第61話、風雲急を告げる奈落



―――それは、ネセサリーが二曲目を終えた頃。


ずっとステージを注目して見入っていたちくまは、カナリの様子がおかしい事に気が付き、ふと舞台上から視線を外す。


カナリは何かの痛みをこらえているかのように、頭を押さえていた。

ちくまはそれを見て、意外と演奏のボリュームが大きいからそれで頭でも痛いのかな、くらいに思っていて。



……次に視線を戻した時には。

ステージ上にネセサリーの姿はどこにもなくなってしまっていたのだ。




「あれ? もういないや。いつの間に?」


思わず声を上げてカナリに問い掛けるように呟くが、彼女は相変わらず頭を押さえている。



「カナリさん、大丈夫? よく見たら、顔色も悪いみたいだけど」

「え? あ……う、うん。だいじょうぶだよセン。ちょっと、ドラムの音が大きくて」

「セン?」


今まで普通に呼び捨てだったのに、いきなりどうしたんだろうとちくまが首を捻っていると。

カナリはそこで再び我に返ったかのように目をパチクリさせた。


「あっ、ごめん……つい。嫌だった?」

「え? ううん。別にいいけど」


何か、テンションがいつもと違ってハイな気がしたが。

そうは言ってもまだあったばかりだし、こういう一面もあるのかもしれない。

なんてことをちくまは考え、断る理由もないのでとりあえず頷いてみる。


「そ、そう? じゃあせっかくだからそう呼ばせてもらおうかな……って、あれ?

ネセサリーの出番、もう終わりなの?」

「うん、僕もそう思ったんだ。もう一曲くらいやるのかなって。そしたらいつのまにかいないし」

「いつの間にかって、あのステージからどうやっていつのまにかいなくなるわけ? 美弥さんは見てた?」


もしかしたらあの舞台には奈落でもあるのかなとも思いつつ。

隣の美弥にカナリがそう伺うが。

当の美弥も、曖昧な表情で眉を寄せていた。


「う~ん。もう一曲くらいやると思ってたんだけど……今日のラストだし、アンコールってことかもしれないのだ。でも、今どうやってステージから降りたのかよくわからなかったのだ。なんか花火の煙とか凄くて、はっきりとは見えなかったけど、どうも突然消えたような気も」



「あなたたち、ちょっと……」


するとその時、三人の会話を聞きつけたのか、今まで前の方の席で小さな子供たちの面倒を見ていた恭子が潜めるように声をかけてきた。


「今の、見たかしら?」

「今のって?」

「突然消えたでしょう? おそらく、あれは異世が作用して……」


美弥の問いかけに答える形で、恭子はちくまとカナリに向かってそう言う。

恭子は異世……カーヴの事をやはりよく知っているらしい。


力はまったくあるように感じられないが、おそらくカーヴ能力者なのだろう。

だとすると、その恭子の言葉が何を意味しているのか、分からないはずもなかった。


カーヴを使役する事と歌う事は違う、と言っていたことも含めて。

まさかステージ上でいきなり知己たちが異世を展開するはずもない。


それはつまり……。




「……パームっ?」

「え、ほんとっ?どこっ!?」


パームの仕業かもしれない。

そう答える前にカナリがそう叫んだので、ちくまは驚いて辺りを見回した。



「どこじゃないでしょっ。それを探すのがわたしたちの役目なんだからっ!」


どうやら見つけたと言う意味ではなく、ちくまと同じ考えを口にしただけらしい。

ぴしゃりとそう返されて、ぐうの音も出なくなる。

さっきはちょっとヘンだと思ったけど、もうすっかりいつものカナリのようだった。



ようするに、ネセサリーが消えたのは、目にも止まらぬ速さで舞台袖に捌けたのではなく。

パームの一味か何かのカーヴ能力者が自らの異世に閉じ込めた、ということなのだろう。


ならば、近くにその術者がいるのかもしれない、ということで。



「どうするの。どうやって探せばいいかな?」

「う、ん……そうね。まず、奴らの目的が何なのかってことにつきるんだけど」


例えば、パームの狙いが知己たちを葬ることにあるのならば。

ちくまたちにできることは、彼らの枷にならないようにするということである。


カナリが『ハートオブゴールド』に操られてしまったみたいに、いつの間にか相手に利用されるような状況に陥らないようにすればいい。

……それができるかどうかはまた別だが。


だが、パームの目的が『・パーフェクトクライム』のように、カーヴ能力者であろうとなかろうと関係ないというのであれば、自分たちだけでなくここにいる全ての人が、知己たちにとっての枷になりかねない。

人質にとって、というのも十分に考えられるのだ。



「ここも戦場になるのかな。今のうちに避難とかしてもらったほうがよくない?」

「そう言ったって、カーヴを知らない人たちをどうやって避難させればいいのよ、この状況でっ」


気づけば周りの観客は、アンコールを始めていた。

さっきまであれだけしゃべっていたアナウンス……『喜望』のスタッフも、突然のことに対処しきれていないのか、今のところ何の反応も示していなくて。


と、その時だった。


「あれ、何かゆれてない?」


地震だろうか。

地面が小刻みに揺れているような気がして、ちくまは辺りを見回す。


「地震? ううん、違うっ。これはカーヴの力!」

「……っ!」


そして、カナリがそう叫んだとたん、何かを察したかのように顔色を変えて恭子が駆け出す。


「おかっ……恭子さん? いきなりどうしたのだっ」


急に真剣な面持ちになって会話しだしたちくまたちに、困惑していた美弥だったが。

いつものんびりマイペースの恭子としては、信じられないスピードで階段を駆け上がって行くのを見て驚き、慌ててその後を追いかける。



「わたしたちも行くわよっ」

「う、うんっ!」


だんだんと迫り来る巨大なアジール。

その気配の広さだけなら知己のものより大きいかもしれない。

そのカーヴについて、恭子は何か知っているようだったので、ちくまもすぐに一つ頷いて駆け出そうとする。

でも、ちくまはそのまま突然思い立ったかのように急停止した。



「ひとえちゃん、藤(ふじ)ちゃん! 小さい子のこと見ててあげてねっ!」


そして元の席に戻ると、『あおぞらの家』の子供たちの中でも年かさの女の子二人にそう言う。

余計なお世話かも、とちくまは思ったが。


聞き分けがいいのか、それとも多少なりとも事情を察しているのか、しっかりと頷いてくれた。



「ちょっと! ちくま、何やってるのよっ!」

「あ、うん。ごめんっ」


何か怒っているような気がして、慌てて駆け寄るちくま。



「……何であの子たちの名前知ってるの? 知り合い?」


そして、息を切らしてそばまでやってくると、急ぐというのに突然そんな事を聞いてくるカナリ。


「ん? 今日初めて会ったんだよ? 名前ならついさっき自己紹介して聞いたじゃん」

「じゃん、って言われても……って、こんな話してる場合じゃないのよっ。恭子さん、何か知っているみたいだし、急ぐわよっ!」

「う、うん」


だからそっちが話をふってきたんじゃないかと、そんなセリフがのど元まで出かかったが。

気づけばちくまは大人しく頷いていた。


なんでだろうとは思ったけれど、さっきから迫ってくるアジールの力はどんどん強くなっていて。

急がなきゃ、というのは確かにその通りだからだろうと考えたからだ。




              (第62話につづく)







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