第192話、中二病は忘れた頃にやってくる
「晶、離れるのだっ! そいつの手に触れてはいかんっ」
あずさは叫び、そのまま全身の力か抜けたようにぐらりとよろけるちくまへと駆け寄ると、片手で掴んで飛びすさった。
触れている手が、氷に触れているように冷たい。
ちくまの全身が、震えている。
それは、弥生の能力によって熱を奪われたからだった。
ここで言う熱とは、体温そのものから、そのものの生命力に至るまでの広義的な意味になる。
ファーストの力である『スパイス・ロア』は、元々、本物の弥生が能力を発動した際に、自身の幽体を維持するために、ほかの命あるものから熱量を借りるための物だった。
普通に使うだけなら、相手がわずかに疲労を覚える程度ですむものなのだが。
それはあくまで弥生が常識の範囲で力をセーブしていたからこそで。
むしろ、最近は『スパイス・ロア』を使う機会など、ほとんどなかった。
むしろ、セカンドの与える力である『シュガー・キュリア』を好んで使っていたくらいだった。
……間違いなく、目の前の弥生は偽物だろう。
次撃が来るまでに片を付ける。
あずさはそう判断して向き直ろうとして。
「ちいっ」
相手もすぐ正体がばれる事など承知の上だったように、あずさを追っていた。
ただの少女とは思えない機敏な動き。
それが、偽物の力による物なのか、弥生が元々持っていた力をトレースしたからなのかは判断が付かなかったが。
歪んだ笑みさえ浮かべて光輝生む右手を振りかざす弥生の偽物。
「ふっ!」
それに対し、あずさは深く息を吐くと、腕をかいくぐるようにして懐へ潜り込む。
刹那金属の滑る音がして二人の間に出現したのは日本刀だった。
その柄は、竹箒の竹だ。
ぽんと、箒の実の部分が空を舞い……相手の首めがけて、発光の残滓が迫る。
どむっと、いやに柔らかい手応えは一瞬。
「くっ!?」
いきなり感触が消えて、刀を打ち込んだ方向へと流されていくあずさの体。
どうやら、インパクトの瞬間、幽体化して難を逃れたらしい。
戦ってみて初めて分かる、仲間の能力の怖さ。
あずさはそのことに戦慄を覚えつつも、それでも離さなかったちくまの体を抱えたままその流れに乗った。
そこに、竹箒の実の部分が帰ってきて、刀は元の竹箒になり……あずさがもう片方の手で箒を1回転させると、まるで魔法使いの箒のようにその穂が浮力を生み、通常ではあり得ない急カーブを描いてあずさたちは晶の元へと降り立つ。
「晶っ、気をしっかり持て! あれは弥生ではないっ」
「分かってるけどっ……だって!」
未だに狼狽の消えてない晶にあずさは一括するも、その声はあまり届いてはいないようだった。
それは、なんだか予定にないことが起こって、混乱しているようにも見えて。
あずさは、そこまで考えて首を振った。
さっき、信じるに値すると自身で決めたばかりのくせに疑心でいるのはどういう了見かと。
「分かってるなら、戦うだけだろう! それとも、このままちくまを見殺しにする気か!」
「……え? どういうこと?」
再び訴えると、今度はちゃんと届いたらしい。
はっと我に返ってあずさを見上げた。
「このまま熱を奪われたままでは、凍え死んでしまうかもしれぬ。手っ取り早いのは奪われた熱をあれに返してもらうことだが……そうはいくまい。さっさとあれを倒して本物の弥生のもとへ行く必要があるだろう。晶、おまえの力を借りたい」
少しでも隙を作ってくれれば、あずさには決め手があった。
だがそれは両刃の剣で、あずさ自身に相応のリスクが伴うものでもあって。
「わかった、やってみる」
そんなあずさの心の内を汲んだわけではないだろうが。
さっきとはうって変わった様子で、細い木製のスティックを構えていた。
単に浮き沈みの激しい性格なのか。
動揺など吹き飛ばすほどにあずさの一喝がきいたのか。
すっと表情が変わり、高まる晶のアジール。
「次はあなたね」
目の前の弥生の姿をした敵は、笑みをこぼしてそんな晶に視線を向ける。
「あやつには物理的な攻撃は効かぬぞ!」
「わかってます」
不思議な色をたたえて発光し続けるスティックを翳したまま、あずさの言葉に簡単に答えると、瞬く間に敵の目前まで晶は移動していた。
その、大地が縮んだのではないかという動きに、改めて彼女が自分と同じ人ならざる能力(ファミリア)であることをあずさは思い知らされる。
だが、それは相手も同じ事で。
目の前に出現した晶に戸惑いもせず、
そのまま力の込められた手のひらを降り降ろした。
それに対し、先程のちくまと同じようにスティックをクロスさせて防御する晶。
ニヤリ、と笑う敵。
だがその勝ち誇ったような笑みは、すぐに霧散して驚愕に染まった。
何故ならば、物質を通過するはずの手が、その細いスティックにいともたやすく止められたからだ。
(あれはもしや……翼ある物つくりし道具?)
カーヴ能力の範疇を超えたアーティファクト。
その昔天使が作ったとされるもので、今の全てのウェポンカーヴの元となったもの。
それは、個体という概念を超えたところにあり、様々な姿形に流動する。
それならば……幽体が通過できないのも納得できる。
「いいものを持ってるではないか。前々からちょっと気になってはいたが……。」
それは反則だろうと言おうとして、切羽詰まった晶の声に止められる。
「は、早く何とかしてっ」
どうやら、止めたはいいが心臓に悪い膠着状態が続いているらしい。
すごい力で、抑えつけられ、早くも晶の足がくの字に曲がる。
「終わりよ」
それを見て、嗜虐的な笑みをこぼす弥生の偽物。
そいつは、空いていたもう片方の手を振りあげたのだ。
当然その手にも白桃色の力が宿っている。
「終わりなのはおぬしぞ」
たが、その振り上げられた手は降ろされる事はなかった。
「ゆけ、黒千(コクセン)っ!」
「ぎぃやぁっ!」
裂帛の気合いとともに放たれた黒い線状の何かが、針の穴を通す正確さで晶を避け、次々と偽物に突き刺さる。
耳を塞ぎたくなるような声をあげたそいつは、黒い線……それは持ち手の付いていない、漆黒の投剣だった……の一撃を受け、ついにその正体を現す。
じゅう、と色が落ちたように天に昇って霞み消え、残ったのは内蔵の色の赤だった。
赤い異形。
どうやらそいつが弥生の偽物の正体だったらしい。
いつの間にか弥生に化けたのか、あずさには分からなかったが。
どうにもまずい事になったと苦虫を噛むあずさ。
仲間同士で同士討ちの危惧がでてくることもそうだが、あの赤い異形が仲間たちの姿をなし、その能力すら駆使するとなると、その能力者をどうにかしない限り、ジリ貧で力尽きるのはこちらの方だろう。
事実、そんなあずさの危機感は大いに正しかった。
何故ならばその能力者は、この氷で囲まれた場所から遙か遠くにいたからだ。
「うっ」
そして、そのほころびは早くも出始める。
あずさは、目眩を起こしてよろめいた。
途端、ぶれだすあずさの輪郭。
「こゆーざさんっ」
あずさの異変に気づき、駆け寄ってくる晶。
それにあずさは苦笑を浮かべた。
「……ちょっと反則技だったものでね。負担がかかりすぎたようだ」
そう言っている間にも、輪郭のぶれは大きくなり……ついにはこゆーざさんの姿に戻ってしまった。
「……反則?」
「ああ、この力は小柴見あずさの力だからな。無理に使えば道理を曲げたツケが返ってくるんだ」
「どういうこと? こゆーざさんは小柴見あずささんでしょう?」
「今更それを聞くのか? 晶は私がなんとしてでも秘匿しておきたいことを知っているのではなかったのか?」
言葉通り首を傾げている晶に、あずさ……こゆーざさんは呆れたようにそう返す。
「あれは……その」
困った顔で言葉を詰まらせる晶。
それがふりならば本当にたいした役者だが、多分本気で言っているのだろうとこゆーざさんは考える。
……もしかしたら、主の命を実行しているときは、本人の意思は剥離していたのかもしれないが。
「まぁ、それはいい。ようは、今の力がこの世界に依るものではないってことだ。
黒千は、もともと魔を討つ聖具でな、ああいう物理法則を無視した輩に有効なんだ」
「それって、まさか、カーヴ能力じゃないってこと?このスティックみたいに?」
「ご名答。だから反則だとそう言ったのさ」
こゆーざさんは、ちょっと目を見張って、それからすぐに皮肉げな笑みを浮かべる。
本当は反則どころか、自身の存在すら危うくなりかねない行為だったのたが、それはわざわざ言う必要もないだろうと。
と。
「ギィァアアアアアッ!」
黒千の勢いに弾かれてコンクリートの壁に磔のようになっていた赤い異形が、魂消るような叫びを上げた。
体深く突き刺さっている黒千が、邪を払おうと浸食を開始したためだろうとこゆーざさんは思ったが。
その黒千すら飲み込むほどに体を膨張し始める赤い異形。
「何あれ、どうなってるの?」
「……どうやら、手加減なしにちくまに対して能力を行使したようだな。調子に乗って熱を奪いすぎるとああなるんだろう」
治療のために能力を使いすぎて、痩けていた弥生の姿は時々見かけたことがあった。
ようは、その逆なのだろう。
赤い異形は、再現なく膨らんでいって……。
「いかんっ」
思い出すのは朝方の爆発。
このままでは危険かもしれない。
それまでにしとめなければと、言うことの聞かないかつての自分を再び呼び起こそうとして。
「邪魔だ」
絶対零度の声と、背後で起きあがる気配。
「ぬおっ!?」
そしてこゆーざさんは、そのまま無造作に首根っこ掴まれて放られる。
呆気に取られて見上げるその先には……ちくまがいた。
「ちくまさん、大丈夫なの?」
「心配するな、すぐ終わる」
駆け寄ってきた晶に対しても素っ気なくそう答え、気怠そうに赤い異形に近づいてゆく。
「誰だあれは?」
「……ええと、誰かな?」
もはや別人と言うレベルではすまされないような変わりようだった。
それまで無垢な子供然としていたのが、大人っぽさすら感じられるくらいには。
「……」
ちくまは、最早自分でもどうしようもない膨張を続けている赤い異形を冷たく見据える。
その手にいつのまにやら握られていたのはいつものトンファーでなはく、蒼い禍々しいアジールを発する直刃の剣だった。
(あれはっ、まさか……っ)
今度こそちくまの持つその剣にこゆーざさんは見覚えがあった。
かつて神の一人……氷の根源が手にしたものとされる、伝説の魔剣。
やはり、翼あるものがつくりしもの。
だが、こゆーざさんが覚えていたのは、そんな眉唾物の伝説ではなく。
「まさか、本当にサウザー先生の……」
それは、こゆーざさんがまだ小柴見あずさだった頃の師が愛用していた武器だった。
この世に二つあってはならない呪われた武器。
それをちくまが持っていると言うことは。
「サウザー・ロマンティカ。12の根源の一つ種にして再生の象徴、悠久なる世界で教えを説く存在……」
いきなりスイッチでも入ったかのように、晶が言った。
それが答えだと言わんばかりに。
「返してもらおう」
そして。
行き着いた衝撃の事実から覚める前に……カタは付いていた。
それは砕ける氷の音。
いつ、剣が振るわれたかも分からず。
斬戟すら付かず、赤い異形だったものはプリズムとなって大気を彩る。
それを立ち尽くして浴びているちくまはすでに剣すら持っていなくて。
その表情に赤みが差すとともに、いつもの無垢な感情の色が浮かんだのは、その時だった。
「……うわぁーっ! 手が、めりこんでっ……ないや。あれ? 僕、何してたんだっけ?」
「元に戻ったのか?」
しきりに首をひねっているちくまを脇目に、こゆーざさんが呟く。
それに、晶はゆるゆると首を振って、
「元に戻ったっていうか、たぶんさっきのもちくまさんなんだろうけど」
自分でも信じられないと言わんばかりの渋面で、晶が言葉を返す。
「ま、あやつが何者かなんてのは私らが言えるべきことじゃない、か」
「それは同感」
それが過去のことだろうと未来のことだろうと、今しか生きられない自分たちにとっては考えても仕方のないことだと。
二人のやりとりに、そんな意味が含まれていることを。
やはり知るものは、二人だけで……。
(第193話につづく)
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