第62話、迫り来る波濤と、ワスレグサ


はてさて、恭子と美弥の向かった先は、くぼんだ螺旋状の観客席の中で最もステージから離れた、最も高い場所に位置する展覧席だった。



「でっかい波が来るのだ……」


そして、ちくまたちがやってくるか来ないかの所で、美弥の呆然とした呟きが聴こえてくる。


ちくまも同じように、コンクリートをくり抜いただけの吹き抜けの窓へと、張り付くように覗き込むと。

確かに美弥の言うように、強大なるカーヴをまとった大きな波がこちらに……野外ステージめがけて迫ってくるが見て取れた。



その先には海が見える。

でも、その波にはやはり作り物めいた違和感は否めない。


まるで、ここだけを直撃するためだけに生まれたような波。

不幸中の幸いなのは、そこが切り立つ崖のような急斜面で、その通り道に民家がないことくらいだろうか。



「……二人は、この公園を襲った大波って知ってるかしら?

ここは昔、何十年に一度あんな波がやってきて、あのステージすら海水の底に沈めことがあるの。『パーフェクト・クライム』の件で、黒い太陽がかの大地に落ちたときもそれは起こったわ。……そして、今目の前に見えるあれは、その大波を模したカーヴ能力なの。パームが過去にあったカーヴ能力を使うっていうのは、本当のことなのね。一度見たことがあるから分かるわ。……あれは【落涙奈落】。スーパーノヴァーズのボーカル、梅垣大護(うめがき・だいご)の能力よ」

「あなたは、いったい……?」


不意に発した恭子の言葉に、ぽつりとそう漏らしたのはカナリ。

確かに、カナリが思わずそう言うほどに、恭子はカーヴを取り巻く全てのことについて知りすぎている。

パームの持つ力の情報など、『喜望』の……それこそ前線に出るような一部のものしか知りようがないはずだからだ。



「改めて紹介するわね。私は潤賀恭子。もと……いいえ。今も現役のつもりだけど、コーデリアのドラムを担当していたわ。テル……榛原の同僚って言えば分かりやすいかしら」


そして恭子は改めてそう自己紹介するや否や、それを証明するかのように。

今までまるで感じなかったはずのカーヴの力を解放した。

空気がそれに圧される感覚がして、ちくまは張り付いていた壁から転げそうになる。


法久がいないから正確なことは分からないが、少なくともAクラス以上はありそうなその緑青色に輝くアジールは、これで何故前線にいないのか不思議なくらい大きい。



「変わらぬ夢は、『あおぞらの家』と『喜望』を取り巻く全ての子供たち……全ての母になることよ。美弥や知己はもちろん。あなたたちを含めてね」


そして、その言葉がまるでスイッチであったかのように。

そのアジールが円を描いて広がっていく……。



それは、大波という災害から守るための、大きなドーム状の幕を形成するシェルターであった。



「―――【破魔聖域】、発動っ!」


恭子が力ある言葉でそう叫ぶと、そのシェルターはキラリと太陽の光を反射する。

そして、すぐそこまで迫っていた大波を迎え入れて……。


まるで、脳髄にまで響くような、大きなものと大きいものがぶつかる音が辺りに木霊した。

 



「……相打ち、ね。私もまだまだ、いけるみたい」

 

そう言うも、それは大きな衝撃だったのだろう。

恭子は、薄く微笑んでぐらりとよろける。



「お母さんっ!?」


名前で呼ぶのも忘れて美弥は、そんな恭子に駆け寄った。


「大丈夫、大丈夫このくらい余裕よ~。まだまだ現役でいけそうね?」


恭子はそう言って笑い、心配させたくないのか。

支えようとした美弥を制し、気丈に立ってみせる。


ちくまには、どうみても母、という年齢には見えなかったが。

それでもそう言う資格のある強さというものを、彼女に感じた。

そしてそれと同時に、彼女が現役をしりぞいているという理由も。


恭子の実際の年齢云々はともかくとして、先ほどとは違い、目に見えてその身に纏うアジールの力が弱まっているのが分かるのだ。

もし、同じことをもう一度やれと言われても、おそらくは無理だろう。

ちくまが、何となくそう考えていると。



「あっ……」


カナリの唖然とした声に、ちくまははっと顔を上げる。

その視線の先には、先ほどのものより一回り大きい気のする第二陣の波があった。


「あらら、もう次が来たの? もう、せっかちねえ」


それでも口調だけは動揺のそぶりすら見せず、恭子は再びカーヴ能力を展開してゆく。


 

「……【破魔聖域】、発動っ!」


そして一度目と全く同じ動作で、薄い藍色の結界を発したはいいが、明らかに恭子のほうが危険な状態だった。


次に相打ち、なんてことになれば。

その勢いで落ちてしまいそうなほどに、纏うアジールは少ない。

 

もちろん、そんな事はないのだろうが。

ここまでされてちくまはただ見ているのに、我慢の限界が来た。


「行こう、カナリさんっ!」

「行くって、どこにっ?」

「あの波の所へだよ! 僕たちで止めるんだっ」

「……できると思ってるの? あんな大きな力、わたしたちだけで?」


カナリはちくまを見、波のほうに視線を向け、そう呟く。


「できるさ! どんなに大きくたって同じカーヴ能力なんだからっ!」

「そういう単純なものでもないでしょうに。……でもま、いいわ。今わたしたちにできることは、それくらいみたいだし。知己さんたちは知己さんたちで、何とかするでしょ」


ちくまが当たり前のようにそう言うので、カナリは何故だか嬉しくなってそう答える。

まあ、言ってみただけでもとよりそのつもりだったっていうのは、あっただろうが。



「二人とも、何する気なのだ。行くってまさか、あの波のとこに? あぶないのだっ」

「……ごめんね、美弥さん。これがわたしたちの役目だから」

「そうそう。それに僕たちがしばらく頑張ってれば、そのうち知己さんと法久さんが出てきてくれるだろうしね」


追いすがるように美弥がそう言うが、カナリもちくまもむしろ心配はいらない、とばかりにそんな事を言った。

 


「知己のこと、信じてるの?」

「うん、もちろんだよっ」

「……いささか不本意ではあるけどね」


ちくまは自信満々に、カナリはちょっと不満気だが。

それでもしっかりとそんな美弥の言葉に頷く。

それは、美弥にとっても同じことで。



「そっか……なら、うん。わかったのだ。気をつけてね、二人とも」


そう言われてしまえば、しぶしぶながらもそう答えるしか術はなくて。



「じゃ、ちょっと行ってきます!」

「って、ちくま。どこから行くつもりよっ。待ちなさいっ!」


ちくまはそう宣言するや否や、コンクリートの塀を乗り越えて、結構高さのある急斜面に向かって飛び降りるかのように飛び出していってしまった。


ちゃっかり自らのアジールを展開して、その衝撃を和らげているところを見ると、既にある程度は自らのカーヴをコントロールできているように見えなくもない。


そんな突飛な行動を見て、焦りつつも負けるかと思ったのか。

不安定ながらも同じようにアジールを展開し、外へと飛び出していくカナリ。



恭子は、いいコンビね、とひとりごちる。

少しだけ、自らの長年の相棒だった男勝りな親友のことを思い出し、苦笑を浮かべる。



「さて、フォローしてくれるとのことだし、知ちゃんが戻ってきてくれるまで、一仕事しましょうか」

「お母さん、美弥は? 美弥は、何かできることないかなのだ?」


恭子は独り言のつもりだったが、目の前の血の繋がらない愛娘にそう言われ、きょとんとなる。


「ダメよ~、知ちゃんに怒られちゃうじゃない。……っていいたいところだけど。そうね、それじゃあ美弥ちゃんには、知ちゃんが戻ってきてスムーズにアンコールに入れるように、場をつないでもらおうかしら。知ってる? 今ここにテルがいないから、このライブって私が総責任者になってたりするのよね~」

「いまいち意味がよくわからないのだ。美弥は何をすればいいの?」


少しおどけてそう言う恭子に、美弥は眉を八の字にしてそう聞き返す。

すると、恭子はさらに笑みの度合いを深めた。



「ほら、いつまでもお客さんにアンコールって呼ばせておくわけにもいかないでしょ? 今頃スタッフの人たち大混乱してるはずだから、説明してあげないと。まあ、つなぎで美弥ちゃんがステージに立つのも面白いかもね?」

「うう~っ!? な、何を言ってるのだっ。もう引退して何年も経ってるのだっ。冗談きついのだーっ」


そう言ってふくれる美弥に、恭子はただ苦笑で返す。

美弥の認識としては、知己に全国ネットで恋人宣言されて、恥ずかしくなって歌手を辞めたというエピソードがある。


だが……本当のところはきくぞうさんの存在(はぐれファミリア)から分かる通り、先の『パーフェクト・クライム』の件で落ちてしまったから、辞めざるを得なかったのだ。


実際の所、能力を失っていなければ、カリスマと呼ばれるべき歌姫だっただろうと恭子は思う。


だからこそ、敢えて恭子は再びステージに立つことを希望するのだ。

恭子は、美弥ならいつか知己と同じ場所に立てるということを信じていたから。




そうして結局。

美弥は赤くなって恥ずかしがったり怒ったりしながら、スタッフのいるであろうバックヤードへと走っていく。

恭子はそれを見届け、ようやく一息つくと、かすかにその表情を歪ませた。



「よかった、うまく誤魔化せたみたいね。それにしてもたった一回でこうもバテるとは。もう年かしらねえ」


どう見ても、20代後半ぐらいにしか見えない恭子は、口調だけはそれこそ年寄りのように、そう呟いてみせる。


そこには、重い諦観が含まれていたが。

その呟きは、こんな事態になっても変わらないファンの声援に、儚く消えてゆくのだった……。



               (第63話につづく)






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