第58話、ライブが始まる直前に、ふたりは出会う
それから。
そのフォローについて細かな指示を受けたちくまとカナリの二人は。
控室を出てチケット売り場でパスを見せ、席のチケットを受け取り、そのまま自らの座るべき観客席へと向かった。
まもなく、桜咲町中央公園野外ステージでの最初のライブが行われる、そんな時分。
陽は、ちょうど真上に来たくらいだろうか。
ちくまたちの席は螺旋状にくりぬかれ、囲むようにして席が配置されている、その中でも一番深い中心部分……ちょうど、ステージに出てくるアーティストたちと対面になる、ネセサリーだいすきクラブの会員にあてられた特等席だった。
とはいえ、その周りを囲むコンクリートは、だいぶ年季が入っている。
作られたのはそれほど昔ではないらしいのだが、なんでも、このステージから日が沈む方向に海が見えるほど近くにあり、そこから潮風が運ばれてきてすぐに痛んでしまうせいでそう見えるらしい。
また、その螺旋状の観客席の一番輪の広い縁の辺りには、白いチョークで線を引いたような独特な線が走っていた。
それは、この地に何十年に一度やってくる大波の名残で、その大波にのまれてその部分まで海水で埋まったためにできたものだと言う。
つまり今ちくまたちがいる場所は完全に海の底だったわけなのだが。
大波というものを見たことも体験したこともないちくまとしては、どうもピンと来なかった。
それはさておき。
ばっと見ると大体席は埋まっており、その中では後ろの端っこのところが二つ、空いているのが分かる。
それは、駅などによくある青色のプラスチック製のイスだった。
野外コンサート会場という都合上、それがベストなのだろうが。
既に座っている(特にちいさな子供が多いようだ)人たちのように、座布団が必要になってきそうなものである。
しかも、一つ一つの席が結構近かった。
「カナリさん、奥の席だよ」
「う、うん」
与えられた任のことを考えれば、のほほんと座っていてもいいのかとは思ったが、だからと言って突っ立っていたら目立つ事この上ないので、言われた通りカナリは奥の席へと座る。
ひょっとして、パスを交換しなければ外側の席だったのかなと考えつつも。
ちくまにエスコートされる形で目の前のかしましくもにぎやかな子供たちの様子を、なんとなく見ながら席に座ると、すぐに隣の席の人から声をかけられた。
「こんにちわー、なのだ」
「あ。こ、こんにちは……」
「こんにちはーっ」
カナリはちょっと緊張気味に、ちくまは相手と同じように朗らかにそう返す。
改めてその声の主を見ると、そこにはひとりの少女がいた。
シニヨン……いわゆるお団子にまとめられた髪ははちみつをまぶしたかのようなブラウンで、特徴的なのはその瞳。
その青とも緑ともつかない、見ようによって変化するその色は、カナリにオッドアイではないのかと思わせる。
ただ、そう言う希少性……あるいは神秘性を付加させるような外見的特徴は、今の時代さほど珍しくもないことではあった。
現に、その反対側の席には、楽しげにのほほんと子供を眺めている灰髪銀目のちくまだっているのだから。
なんとなく、カナリは自分より二つ三つ年下だろうな、とあたりをつけた。
自分の年齢は正確には覚えていないが、売店に売っていたネセサリーのロゴやらなにやらがプリントされた銀のだぼだぼのパーカーに、ひざ上までばっさりカットされた紺のキュロット、橙色と白のストライプのニーソックスと言う出で立ちがそう思わせたのかもしれない。
それが、大いに外れであることなど、カナリには当然分かるはずもなく。
(あれっ? わたし。この子のこと、知ってる……?)
偶然か必然か。
隣席になった少女を目にし、ふいにカナリが思ったこと。
それは、ちくまと会ってその名を聞いた時に感じた記憶のふたが動く……そんな感覚と同じだった。
むしろ、ちくまの時よりそれは強い気がする。
思い出そうする気持ちを抑制する何かに、ぎりぎりと逆らうようにして見たその先には。
ジョイの満面の笑顔……いや、それはカナリ自身だ。
目の前の少女と、楽しく笑いあっている様子が見える。
それは常に何かに挑んでいるかのような。
一瞬一瞬を生きることを喜びと思うような、そんな笑顔で。
もう今は、できないはずの笑顔だった。
「そ、そんなに見つめられると恥ずかしいのだ。美弥になんかついてる?」
半ば自失していたカナリは、目の前の少女……美弥にそう言われ、はっと我に返る。
「あっ、ごめんなさい。えっと、その。わたしとどこかで会ったこと、ないですか?」
そして、そのまま勢いでそんな事を聞いてしまい、カナリは内心うろたえる。
そこでようやく目の前の和やかな情景に浸っていたちくまも、そんなカナリの様子に気がづいた。
「ん? どうしたのカナリさん、知り合い?」
「う、ううん。わたしいきなり何言ってんだろ。……ごめんなさい」
そのままカナリが首を振ると、そんなカナリの慌てぶりを宥めるかのように、にぱっと笑った。
「いいよいいよっ。ネセサリーのファンは、みんな友達なのだ。それに二人は『喜望』の人でしょ? ならね、どこかで会ったことあるかもしれないのだ」
そして、ファンの証であるパスを付き合わせるようにしてそう言う。
美弥が何者なのか知らないちくまは一瞬どきっとしたが。
ここのスタッフも、これから出演するアーティストも『喜望』なのを思い出し、ホッと胸を撫で下ろす。
まぁ、いきなりカーヴ能力者だとバレたのかと思ったのもあるだろう。
しかし。
そんなちくまを置き去りに、カナリの目は美弥のもつパスに釘付けになっていた。
胸元にかかるそれには、いつもどこでも強く可憐な黄色のアイドルと、煌々と輝く、ゴールドに縫い付けられたナンバー『1』の文字。
「一番だ。すごい……」
「え? あ、これ? んと、知己がその、どうしてもって言うから」
思わず出たカナリの呟きに、照れたように嬉しそうに答える美弥。
「と、知己っ?」
「知己さんのこと、知ってるんですか?」
カナリは、あの知己を呼び捨てにしている事実に。
ちくまは知り合いなのかな、という意味でそう聞き返す。
「う、うん。そ、それはもちろんなのだ」
すると、美弥は一層顔を赤くして何度も頷く。
まるで、自分にも確認するかのように。
カナリは一番のパスを持っているところも含めて、目の前の少女が知己のとって親しいものであることを理解する。
無意識に自分の番号と比べてみて、そこにはとてつもなく大きな差があるような気がして。
すぐに自分は何を考えたのだ、と再びはっとなった。
そして、ここにきて自己紹介も何もしていないということに今更ながら気づいた。
「そうなんだー。あ、そだ。自己紹介してなかったよね。僕はちくま。……で、こっちがカナリさん。知己さんとは仲間、部下ってやつになるのかな?」
「……っ」
だから自分も名乗るべきなのだろうと考え、それを口にしようとしたら。
まるで図ったかのように、ちくまがその邪魔をする。
別に、ちくまとしては邪魔をしているつもりは毛頭ないだろうが。
「ふふっ、ご丁寧にどうもなのだ。美弥は……じゃなくて私は屋代美弥。今日はこの子達の引率でここに来たのだ」
そんなカナリとちくまのやり取りを見て、同じように美弥は笑みをこぼしつつそんな事を言う。
おそらく子供たちの中の年長さんで、それでそう言うすました言い方をしたのだろうと、美弥が知己と同い年であることを知らないカナリは自己完結していた。
「で、そのう。美弥は、知己とは家族みたいなもので」
「「……家族?」」
「って、はうっ!? べ、別に結婚してるとかそう言う意味の家族じゃないのだっ。あ、でもでもっ。もらってくれるのなら喜んでって感じだけど……って、あわわっ。何を言わせるのだっ、今のは聞かなかったことにしてくださいなのだっ」
「え? う、うん」
もういろいろと手遅れのような気もするが。
完熟トマトのように赤くなっておたおたしている美弥に、ちくまは戸惑ったような返事を返すしかなかった。
そして、美弥のそんな行動と言動で、カナリは思った通りに……彼女にとって知己は大切な人なんだろうと分かった時。
「あらあら、あなたたちが新しく入った『喜望』の人?」
美弥でもちくまでもない第三者のそんな声がする。
しばらく、その言葉の意味を把握していなかったカナリは、だんだんその意味に気づいてぎくりと固まる。
何故ならば自分たちが新しく入った、などといった情報を知るものなどごく一部のはずなのだから。
「あ、はいっ、そうです。よろしくお願いしますっ!」
「……」
しかし、何の迷いも何もなく、ちくまがバカ正直にそう言って頭を下げてしまう。そのあまりに晴れ晴れしたその態度に、逆にカナリ自身が誰彼構わず用心しすぎなのだと言われているような気がしてならなかった。
さっきの、圭太たちの件でもそうだ。
あんないきなり何年来の仲間だって感じで紹介されて、またそれが正しかったとしても、カナリにとっては初対面だし、しかもそれ以外の二人は知己たちでさえ初めて会ったと言うではないか。
『パーム』のスパイが紛れ込んでいるのかもと考えるのは当然じゃないのかと。
警戒してしかるべきではないのかと、カナリは思ってしまったのだ。
だがしかし。
今回の場合、ちくまも自分も『喜望』の制服……つまり『喜望』の看板を背負っているのだから、分かる人には分かるのだろう。
おそらく『喜望』の関係者なのだろうとまとめ、カナリがその人物に視線を向けると、にっこりと微笑まれる。
いつか見た、ひまわりのような微笑みで。
「ふふ。こんな可愛らしい子達だったなんて、知らなかったわ。知ちゃんも、テルも一言くらい言ってくれたっていいのにね」
「え、きゃっ!?」
そしてその人物……すべてを包み込むような包容力を持った長い紺色の髪の女性は、何を思ったか、カナリをぎゅっと抱きしめてきた。
何が何だか分からなくなって……そのぬくもりが優しくて。
カナリは思わず声を上げてしまう。
それから、カナリの心中に狼狽と動揺が消えぬままに女性はカナリから離れると。
同じようにちくまを抱きしめる。
「わわっ? あ、えっと……」
たちまち電熱ストーブのように赤くなるちくま。
心なしかその表情も緩んでいるようで、情けない感じになって。
それを見たカナリは、何だか妙に腹が立つと同時に、自分もおそらく似たような顔をしているんだろうと、しょうがないことなんだと自分に言い聞かせる。
何故ならば誰かに抱きしめられるなんて経験、初めてだったからだ。
それはカナリだけでなく、ちくまも同じはずで。
「私は潤賀恭子よ。……よろしくね」
「あ、ち……ちくまです」
「カナリといいます……」
変わらぬ笑みでそう言われ、二人は何だか緊張した様子でそう答える。
察するに、美弥とは年のはなれた姉妹といった感じだが。
この感覚が、きっと『お母さん』……母性なのかなとカナリは思う。
「お……恭子さんっ。その、誰彼構わず抱きつくのクセ、どうにかしたほうがいいのだっ」
「いいじゃなーい。ハグなんて挨拶なんだからー。あ、分かった。美弥ちゃんもして欲しいのね?」
「そう言う意味じゃないのだっ、しかもそうやっていつも子供あつか……むぎゅっ」
慌てて美弥がう言うも、気づけば美弥は恭子の胸の中にいた。
そして、その状況のままスローなペースでカナリを見て、ちくまを見て。
「……ごめんなさいね。私にはこれくらいしかできないから」
そう、呟いた。
「「……」」
期せずして、無言のリアクションが重なる二人。
そう言う恭子の表情は、やはり変わらぬ微笑みだったが。
その言葉には不甲斐なさとか、悔しさとか。
そういうどうにもならない感情が含まれている気がして……。
そんなことないよって言ってあげるべきなのか、カナリは迷う。
さっきとはまた違った意味で、自分は恭子のことを何も知らないからというのもあるだろう。
ふと、ちくまの方を見ると、やはりちくまも困ったような顔をしていた。
「むぐぐっ。く、くるしいっ。くるしいのだっ。これくらいどころか十分すぎるのだっ」
「あらら。ごめんね、美弥ちゃん」
息も絶え絶えに抗議する美弥に、おどけたように手を離す恭子。
「うん、それじゃみんなで、今日のライブを楽しみましょう~」
そして。
恭子がそう宣言する頃には舞台上も騒がしくなり、いよいよ始まる、という雰囲気が伝わってくる。
それからすぐに、タイミングを見計らったみたいにライブをやる上での諸注意をする場内アナウンスが聞こえてきて。
一組目のアーティストが、登場する頃には。
ちくまもカナリも、そんな恭子の言葉の意味を、深く考えることはなくなっていて……。
(第59話につづく)
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