第449話、軽い気持ちで裏側の世界へ誘おうとするから
ナオ……孝樹は。
『R・Y』のメンバーの、本番前のルーティンに必要なもの、予め用意していたものを次々に取り出していく。
「あっ、ごいんだのポテチ! さいきん売ってないんだよねぇ。よくみつけてきたね、うーちゃんせんせー」
「あ、そうだったよ。爪の保護しないと」
「ええと、今日演奏するのはなんばしょっと……」
「ふむ。サポーターの存在を失念していたようだね」
それだって毎度のことでいつものことなのに。
何故かそれぞれがあからさかにほっとしたような態度をとって、わいわいがやがやいつもの準備を始める。
ナオはそれに、首を傾げつつも大会前の準備、そのかっても分からないであろう美弥に向き直る。
「ええと、美弥さんは今回ボーカル一本でいいんでしたよね。飲み物に塩分補給の飴、喉の潤いを保つための保湿器なども用意してありますが、何か他にお入用なものはありますか?」
「あ、はい。んと、お水だけいただきます」
そう言ってぺこぺこと頭を下げて。
遠慮がちにペットボトルだけを受け取る美弥。
これが、歌い手としての初めての大きな大会どころか舞台であることの気負いのようなものは、ほとんど見受けられなかった。
知己だけでなく、一度(ひとたび)その歌声を耳にした者を、その魂まで虜にしてしまうという噂の彼女。
満を辞しての今日であるから、きっと自信があるのだろうと、ナオは判断する。
「そう言えば、美弥さんの歌声を耳にするのは今回が初めてなんですよね。実に楽しみです。知己……さんも絶賛していましたからね。正咲さんも直に聞いて、いろいろ学んで、色々盗むくらいじゃないといけませんよ」
「うんっ、そうだよね。ぜっさん、『ら~にんぐ』しちゃうよぉ」
「あ、えっと。うん。がんばります、なのだ」
それでもこなれて来たのか、りんごバターチップスをお裾分けし始める正咲に、遠慮しつつも躊躇いなくそう答える美弥。
(……そう言えば、今の今までこういった舞台に上がる事が無かったのはどうしてなんだろうな?)
これだけ周りに持て囃されて、本人にやる気があるのならば。
とっくにデビューしていてもおかしくないはずなのに。
その事を考え出すと違和感と言うか、目に見えない痼りのようなものが蟠る感覚があったが。
きっと、知己がらみなのだろうと。
知己が自分だけの美弥でいて欲しいとか、美弥の歌は自分だけのものだなんて独占欲が働いているのだろうと。
その辺りの事については気分が悪くなりそうなので、やっぱりそれ以上は聞かないようにして。
「それでは。特に準備の必要がないのでしたら、正咲さんと軽く合わせてみてはいかがです? 一応今回は同じまとまりといった括りですので、いきなり一回戦で当たってしまうような事もないでしょうし、それでも手の内を見せない程度にはウォーミングアップしておくべきだと思いますが」
「え~。のどぢから消費しちゃうからぶっつけ本番でいいよ~って、いいたいところだけどぉ。たしかにみやちゃんの歌はきいてみたいな。いっしょに手合わせしようよ、みやちゃん」
「……あ、はいなのだ。そう言うことならよろしくお願いしますです」
知己が過保護に気を使っていたとして、美弥本人が裏の世界……カーヴ能力者達の、超常的な力と力のぶつかり合いに全く気づいていない、と言うのはありえないんだろう。
そんな事を言いつつざっと彼女の力のほどを、アジールの強さを見定めんとするナオ。
法久ならば今の今まで出し渋っていた、その能力名すら詳らかになるのだろうが。
ナオから見れば正直言って、知己を超えていくかもしれないポテンシャルを持っている正咲と比べてみても、単純に内在するアジールの大きさなどは引けを取っていないように見えた。
正咲も無意識かそうでないのか、美弥の強さをある程度肌で感じ取っているようで。
朗らかに楽しげに、嬉しそうにそんな誘いの言葉をかけていたが。
その紅玉潜みし正咲の瞳の奥がやる気に満ち満ちて燃え盛っているのがよく分かって。
「分かりました。それでは練習用……リハーサル用の異世、発現してしまいますね。他のみなさんは準備が出来次第入ってきてください。入口は開けておきますので」
「「「はーいっ!!」」
ならば早速とばかりに。
ナオは躊躇うことなく自身の異世を展開する。
それがいつもの事だからなのか。
他のメンバーたちの委細承知、とでも言わんばかりの元気な返事を耳にしつつ。
ナオはさっさと瞬きの間に創り出してしまった異世の中へと入っていってしまう。
そこに他意はなく。
異世の内側での『手合わせ』のための準備をしておきたかっただけなのだが。
実の所、自由に出入りできる異世を生み出すなど、ただのいちマネージャーができることではないのは確かであった。
それこそ紅粉圭太や、『位為』の長である更井寿一などの剛の者に限られるだろう。
普通は異世を解除して現実の世界に戻ってくるか、それこそ知己のように完膚なきまでに現実の世界と異世を遮る境界を破壊するのがセオリーで。
そんな規格外の練習方法に慣れきってしまっている正咲たちはともかくとして。
美弥がどうしてそのことを対して気にした風もなく正咲の後に続いて入ってきたのかを。
よくよく考えてみるべきではあったのだが。
全く自身を隠せていないらしいことに気づいていなかったと言うか気にしていなかったナオには、それに気づけるはずもなく。
……その代わりに。
(ふむ。やはり何事もなく裏側へと入ってきたか。どうやら気を使われているのは知己の方だったわけだ)
抵抗も、驚くこともなく異世へと入ってきた美弥を見て、ナオは自然と出てきてしまった笑みを堪えられそうになかった。
勿論、知己よざまぁみろと。
そう期待して敢えて異世を創り出して見せたわけだが。
知己がこのタイミングで戻ってきたら、もしかしなくてもめっちゃ怒られるだろうことも覚悟しつつ。
ナオは内心で上がってしまっているテンションを隠しもせず。
それじゃあ、知己に隠していた、黙っていた実力のほどは一体どれほどのものなのかね、などと言わんばかりに。
大会用のラインを異世の中央に引き終えて。
改めてナオは二人へと向き直るのだった……。
(第450話に続く)
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