末に対しての覚悟を決めていることを意味している。

それが決して言い結末でないことが、悲しくて。


その一翼を担ってしまうだろう自分が、少し憎くもあって。

まゆが、そんな吐き出すわけにはいかない苦悩を抱いていたことに気づいたわけではないだろうが。



「あら、あたしも混ぜなさい。楽しそうなことしてるじゃない」

「ひゃあっ!?」

「な、ななんばしょっとぉっ!」


背後からの、ぞわぞわした感触。

何かをされたわけでもないのに。

そう言うオーラというかアジールでも出ていたのかもしれない。

まゆ達は、文字通り蜘蛛の子散らすみたいにその場から散会する。



その中には当然恵の姿もあった。

というより誰よりも早くその場から逃げ出していた。

怜亜と面と向かったのは恵だけだったから。

いったいどれほどのじゃあくな表情を浮かべていたのかといった感じだったけれど。



「何でついてくるとっ!」

「好きだから」


どうやら最初から、まゆが目当てだったらしい。

思わず翼を使ってまで逃げ出そうとして。



「……地震じゃないこの地鳴りの正体、何だか気づいてるんでしょ?」


迷いのない、自信に満ちた言葉。

浮きかけた身体かぴたりと止まる。


「どうしてそう思うの?」

「駆け出すあなたに迷いがなかったから、ってところかしら」

「迷ってたから確かめに行ったんだけどね」

「でもそれで答えは出たんでしょう?」


何という買いかぶり。

何となくそうだろうなってくらいなのに。

確信もないくせに、不安を煽るような事なんて言いたくないのに。

それでも知りたいと怜亜は言うから。


仕方ないなぁと、まゆは内心でため息をついて……。



            (第290話につづく)






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