第三十二章、『AKASHA~truth~』

第252話、くちびるの向こうはもう一つの世界



「こっちだよ、こっち」


怒濤に攻めてくる紅の軍勢と、一触即発になりかけた美冬と怜亜の仲を何とか取り持って。

まゆたちは、バックヤードに戻り新たな道を模索していた。

そこは、怜亜に会う前に行くつもりだった鳥海家の第一玄関口で。



「こっちって、どう見てもロッカーなんだけど」


呆れた、と言うか奇妙なものを見るような怜亜の呟き。


「ふふふ、ところがどっこい」


まゆはそれに対抗するかのようにニヤリと笑みを浮かべると、暗いロッカーの背に貼り付いていたフックをピンと弾いて取り出す。



「っ!」

「な、なにっ、なんなのっ!?」


期待通りのリアクションをしてくれる美冬と正咲。

大仰な重低音。

バーンと音立てて分解されるロッカー。

ちなみに、重低音は仕込みだ。

ロッカーの分解には何ら関連はなかったりする。


「……馬鹿なの?」

「言わないでやってよ男のロマンって奴らしいから」


ロッカーが分解された後に現れたチョコレート型の扉を目の当たりにしながら、やっぱり呆れた声を上げる怜亜。

どちらかと言うとそのロマンとやらにやさしい方ではあるだろうまゆは、ちょっと苦笑しながらその扉を内側に引き開いた。


ちなみに鍵はかかっていない。

緊急出動なのに鍵なんてかけてるヒマなんてあるか、と言うのが父……こうちゃんの弁であるが。

全く持って用心深いんだか不用心なのかよく分からなくなる仕様である。



「ほんとなら、滑走路が百メートルくらい続いてその先はうちのお屋敷の裏庭に出られるはずなんだけど……」


恐らく、聞いてるみんなには意味不明だろう解説をしながらまゆは扉の先を覗き込む。

気が利かないのか、分かってて敢えてなのか、その先に広まった空間があるのが分かる程度の、真っ暗闇が広がっていて。


「うむぅ……」


まゆは先んじて進まねばならないはずの一歩を躊躇ってしまった。


それは、さっきまでの自身の考えのせいで。

おそらく、こうちゃんはこの第一玄関口を通ろうとするまゆの事などお見通しだろう。

先程まで、あれほど騒がしかったダンスホールの不気味な静けさが、この先の危険を一層まゆに想起させる。

だからといって引き返せば、待ってるのはいやな歓迎に違いない。


問題は、こうちゃんに目を付けられたろうまゆ自身だ。

それらに彼女たちを巻き込んでいいものか非常に悩んでいた。

まぁ、一人でいたらそれはもっと危険というか、一人で生き残れる自信のないまゆがいるから困りもので……。



「ジョイ、いっちば~ん!」

「こ、こらっ!」


なんて思っているうちに、そんなまゆの迷いを見透かしたかのように正咲が駆け出し、闇の中に消えていってしまう。

まゆはどこからともなく灯り代わりにと煌々と光る白い輪を取り出すと、慌てて彼女を追いかけた。

苦笑失笑混じりの、美冬と怜亜がその後に続いて。



飛び出した扉の向こうは、今の所まゆの記憶と相違ない滑走路がぼんやりと浮かんでいた。

滑走路と言っても、車同士がすれ違えないだろう幅しかない。

一体何を出動させるつもりだったのかあまり考えたくはないまゆであったが。

天井も壁もビスを打ち込まれた鉄の道は、ご大層にも滑り止めやスピードを上げる気にさせるような蛍光色の三角が彩色されている。



「おーい、まゆちゃん、はやくはやくっ!」


少し離れた所で立ち止まり、ぶんぶんと手を振る正咲。

なんというかとても嬉しそうだった。

わくわくするような心地よい風が吹いていたから気持ちは分からなくもなかったが……。


(風……?)


一体どこから?

そう、背中からだ。

でもそれは、吹いていると言うより。


「……っ」

「まゆ?」

「ち、ちょっと!」


得体の知れない不安に押されるようにして。

気づけばまゆは駆け出していた。

誰何の声を上げる二人を置き去りにして。

それを見て嬉しそうに逃げ……先行する正咲。


「待てって!」


とことん緊張感のないように見える正咲が羨ましいやら妬ましいやらで。

意識のよるところでない部分でついて出た声にも構ってられず、まゆはそんな正咲を追いかける。



だが、二人の追いかけっこはすぐ終わりを告げた。

すぐに見える丸い発光。

扉の場所からその出口が見えなかったのは中途に起伏があるからだなんて無駄知識を吟味するヒマもない。

滑走路にしては、やっぱり欠陥道路だったのだろう。

短すぎる道を悔やむこともなく、正咲は光の中に飛び出してしまった。

吸い込む風の流れる、その先へと。



「なんちいっ、バカ正咲っ!」


それからのまゆの行動は、正直自身でも誉めてあげたくなるくらい出鱈目なものだった。

ぐんと倒れるように体勢を崩して加速。

転がってくように先行する正咲に追いすがり、光の向こうへと飛び出す。



「うわっ、うわっ、うわぁっ!?」


ある意味期待していた通りの、情けない正咲の悲鳴が耳に近い。

そんな正咲の背中越しに正咲の視線の先にあるものを伺う。



そこには、あるはずの地面がなかった。

いや、厳密に言えば地面はある。

ただ、淡い期待を抱いていた裏庭の飛び石のある地面じゃなく。


そこにあるのは大きな大きな、趣味の悪いとしか言いようのない、カートゥーンめいた唇だった。

おちょぼ口で下をのぞかせ、辺りの空気ごと正咲を吸い込もうとしている。



「趣味が悪いんだよっ、もうっ!」

「みゃぶっ!?」


とてもらしい、正咲の悲鳴。


何度も言いたくなる。

自分を誉めてあげたいと。

それほどに爽快なまゆの跳び蹴りが、正咲の背中に決まった。

見た目以上に軽い正咲はおもしろいくらいに吹っ飛んでただの地面にごろごろしている。


ざまあというか、一度やってみたかったんだよと、悪ガキみたいな満足感。

ここで見下ろして爆笑でもしてあげられればもっと最高だったのだが。


流石にそこまでは欲張りすぎだったらしい。

まゆは無様にも、頭から気色の悪い唇の中に突っ込んでいってしまった。



「まゆっ!」


誰かがまゆを呼ぶ声。

それは一つじゃなかったのかもしれないけれど。

それに答える余裕はまゆにはなかった。


―――まったく、ほんとに、趣味が悪い。

父の仕業ながら、そのセンスのなさに、いたたまれない気持ちになっていて……。



             (第253話につづく)







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