第139話、音をも殺す存在、幕引きの時間がやってまいりました
風が舞い、克葉だったものの残滓が、消えていく……。
「瀬華ちゃん、すごい」
「あんたほどじゃ、ないわ……っ」
純粋に感嘆の声をあげる麻理に、瀬華は苦笑で答えようとして、むせる白い息が辺りに広がった。
「だ、大丈夫、瀬華ちゃん?」
「う、うん。ちょっと寒さにむせただけ……って、あんたこそ手、真っ赤じゃないの」
「あ、はは……もうあんまり、感覚なかったり」
同じく、吐き出した瞬間凍りつくような息を吐いて、麻理は笑う。
赤いどころか、紫色に変色し始めた指先を見つめながら、これからどうすればいいいんだっけと……なんだかぼうっとし始めた思考の中、麻理は考えていた。
『あの人』に、自らの能力について教わった後、言われたこと。
セキュリティーが厳しくなってきて、もうやってこれないかもしれないってこと?
違う。それも大事なことではあるけど……しばし考えて、麻理は思い出す。
『こうして、今竹内さんを助けたことで、すでに未来は違えている。この先、竹内さんの行く末に何が起こるのかは、俺には分からないけど……一つだけ言えるのは、これから何が起ころうとも、自分で選んだ道に後悔しないようにってことかな』
なんて言葉を。
(自分で選んだ道に、後悔しない……)
麻理は心の中で反芻し、変わらず凍りつづけている世界で、何をすべきなのかを考える。
だが、麻理は知らなかった。
未だ、異世が保たれている、その意味を。
「さすが化け物どもだ。まだ生きてるか」
そんな周りの世界よりも冷たくあざけりのこもった声が聞こえた時。
麻理は咄嗟に動けなかった。
一方で、異世が解けていない以上、この世界を維持するものは他にいるという事実に瀬華が気付いたのは。
そんな梨顔の声と、ガチリと引き鉄を引く音がした、その直前だった。
ダラララッ!!
「ぅあっ!」
「瀬華ちゃん!」
轟く麻理の悲鳴。
瀬華は前のめりに崩れ、そんな彼女へ向かって倒れこむ。
それは、無意識の行動だった。
いつのまにか現れた梨顔の持つ、金色の銃。
それが麻理に向けられていることに気付いて、庇うように立ち塞がったのは。
「うっ!?」
「瀬華ちゃん? 瀬華ちゃん!?」
麻理の悲鳴が、遠くに聞こえる。
近くにあるのはどんどんと心を闇色に染める、何かだった。
いや、何か、ではない。
これがおそらく、『パーフェクト・クライム』のかけらなのだろう。
(やばっ。人の身体で、なにやってんのよっ)
今更ながらその事に気付き、焦る瀬華。
だが、それに気付いたのがよかったのか、あっという間に心を闇に染めようとする力に、抵抗する気持ちが湧き上がった。
(知己の身体に、入ってこないで!)
瀬華は心の中で、そう叫ぶ。
……するとどうだろう。
猛然と侵攻していたはずの闇が止まった気がした。
「ああああああっ!」
瀬華はその隙をつき、声をあげながら……自由の奪われ始めた腕を無理矢理に動かす。
そして、撃たれた背中に溢れる闇を剣でなぎ払うと、唐突に闇の侵食が途絶えた。
「はぁっ、はぁっ!」
荒い息をつき、瀬華は残った闇を振り払い逃れるように立ち上がる。
しかし、気を抜けば意識が飛んでしまいそうなほどの脱力感が、瀬華を襲った。
(まいったわね。今ので、最後の力、使い果たしちゃったみたい……)
おそらく、もう長くはもたないだろう。
瀬華は、自分がこの身体に留まっていられる限界を感じていた。
もっとも厄介な敵が、目の前にいるというのに。
「瀬華ちゃん、ごめんなさいっ、わたしっ」
「あやまらないでって、言いたいとこ、だけど……」
泣きそうな麻理に、申し訳ない気持ちになる瀬華。
これで消えたら目覚めが悪すぎるだろうと思い、今にも飛んでいきそうな意識を強引にかき集め、心中で知己にあと少しだけ待って欲しいとひとりごちると。
大丈夫をアピールするために、瀬華は笑って見せた。
「瀬華ちゃん……」
凄絶なほどの笑みを見せる瀬華。
その全力の強がりに、自分はなにをやっているんだろうと、再び麻理は自分を責めた。
受けた銃弾の傷とかはないようだったが。
麻理にも、瀬華が限界であることが分かったからだ。
血の気を失って、真っ青な顔。
剣で身体を支えながらも、ガタガタと止まらない震えは、寒さのせいだけでないように思えた。
「ははははっ、そうか! お前もか、黒姫ぇ! ようやく分かったぞ。一度死んで蘇った化け物にはこの銃は効かないらしいな! びっくりだよなぁ。化け物の友達はみんな化け物だったわけだ、なぁ!」
だけど、梨顔は自分を攻めるヒマも与えてくれないらしい。
狂喜を孕んだその言葉。
麻理にはその意味が分からなかった。
そう言う梨顔が、場違いなくらいに嬉しそうだったので、麻理は思わず気圧される。
「や、やめてよっ! 何で、何であんたがっ、よりにもよってあんたに言われなきゃなんないのよっ!」
だが、瀬華にはその言葉の意味が分かるらしい。
瀬華の顔からは、笑みが消えていた。
それどころか、泣き叫ぶかのようなその声は。
さっきの克葉のときと同じ、あるいはそれ以上に何かの恐怖に駆られているのがわかった。
「なんだなんだ? 言っちゃまずかったのか? ……ああ!そうか。竹内は黒姫が死んでるってこと、知らなかったのかぁ! そいつは悪いことをしたなぁ!」
「……っ」
白々しく叫ぶ梨顔のその口調には、吐き気を催すほどの愉悦が含まれていた。
打ちのめされたかのように絶句する瀬華は、麻理から背を向けたまま、ただ震えている。
「どういう……こと……?」
意味が分からないんじゃなく、理解したくないだけだったのかもしれない。
誰にともなく呟く麻理に、梨顔は嬉々として答えた。
「ああ、こいつはなぁ。『パーフェクト・クライム』に殺されてるんだよ。それがなぁ、どうやったかは知らねえがなぁ、よみがえったんだよ。つまり、化け物ってわけだ! よかったなぁ、同じ化け物だぞ!」
笑い転げそうな勢いで、嘲笑する梨顔。
瀬華は、その容赦のない口撃に、反論の一つもすることもなく震えている。
麻理には、泣いているようにも見えて……
そんな瀬華を見ていると、信じたくない梨顔の言葉が、本当のことのように思えてしまってたまらなく嫌だった。
「嘘だよ、そんなのっ。 嘘だよね? 瀬華ちゃん!?」
認めたくなくて、こっちを見ようとしない瀬華にすがりつく麻理。
「ごめん、ごめんね、麻理……」
「そんな言葉、聞きたくないよっ」
ただ謝り続ける瀬華。
認めたくなくて、今までにない剣幕で声をあげる麻理だったが。
瀬華は謝罪の言葉を繰り返すだけだった。
「だから言ったんだよ竹内。最初からぶっ殺されてりゃよかったんだ。お前たちの言うお友達ってやつが、どれだけもろいか気付かされることもなかったんだからなぁ!」
梨顔の言葉に打ちのめされる二人。
それでも、梨顔は口撃の手を緩めることはなくそう言った後、何かを懐から取り出し、無造作にそれを投げつけた。
その衝撃にガラスの割れるような音がして、それは崩れ……消えてしまった。
「あっ……」
それは、白い輪っかだった。
僅かにこぼれ感じられる、カーヴの力。
それは、麻理や瀬華が持つ、賢に渡された緊急脱出用のお守りによく似ていた。
「お前らがのんびりしてる間になあ、こっちはそのための準備万端に整えてきてんだよ。こんなもんで逃げようったってそうはいかねえんだよ。これを見せてやったときの青春小僧の顔、お前らに見せてやりたかったよ。まあ、もうぶっ殺されてる所だろうし? そんな顔も見れないだろうけどな」
「嘘だよっ、そんなこと! 賢ちゃんは負けないもん!」
「どうかなぁ。青春小僧のあいつには、無理だと思うけどなぁ」
妙に自信のある梨顔の言葉。
次から次へと続くその言葉は、本当に麻理を殺そうと……傷つけようとする感情がありありと伝わってきた。
「ああ、心配しなくていいぞ。透影のやつもちゃんとぶっ殺してやるからな。お前らみんな死んで、一人残されたら可哀想だもんなぁ」
「賢ちゃん、正咲ちゃん……」
打ちのめされたかのような、麻理の言葉が耳に痛い。
梨顔の語るその言葉は、まさに絶望そのものだった。
その言葉は。
じりじりと麻理を、麻理の心を追い詰めていくのが分かる。
その最たる原因が自分の隠していたことであることに、瀬華は悔やんでも悔やみきれなかった。
瀬華がそれを思い出した時、すぐに包み隠さず伝えていれば、こんな最悪の形で麻理に知られることはなかったのだろうか、とも思う。
……でも、言えなかった。
それは本当のところ、『今』を壊したくないという、自分のエゴにすぎなかったのかもしれない。
だから、バチがあたったのかもしれない。
―――『パーフェクト・クライムに殺されて、蘇った化け物』。
リフレインする梨顔の言葉が、容赦なく瀬華を責める。
だが、そこに一つの光明を見出したのは、その時だった。
梨顔はどうやったかは知らないと、そう言った。
つまりそれは、この剣の中にいるもう一人の存在を、梨顔は知らない、ということで……。
(初めから、そうすればよかったのかも、ね……)
それは最終手段として、ずっと考えてきたこと。
ただ、『今』の幸せを維持したくて、目を背けていたことだった。
でも、その『今』はもう、壊れてしまったから。
ならばもう、何もためらうことはなかった。
「麻理、ごめんね、私、取り返しのつかない嘘、ついてた。本当は、麻理に全てを話して、なんて言う資格もなかった。許してくれなくていいよ。……でも、麻理、あなたは絶対に守るから。賢や正咲には、うまく言っておいてね」
「瀬華、ちゃん……」
我ながら無茶なことを言っていると、瀬華は思う。
黙っていったら、二人は怒るだろうか?
それとも、泣いてくれるだろうか?
たぶん、怒って、泣いて……絶対生き返らす、とか言うかもしれない。
そんな情景が浮かんでしまうのは、バカだからと言う言葉ではすまないのかもしれないけれど。
「守る、ねえ。こいつは傑作だ! できると思ってるのか?」
大気を鳴らし、氷の結晶となった風が、渦を巻くその中心で。
梨顔は銃を構えて不敵に笑っていた。
そんなことできるはずもない、とでも言いたげに。
「できるわよ。だって…………お前はもう、己が絶対に許さないからだ!!」
重なる、二人の声。
そのとたん虹色の光が、瀬華から溢れ出す。
その、完全に視界を奪うほどの光は。
この凍りついた世界をも、飲み込み、溶かし、染め上げていく。
そこに存在する音でさえも。
そして、その瞬間。
瀬華の姿はそこにはなく。
変わりにあったのは、音茂知己その人の姿、だった……。
(第140話につづく)
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